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第1特集
マスメディアに一石を投じる言論問題

人権と差別表現のタブー 『ちびくろサンボ』を殺したのは誰だ?【1】

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 マスメディアがその活動において最も気を使うのは、差別的とされる表現や、人権侵害にあたる表現だ。これまでに、テレビから新聞、ラジオ、出版まであらゆるメディアが、差別や思想・信条などにかかわる表現にからんで、各種団体からの抗議を数多く受けてきた。出版業界でいえば、1988年に起こった『ちびくろサンボ』(岩波書店ほか)の絶版が有名だろう。黒人差別の根絶を目指すとする人権団体「黒人差別をなくす会」からの、タイトルや挿絵が黒人差別を助長するとの抗議をきっかけに、岩波書店が絶版を決定した事件だ。

 この件で抗議をした「黒人差別をなくす会」が、黒人たちによる団体でなく、大阪府在住の日本人3人家族から成る団体だったことは、当時話題になった。それまで、マスメディアに影響を及ぼすほど大々的な抗議活動を行うのは、団体数が多く活動も派手な右翼団体や、長い歴史を持つ部落解放同盟などの当事者団体が主だったためだ。

 中でも、解放同盟による抗議活動を振り返ると、古くは67年の絵本『ひげのあるおやじたち』(今江祥智著、福音館書店)絶版回収から、近年では05年の『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)糾弾など、その数はかなり多い。解放同盟がメディアに与えてきた影響は強く、差別的とみなされる表現を行った関係者などを呼び出し、責任と差別への認識を問う"糾弾"と呼ばれる手法は70年代から恐れられていた。多くは「特殊部落」など被差別部落に対する差別表現を使ったケースへの抗議だが、と畜場へのかたよった表現や誤解なども抗議活動の契機になった。

 この解放同盟の糾弾を公に問題視したのが、90年に発売されたオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書『日本/権力構造の謎』(早川書房)だ。この本で氏は、糾弾は、表現の自由を奪う強引なやり方だと指摘。解放同盟は同書に含まれる差別語の使用や被差別部落所在地の不正確な記述などと併せてこれを問題視し、早川書房に抗議を行った。最終的には著者、出版社、解放同盟の間で話し合いが持たれ、公開討論会を行い、その議論を小冊子にして第二版に挟み込むという、それまでにない解決方法が取られた。これは出版における表現の自由と差別表現問題を解決する画期的な手法だったが、その後の事例に受け継がれることはほとんどなく、以降も当該記事の削除や出荷停止などのやり方で抗議団体の要求を一方的にのみ、事態を収拾する方法が大多数を占めた。以下でそれらの数例を見ていこう。

欄外注釈に不用意な表現 編集者の意識の低さが露呈

 93年に起こった小説『アイヌの学校』(長見義三著、恒文社)絶版事件は、アイヌ差別に関連した抗議に端を発する。同書は、もとは38年に発行された小説の復刻版で、バロオ土人学校存続の奮闘を描いている。文学作品としては評価が高いが、アイヌの容姿などに関する描写があまりに偏見や侮辱に満ちているとして、北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)札幌支部が版元に猛烈な抗議を行った。小説の巻末には人権に配慮して「人種、身分、職業、身体障害などに関する語句や表現は時代背景と作品の価値を考えあわせてそのままにした」と付記していた上、長年ウタリ協会の人々と親交を持ち、著作に関してそれらのアイヌ人から好意的な意見をもらっていた著者の作であったが、最終的に絶版・回収となった。96年には、『タイ買春読本』(アジア性風俗研究会編、データハウス)というルポルタージュが、女性差別などを理由に絶版となった。内容は日本人旅行者がタイの風俗街でカモにされやすいことを受けて、注意を喚起したものだが、買春を助長する本であるとして、94年の発売直後から「タイ女性の友」などの人権擁護団体が抗議。「『タイ買春読本』に対する抗議と報道の一部始終」と題して各団体との話し合い内容を盛り込んだ全面改訂版を出したが、2年後、絶版が決定した。

