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批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×石岡良治[表象文化論研究者]

 ついに『タイタニック』を抜いて日本国内観客動員数歴代3位の座についた『アナと雪の女王』。類を見ないほどのヒットとなったディズニー映画、さまざまな評が世間に飛び交うが、はたしてそんなに出来のよい作品と言ってしまっていいのだろうか?

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雪山の中に立ち上がった氷の城の中で大人の女性にエルサは変貌する。 ©2014 Disney. All Rights Reserved.

宇野 『アナと雪の女王』はまず、予告編で「Let It Go」のシーンを観たときに、「ディズニーは、この作品にものすごい自信があるんだな」と思ったんですよ。それで実際に観てみたら、まぁやりたかったことはわかるのだけど、作品としての出来がいいとまでは思えなくて、予告編の期待は超えなかったですね。

『アナ雪』の話をするにあたっては、前提として、ここ10年くらいのディズニー映画とピクサー映画の流れについて言及しておく必要があると思う。アニメファン的に見ると、ディズニーとピクサーって技術的にはそこまで差がないんだけど、ゼロ年代は特にシナリオは圧倒的にピクサーのほうが上だと言われていた。『モンスターズ・インク』(01年)、『ファインディング・ニモ』(03年)、『Mr.インクレディブル』(04年)など、圧倒的にシナリオワークの優れた作品を連発していたピクサーに対して、ディズニーはいまいちな作品ばかりだった。家族観・ジェンダー観にしても、旧来のディズニーは古典的なプリンセス・プリンスもの、ボーイ・ミーツ・ガールの話をベタに描いていたのに対し、ピクサー作品は、例えば『Mr.インクレディブル』だったら「古き良きアメリカの強い父」みたいなイメージがもう通用しないというところから出発していたように、時代の移り変わりや新しい家族観・ジェンダー観を取り込むことによって重層的な脚本を実現してきた。言い換えるとそれは親世代、つまり団塊ジュニア世代の記憶資源に訴えかけながら、子どもも楽しめる物語をどう作るか、ということ。一つのストーリーで大人にはイノセントなものの喪失の持つ悲しみを、子どもには古き良きアメリカのイメージを、その記憶を持たないことを利用して輝かしいものとして提示する、というのがピクサー的、ジョン・ラセター【1】的なものの本質だと思うわけ。これは『トイ・ストーリー』から、最近のピクサー化しつつあるディズニーの『シュガー・ラッシュ』【2】まで通底している。要するに、この流れはさまよえる現在の男性性をテーマにしてきた流れだとも言える。

 じゃあ、『アナ雪』は何か、というと、ここでもう自信喪失したおじさんたちの話はやめよう、ってことなんだと思う。自信喪失したおじさんたちの回復物語はもうやりつくしたので、自分探し女子の物語に切り替えて新しいことをやろう、ってことなんでしょうね。この決断は良かったんじゃないかと思う。その結果、出てきたのが最終的に王子様のキスではなく、姉妹愛というか同性間の関係性で救済される新しいプリンセス・ストーリーだった、ってこと。ディズニーといえばおとぎ話的な「いつか白馬の王子様が……」的な世界観でやってきていて、まあ、現代的なそれとは到底相容れないアナクロな世界観が維持されている文化空間なわけで、そこからこの作品が出てきたので、みんなこれは新しい、感動した、って言っているわけだけど……。うーん、それって、あくまでディズニーの過去作と比べたら今時のジェンダー観に追いついているってことに過ぎないんじゃないかって思うんですよね。この作品に何か特別なものがあるとは思えない。

石岡 僕はまず、歌のバズり方自体に興味を持ったんですよ。これは日本特有だと思うけど、「Let It Go」が「ありのままで」と訳されて、「意識高い」女性に大受けしてますよね。あの歌って、いろんなところで指摘されているように、いわば邪気眼というか厨二病の能力解放の歌だと思うんだけど、それを“自己啓発系”の歌として読んじゃうっていうのは、ある意味で痛快ですよね。つまり、普段は邪気眼的なものに共感を示さないような女性に、「これは私のことだ!」と感じさせているわけで、うまいといえばうまい(笑)。

