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──『1Q84』を除けば今年頭から大ヒットの出ていない文学界で今、地味に話題になっている小説の一群がある。タイトルに「悪」の一文字が入る小説の出版が相次ぎ、書店の店頭でフェアが開催されたりしているのだ。これは偶然なのか必然だったのか?

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映画化もされている『悪人』。

 はたして、「悪」小説とでもすべき一群が立て続けに発表され、話題となっている現状に対し、何かしらの意味を求めることは可能であろうか。

 たとえば、翻訳家の鴻巣友季子が朝日新聞(7月25日)の書評で〈「悪」のつく小説が最近多い〉といっているけれども、それはつまり中村文則の『悪と仮面のルール』や高橋源一郎の『「悪」と戦う』のことであり、島田雅彦の『悪貨』のことであり、貴志祐介の『悪の教典』のことであり、(少し前の作品になるが、このたび映画化された)吉田修一の『悪人』のことである。なるほど、見事なまでに「悪」の文字が並んでいる。が、しかし、このような指摘は必ずしも鴻巣に個性的なものではない。他の識者も同様の趣旨を述べているのが文芸誌などには見かけられる。

 もちろんトレンドには言説によって記録される側面がある以上、文体や構成、題材もまったく異なったそれらの小説を、単に題名の共通点を指しながら並べることに妥当性はあるのかどうかが、最大の焦点となってくる。このとき「悪」小説について論じる文章の多くが、村上春樹の『1Q84』や川上未映子の『ヘヴン』を引き合いに出し、それらと等しくドストエフスキー的なテーマを見いだそうとしているのは看過できない。

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