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友達リクエストの時代【第16回】

「友だち」のいない場所にありのままの自分もまたいない

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SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

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『大人も知らない「本当の友だち」のつくり方』(講談社)

 友だちがいることのありがたさは、友だちと一緒だと精神が解放されることだ。

 別の言い方をすると、社会の中で生きている人間は、友だちとワンセットで行動することによって、初めて「自分」という個性を十全に発揮できるわけだ。

 ということはつまり、逆方向からもう一度別の言い方で言い直すと、友だちのいない場所に放り込まれると、私たちは、往々にして、自然な、いつも通りの、ありのままの自分を見失ってしまうのである。

 このことを初めて思い知らされたのは、小学校6年生になって、英語塾に通い始めた時のことだった。

 私は、自宅から都電に乗って20分ほど離れた町にある、その道ではちょっと有名な塾の、中学1年生のクラスに編入した。ほかの子どもたちよりも1年早く英語を学ぶことによって、有利な条件で中学校生活をスタートせんと画策したわけで、してみると、私の母は、記憶の中にある姿よりはずっと教育熱心だったのだろう。あるいは、私自身が、自分で考えているより勉強家だったということなのかもしれない。

 さて、初めての授業の最初の挨拶の後、私は、突然、全員の前で自己紹介を求められた。

「この子はタカシ君です。はい。自己紹介して」

 と促された時、私は、普段の私でなくなっていた。

 それというのも、その塾の「先生」は、私の母の従姉妹に当たる人で、私は、「先生の親戚の子」という、特別扱いから出発せねばならなかったからだ。

 その時まで、私は、どんな局面であれ、「アガる」という精神状態を経験したことのない子どもだった。生徒会の役職に就いていた関係で、運動会のような機会に、全校生徒が校歌を斉唱する時には、指揮棒を持たされることもあったのだが、そういう場面でも、私は、毛ほども緊張しなかった。

 音楽が得意だったから指揮を任されたのではない。私は、教師に度胸の良い子どもだと思われていて、その人前で物怖じしない性質を重宝がられるカタチで、さまざまな挨拶や先導役を任じられていたのだ。

 もしかすると、私は、若干、嫌な野郎だったのかもしれない。その可能性はある。でなくても、私は、いつでも自信満々な、自分大好きの、小柄なジャイアンみたいな子どもだった。

 ところが、その、物怖じしないはずの私の口から、なんと、言葉が出てこないのである。

「あれ? おかしいぞ」

 と思っているうちに、焦りと緊張が込み上げてくる。顔が赤くなってくるのが自分でもわかる。私の顔を見つめている塾の生徒たちは、誰もが、近所の同じ中学校に通っている顔見知りで、始めから完全にリラックスしている。私だけが、離れた町からやってきた異分子で、しかも、一つ年下の小学生だ……。

 結局、名前を言っただけで、挨拶は打ち切りになって、以来、私は、引っ込み思案な子どもとして、その塾では、「お客さん」扱いの存在になった。

 最初の「赤くなって黙り込んでしまった」印象が、その塾での私の役柄を決定してしまったのだと思う。

 さてしかし、塾の中で、話しかけてはいけないシャイな子どもになってしまったことは、学業の上ではプラスに働いた。というのも、指名された時に恥ずかしい思いをしたくない一心で、私は、毎回、かなり熱心に予習をして授業に臨んでいたからだ。

 確かに、週2回1時間ずつの塾のレッスンとは別に、学校で週5時間の英語の授業を受けている中学1年生のクラス(←それも、選抜された優秀な生徒ばかりだった)に、生まれて初めてABCを習う小学生の私が追随できていたのは、今考えてみれば、快挙といって良いできごとだ。そのこと自体、それまでの私らしくない勤勉さだった。

 つまり、私は、「他人」に囲まれることで、「別人」になっていたわけだ。

 おそらく、子どもが「自分らしく」あることのうちのかなりの部分は、生まれ持った性格や、天性の傾向より、その子どもが置かれている場における、彼の「役割」によって後天的に決定されるところのものだ。

 家庭ではひょうきん者の次男坊として振る舞い、教室では大胆不敵な腕白坊主のキャラクターを演じていた私の「個性」も、結局のところ、用意された舞台で演じている「役柄」だったということだ。