 歌に関してはもう一つあって、これもいろんな人が指摘していることだけど、歌とストーリーの意味がズレまくっているというのが『アナ雪』の特徴ですよね。クライマックスでアナが凍る場面なんか、本来ならミュージカルナンバーを入れたら盛り上がるシーンなのに、すごく静かで引きの画になっている。そういうふうに、感情移入の操作をズラしている感じがした。ある意味では「Let It Go」が物語全体を食い破っているんだと思う。もともとはエルサがもっと悪役になる予定だったのが、歌があまりにもいいからナシにしたという説もあるくらいで、シナリオ全体にいびつなところが多い。ハンスやクリストフの背景の描き方も不十分だし、アナたちの両親である王と王妃も、あまりにあっさり亡くなってしまう。これは僕の推察だけど、おそらく一度シナリオが出来上がってから間引いてカットしていったんじゃないか。だけど省いた後の隙間を埋めきってなくて、ちょっとデコボコしたままで放り出しているところがあって。僕はこの作品を2回観たんですが、1回目に観たときにシナリオに完成度を感じなかった理由はそこかな、と。

宇野 単純に考えれば、『アナ雪』って描写不足の作品だと思うんですよ。なんで姉が妹をうらやみ、妹が姉に憧れているのかも、あの描写からは好意的に想像を膨らませないと補完できない。はっきり言ってしまうと、後半のあの展開にもっていくためには前半のプロローグ部分の処理はすごく甘くて、細かい描写や芝居でキャラクターを立たせることに失敗している。それがこの作品の弱点なんだけど、むしろ興行的にはプラスになった側面もあると思う。描写不足によって歌のシーンが半分作品から遊離することで、観る人が逆に「これは私だ!」と自分の物語に没入させやすくなっていて、それが泣く女子を大量発生させた一因になっている。歌パートの出来の良さとドラマパートの描写不足が、結果的に功を奏してしまっているのも『アナ雪』の特徴だと思う。

石岡 それとは別次元で、単純に映像が素晴らしかったというのもあると思う。雪や氷の表現を観ているだけで、わくわくする部分があった。「Let It Go」のシーンでの、雪を踏んだら氷が結晶の形にバーン!と広がるところとかね。ディズニーはこれまで技術的達成を見せつけるようなことをやってこなかったから、『アナ雪』の映像表現には意外性を感じた。「Let It Go」にはそれらが全部集まっているわけで、あの歌が圧勝するのは当然といえば当然なんですよ。

ディズニーの無限更新とジブリが感じるべき脅威

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先日キャストなどが発表されたジブリの今夏公開作『思い出のマーニー』も少女同士の絆を描く物語になるようだ。(HPより)

宇野 しかしこの映画で描かれている女性性って、現代の先進国のジェンダー観からすれば当たり前のものだし、確かにディズニー映画のような大作では初めてかもしれないけど、女の子の自分探しみたいな話は、日本のマンガやテレビドラマではずっと以前からやってきたわけで。そこを今さら「革命的だ!」とか言われても、「この人たちは国内のコンテンツをちゃんと見てこなかったんだな」って気分になってしまう。国内の少女マンガでもテレビドラマでも、この程度の「王子様幻想の相対化」って大前提でしょう? じゃあ、姉妹ものとして優れているかって言うと、むしろそこは粗い作りでスカスカに見えるんですよ。

石岡 ディズニーにはウォルト【3】の“超・家父長制”というか、保守オヤジみたいなイメージがあって、いまだにその観点から批判を受けているわけです。『アナ雪』が絶賛されたのは、そういう旧来の保守的な価値観を更新したからにほかならないと思うんだけど、よく考えたら、ディズニーはこれでとんでもなく強力なヒットモデルを手にしたなと思う。というのも、「今回の作品はここがダメでした」というところを、「じゃあ次はそこを変えた作品にしましょう」と一つひとつ乗り越えていくことで、無限に自己更新していくことができる。ウォルト・ディズニーという思想があまりにも頑強にあったおかげで、その遺産も使いつつ、それをどんどんぶっ壊していきましょうというモデルを手にしてしまった。さらに、『アナ雪』と併映された短編『ミッキーのミニー救出大作戦』は、いわゆるディズニーのイメージが完成される以前の荒っぽい作風の映画です。一例を挙げると、『ミッキーの~』にはクララベル・カウというメス牛のキャラクターが出てくるんだけど、あれは今の感覚では完全にセクシストになる扱いなんですね。仮にすべて政治的公正でいくならば真っ先に外される、古臭いジェンダー観の象徴なんです。あれを『アナ雪』と併映に持ってきたのはつまり、一方で原点回帰をやり、もう一方でどんどん自己更新していくぞ、という意思表示にも思える。元のモデルがあまりにも古すぎるため、アップデートする素材は無限に転がっているわけで、ディズニーは何をやってもネタ切れにならない鉱脈を掘り当ててしまったとも言えるでしょう。もしかしたら『アナ雪』の最大の成功は、そういう制作モデルを確立したところにあるのかもしれない。

