今のテレビに希望はあるのか?――幽霊、TVの国でキラキラの延長戦。

――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

「キネマ旬報」連載の時評総集編。思い入れが先立つジャンルだが、本書は物量で90~00年代テレビドラマの混沌を俯瞰している。

 小劇場演劇の悪癖を煮詰めたような悪ノリがひどいのは承知の上だが、うっかり『時効警察はじめました』(テレビ朝日系)が面白かったとか言うと、コアな小劇場演劇好きから、まるで幼女を誘拐したペド野郎を見下すような視線を向けられる今日この頃である。それでなくても、うっかり「テレビが好きだ」と言うと、意識高い系のひとから「家に帰ってテレビをつけっぱなしにしているのは、高齢者か情報感度が低いバカだ」と罵られるし、徹夜明けの朝8時に志らくの賢しらな間抜け顔を見てしまうと否定もできないのだが、だからと言ってラジオが良いかと言えば、良くもない。予算も広告収入もないから貧乏サブカルに占拠され、映画や洋ドラやスポーツを語るふりをしてイデオロギーでアジり倒す出羽守リベラルたちが闊歩しているからだ。TBSラジオのことだけどさ。だったら、動画配信特集の続きで過去のテレビドラマを語っていたほうがまだマシってものだ。結局、極東の小国は「おい地獄さ行ぐんだで!」と貧乏人同士が煽り合う不沈蟹工船でしかなかったんだから。

 そんなことを思うのは、NHK大河ドラマ『いだてん』の記録的低視聴率が、大河は髷物英雄譚でなければダメだと信じる保守層から鬼の首を取ったように毎週叩かれ、肝心のドラマはそれに反論するかのように「オリンピックの政治利用史」を語り、近代日本の失敗を遠回しに糾弾し続けているからだ。久々の近代大河ということもあり、近代日本の暗部と敗者たちを描いた山田太一脚本『獅子の時代』(80年)、市川森一脚本『山河燃ゆ』(84年)を意識しているのだろうが、再来年が朝ドラ『なつぞら』の吉沢亮が鈴木慶一似の渋沢栄一を演じる『青天を衝け』という本物の国策ドラマになる以上、最後の非国策近代大河として「とどめをハデにくれ」(Theピーズ)と思うばかりだ。

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