 舞台が変わって、主役の座から引きずり降ろされ、「恥ずかしがり屋の勉強家」という想定外の役柄を与えられてしまうと、その厄介な、およそ自分とは思えない不可思議なキャラクターは、私の「暫定的な個性」として、その後の3年間、毎週2回、1時間ずつ、私を支配したのである。

 そうした「個性」ないしは「役柄」を形作る上で大事な役割を果たしているのが、「友だち」だ。

 そもそも、普段過ごしている小学校の6年1組のクラスで、私が小ジャイアンをやっていられたのも、同じクラスにノビ太やスネ夫がいたからで、私の性格自体、その彼らとの「関係」から算出された、ある種の「反応」だったということなのかもしれない。

「そろそろオダジマが何か無茶なことをやるぞ」

 というクラスの連中の期待に応えるカタチで、私は、板書する教師の背中に消しゴムを投げるみたいな、アホらしいイタズラを繰り返していたわけで、誰が笑い、誰が混ぜっ返し、誰が叱られるのかも含めて、クラス内の定番の日常は、始めから役を割り振られた芝居みたいに、決まりきっていたのだ。

 ある時、子どもの頃に父親の仕事の関係で転校を繰り返していた知り合いに、前述の英語塾の時の経験を話すと、彼もよく似た経験をしているという。

「そうそう。最初の挨拶でしくじると、結局その学校では最後までダメなヤツだった」

 やはり、そうだったのだ。

 最初の挨拶で「役柄」を決められてしまうと、そのキャラクターから逃れるのは、とんでもなく困難なミッションになる。だからこそ、思い通りの自己表現ができずにいる生徒たちは「高校デビュー」や「大学デビュー」を夢見る。彼らは、「自分」を変えるよりも「舞台」を変えるプランの方が、ずっと現実的かつ効果的だということを、本能的に知っているのだ。

「この町を出れば、新しい人生が待っている」

 と、若者の心の中には、常に旅立ちへの願望が宿っている。それゆえ、古来、青春の物語では、主人公の変貌と成長は、彼を取り巻く仲間たちの変化として描出されることになっているのである。

 転校生も、何回か同じ経験を繰り返すうちに、いつしか、初日にハッタリをカマす術を覚える。

「最初の第一声で『よろしくー』って言うんだ。それで爆笑が取れれば、成功なんだよ」

「よろしくで笑いが取れるのか?」

「取れるよ。デカい声で語尾を伸ばして『よろしくー』って言えば、小学生は必ず笑い転げる」

 なるほど。世界は単純だ。ただ、その単純な世界の単純な秘密を我々が知ることになるのは、多くの場合、手遅れになったあとだ。普通の小学生は、その闊達な「よろしくー」が言えない。で、緊張を見破られて、そのことによって、新しいスクールカーストの最下層に編入されることになる。

「あ、こいつ緊張してる」

「チキンだ」

「赤くなってやがる」

 12歳の子どもは、友だちがグレると、一緒にグレなければならない。別の場面では、友だちが急に勉強を始めると、彼もまた、なぜか勉強を始めててしまう。つまるところ、成長過程にある人間にとって重要なのは、仲間内で高い評価を得ることだけなのだ。

 その意味からすると、過干渉な母親が特定の友だちを遠ざけようとしたり、好ましい影響を与えてくれそうな友だちを押し付けようとするやり口は、理にかなっている。子どもは、付き合っている子どもと似た子どもになる。これは、避けることができない。

 母親が、私を遠く離れた町の英語塾に通わせたのも、もしかすると、私の日常の中に不良化の芽を発見したからなのかもしれない。

 事実、当時付き合っていた仲間のうちの何人かは、中学校に上がるや、いきなりグレ始めた。というよりも、私が住んでいた町では、中学校の不良グループが、同じ学区内にある小学校のめぼしい6年生をスカウティングに来るようなことが半ば常態化していたわけで、なんというのか、12歳というのは、そういう微妙な年齢だったのである。

 ともあれ、小学校6年生にして、知らない町の、友だちのいない英語塾に放り込まれた私は、母親が狙った通りの化学変化を経由して、まんまと出来杉君への道を歩み始めた。

 まあ、後から振り返ってみれば、それもまた一瞬の寄り道に過ぎなかったわけだが。

小田嶋 隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『ポエムに万歳!』(新潮社)など。

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