宇野 それとは逆に、ピクサーは今後がちょっと不安ですよね。ゼロ年代に黄金期を迎えたけれど、そこで確立した自己モデルを更新できていない。かつての古き良きアメリカと、その背景にあった少年性・男性性の喪失と回復を基盤に物語を構築していくのがゼロ年代的なピクサーの黄金パターンだったけど、『トイ・ストーリー3』(10年)でこのやり方とは決別する、と宣言した後、先に伸びていくことができていない。最近の『モンスターズ・ユニバーシティ』(13年)や『プレーンズ』(同)は外伝的な作品で、横に広がることでお茶を濁す状態になっている。ピクサーは対象喪失、つまり「○○ではない」というところでシナリオを作っていたわけだけど、それをやり尽くしてしまった今、「○○でありたい」という対象憧憬の物語にシフトしなきゃいけないのに、それができなくなってしまっている。

石岡 それで言うと、僕はジブリも当面ヤバいんじゃないかという気がしていて。高畑勲と宮崎駿は、『アナ雪』と同じ『雪の女王』に大きな影響を受けた『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68年)を作ってますよね。そこには宮崎駿の「俺たちは最初からディズニーを乗り越えている」という妙な自信があふれている。『ホルス』では「雪の女王」のキャラクターを悪魔のグルンワルドと、その妹のヒルダに分裂させていて、このヒルダがヒロインになる。これは「敵の姫でありながら惹かれ合う」という、今日まで続いているジブリヒロインのイメージそのものなんだよね。確かにそれは、当時の保守的なディズニーのモデルより先を行っていたかもしれないけど、そこでなまじ一度越えたと思い込んでいるせいで、その時点でのヒロインモデルから更新されていないと思う。その点でジブリはヤバいんじゃないかなぁという気がするわけです。ディズニーは元のモデルこそ古かったけど、これから一作ごとに更新して伸び続けていくと思う。『アナ雪』に対して、本当に脅威を感じるべきはジブリですよ。ディズニーは『スター・ウォーズ』の権利まで買ってしまい【4】、徐々に“ディズニーの外部”がなくなりつつあるけど、そんな中にあって、どこまで進化していくかという問題は非常に興味深い。今後は「ディズニーに見えない作品世界」にまで至れるかどうかという勇気が問われるところだけど、いっそディズニーやピクサーがジブリヒロインみたいなものをやったら、あっさりジブリの現在地を越えちゃうような気もする。それは一度ぜひ観てみたいですね。

(構成/清田隆之)

宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生まれ。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。批評誌「PLANETS」の発行と、文化・社会・メディアを主軸に幅広い評論活動を展開する。

石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年生まれ。大妻女子大学ほかで非常勤講師。専門は表象文化論。初の単著『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)が6月24日刊行予定。

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作品紹介
『アナと雪の女王』
監督/クリス・パック、ジェニファー・リー 脚本/ジェニファー・リーほか 出演(声/日本)/松たか子、神田沙也加ほか 配給/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ 公開/14年3月14日

暖かい入り江の王国・アレンデールに生まれたエルサとアナの王女姉妹。幼い頃は仲が良かった2人だったが、氷や雪を生み出す魔法の力のせいでエルサが引きこもるようになり、閉じられた城で分けられて育つ。両親の王と王妃が海難事故で亡くなり、王位を継ぐエルサは力を隠して戴冠式を行うが、アナの不用意な発言に激昂して力が暴走。王国を冬の世界に変え、自身は山に氷の城を生み出して隠れてしまう。山男のクリストフとトナカイのスヴェン、雪山で生まれた雪だるまのオラフと共に、アナは姉を見つけて王国の夏を取り戻すべく雪山に入っていく。アンデルセンの童話『雪の女王』を原作としながら、換骨奪胎したつくりになっている。氷の呪いをかけられたアナを最後に救うのは姉のエルサという、ディズニープリンセスものとしては新しい結末と共に、エルサの歌う「Let It Go」(レリゴー)も大ヒット。

【1】ジョン・ラセター
ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCOに就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしているという見方がなされている。

【2】『シュガー・ラッシュ』
公開/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(13年/日本) 
アクションゲームで何十年も敵キャラを演じることにうんざりしたラルフが、別のゲームの中でヒーローになろうとしたことから、複数のゲームの世界を舞台にした騒動が巻き起こる。

【3】ウォルト
ディズニーの創設者であるウォルト・ディズニーは、彼の制作した映画や、当時のディズニーの労働環境などを踏まえて、人種差別主義者であり性差別主義者であったといわれている。熱心な愛国主義者であり、反共主義者でもあった。

【4】『スター・ウォーズ』の権利まで~
2012年秋、『スター・ウォーズ』を制作するルーカスフィルムを40億ドル超でディズニーが買収。09年にはアメコミのマーヴェルも買収しており、巨大コンテンツコングロマリットと化している。

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