 少々異質なところでは、「別冊フレンド」96年3月号(講談社)に掲載された連載マンガ『勉強しまっせ♡』(みやうち沙矢)が、少女マンガにしては珍しく、抗議を受けて謝罪・連載中止となっている。登場人物の兄が大阪市西成区に住んでいるというエピソードに際し、西成区の説明として編集部が「※大阪の地名 気の弱い人は近づかないほうが無難なトコロ」と、欄外に注釈を入れた。これに対し、西成区の住民などが発行元の講談社に抗議。西成区には大きな被差別部落と、釜ヶ崎というドヤ街が存在するが、このときは、読者である当該地域の子どもたちからも声が上がった。一連の抗議やその後の話し合いを経て、連載は中止、講談社は同誌8月号に「お詫びと連載中止の経過」を掲載し、事件は一応の決着を迎えている。

メディアと団体の協力でトラブルの減った00年代

 しかし、00年代に入って以降、各種団体による抗議活動は目立たなくなってきている。昨夏の映画『靖国』をめぐる騒動が、一部で注目を集めたくらいで、大々的な事件に発展することはほとんどなくなってきた。解放同盟も例外ではなく、マスコミを騒がすような糾弾活動は、近年では目立たない。その理由を、人権問題に絡んだ抗議事件に詳しいジャーナリストの長岡義幸氏はこう分析する。

「出版界でいえば、差別的な問題表現などがあった場合、糾弾会の前に確認会という話し合いの場が持たれ、ほとんどそこで事態を収拾しています。解放同盟との窓口的な組織として、大手出版社を中心に出版・人権差別問題懇談会が作られ、部落差別にかかわる表現について、日常的にやり取りをするようになりました。これが出版社にとっては実質的な危機管理につながり、結果的に大きなトラブルは少なくなったのです」

 ただ、抗議活動が目立たないのは、解放同盟の内部事情が関係しているとの見方もある。

「糾弾という激しい抗議活動は行うべきではないと考える人たちがいたり、派閥争いも続いてきて、組織全体が一枚岩ではなくなっているようです。同時に、若い世代の組織率も低下していて、解放同盟の組織としての力の衰えも、抗議活動が減った理由としてあるのではないでしょうか」(同)

タブー感が薄れた今こそメディアは気の引き締め時

 人権や差別問題とは論点が異なるが、そのほかにマスコミへの抗議を行う団体というところでいえば、右翼団体もそのひとつに含まれるだろう。しかし、最近はこちらも抗議行動が減りつつある。その理由を新右翼団体・一水会最高顧問の鈴木邦男氏に聞いた。

「右翼については、活動人数が減っていることが最大の理由でしょう。かつては800団体12万人といわれていたのが、団体数はさほど減っていないものの、今では熱心に活動している人数は3000人程度じゃないでしょうか。その分だけ抗議も減って、街を流す街宣車の数も少なくなりました。70年代や80年代は右翼団体も活発で、抗議行動が多かったのですが」

 そもそも戦後の右翼団体は、共産主義国家の総本山であったソ連(当時)、さらには左翼的イデオロギーを掲げて教育改革を推し進めた日教組をターゲットにして、活発な活動を繰り広げた。それがソ連の崩壊と日教組の衰退によって、現在は目標を失っている状態にある。

「2つの大きなターゲットを失って、今は中国や北朝鮮の反日勢力くらいしかない。活動の名目を失ったわけだから、街宣車によるデモンストレーションや抗議活動が目立たなくなるのは当たり前です」(鈴木氏)

 しかし、多くの抗議行動はやみくもな怖さを先立たせ、抗議した側の主張が十分に伝わらなかったり、さらなる差別感情を助長させる可能性が高いように感じられる。

「ちゃんと話し合えばいいのに、言論手段を持たない多くの右翼は他団体に比べて抗議行動に命をかける傾向が強く、それがより一層マスメディアや一般市民をおびえさせることになっている。言論手段として街宣活動はやるべきだが、ただ街宣車で軍歌を流しながら走って、戦闘服姿で威嚇するやり方はもうやめるべきでしょう」(同)

 ここまで見てきたように、かつて強い影響力を持っていた解放同盟と右翼による抗議活動が減ったことで、マスメディアにおける抗議にまつわるトラブルは表面的には減少している。しかし、ことはそんなに単純ではない。

「今は差別問題が表面化しない分だけ、実態が理解されにくくなっている。メディア側が長い間自主規制してきたために、若い世代が差別の実態を知らないということもある。その世代が作り手に回るようになってきて、メディアの中でも事情に通じていない人が増えているのが現状でしょう」(前出・長岡氏)

"触らぬ神にたたりなし"とばかりに、マスコミを含む社会全体が事なかれ主義で通してきたツケが、これから一気に噴き出す可能性は逆に高まっている。各種団体がトーンダウンして抗議が減ったからといって、メディア側に求められるものは変わっていない。
(笠谷寿弘/取材・文)

消えた言葉は数知れず...
あの言葉は本当に差別用語だったのか?

 マスコミが各種団体から抗議を受ける発端になりがちな"差別用語"。しかし、もともと差別用語に明確な定義やガイドラインはなく、放送や出版など、媒体や企業によって、その扱い方の取り決めは異なっている。差別用語は大きく、同和問題に代表される身分差別、男女差別、人種・民族・宗教差別、職業差別、障害者差別などに分けられるが、時代ごとの差別意識の変化で、言葉の扱われ方も微妙に変化してきている。

 かつては日常会話にも頻繁に登場した差別用語といえば、身体障害者差別に当たる「めくら」「おし」「つんぼ」「びっこ」「ちんば」などだ。これらは若い世代では死語になっていると言えるほど、日常で使われることはなくなった。精神障害者への差別だとして使えなくなったのは「気ちがい」だ。80年代に言葉狩りの嵐が吹き荒れた当時は、その延長上にある「○○キチ」、たとえば「釣りキチ」や「虎キチ」なども表現として適切ではないとされた。

 同和問題に関しては、「士農工商代理店」「士農工商芸能人」などと、士農工商の区分になぞらえた表現が身分差別だと抗議を受けた事例があり、これも差別用語のひとつと判断されるようになった。職業差別のたぐいでは「土方」「土工」「百姓」「坊主」なども避けられる場合が多い。

 マスメディアはこうした言葉をできるだけ使わないようにすることで摩擦やトラブルを避けようとしているが、業界共通の差別用語の"虎の巻"があるわけでない。放送の場合は日本民間放送連盟が自主規制の基本ラインを持っているので、それに準じるが、現状は結局、制作スタッフの判断に委ねられている。新聞社は、朝日新聞が差別用語の資料を作っているが、各社とも、整理部や校閲部の判断を仰いでいるようだ。出版は原則、新聞社のルールに準ずることが多いが、これまた校閲スタッフと編集長クラスの判断によることが多い。

 現在でも時折、生放送番組で「ただいま不適切な表現がありましたのでお詫びします」と突然司会者が謝ることがあるが、説明はなされないため、視聴者の側は、何が不適切だったのかわからないこともあるだろう。これでは差別用語の背景にある差別意識を払拭することにはならず、本来であれば「○○という言葉は△△差別に当たるので、今後は使いません。お詫びします」と言わなければ、うやむやのまま言葉だけが消えていくことになる。

 つまり、メディアでの差別用語の使用禁止は単なる言葉狩りであり、差別の解消には決してつながらない。反対に、自主規制をかければかけるほど、ますますタブー化は進んでしまう。差別を被る立場からすれば、差別用語が使われなくなったことへの安心感はあるだろうが、それだけでは社会の問題点はなんら変わらないままだ。


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