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第1特集
ジャニーのレガシー

アイドル帝国が遺した光と影 具現化された「ジャニー喜多川の欲望」

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――今年、60年以上の歴史を持つアイドル帝国「ジャニーズ事務所」の名前が消えた。だが、ファンに支持され、男性アイドル界を牽引してきた唯一無二の「ジャニーズらしさ」は、エンタメ界に残すべき遺産のはずだ。今こそ「ジャニーズが残したもの」「今後も旧ジャニーズタレントたちに継承していってもらいたいもの」を語るときだろう。そこで、各分野の識者たちに「受け継がれるべきジャニーズのレガシー」を聞いた。ドラマ、音楽、ダンス、衣装…どこに「ジャニーズらしさ」を感じるかは十人十色。あなたの心に「ジャニーズが残してくれたもの」とは?

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ジャニーズを生み出し、ジャニーズを崩壊させた張本人……ジャニーさんが、ジャニーズで貫こうとしたものは? 彼が生み出したジャニーズとは? そして、ジャニー喜多川とは? アイドル評論の草分け、中森明夫さん、教えて!


中森明夫(なかもり・あきお)
アイドル評論家/作家。1980年代から、アイドルほか、サブカルチャー全般を批評対象として執筆。「おたく」という言葉の生みの親。『アイドルにっぽん』(新潮社)、『東京トンガリキッズ』(角川文庫)、『午前32時の能年玲奈』(河出書房新社)、『アイドルになりたい!』(ちくまプリマー新書)など著書多数。今年11月には、アイドル評論歴40年の総決算として『推す力 人生をかけたアイドル論』(集英社新書)を上梓した。


ジャニーズというものを語るうえで、まずはジャニー喜多川という人物は一体何者だったのかということを考えないといけない。

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メディアにほとんど登場することがなかったジャニー喜多川氏。残された彼自身の言葉も少ない。

しかし、このジャニー喜多川という人物は、いまだに謎が多い。高野山のお寺の息子としてアメリカで生まれて、朝鮮戦争に従軍して、ワシントンハイツ(在日米軍宿舎)に住んでアメリカの軍属の仕事をして、近くに集まる少年たちで野球チームを作ろうとして、そんな中で見た『ウエスト・サイド物語』に衝撃を受けて自分でミュージカルを作ろうとジャニーズ事務所を立ち上げて……という経歴が一部で語られてきたが、果たしてそれらはすべて事実なのか。実際に会ったことがある人も少なく、我々が知るのは、そういったプロフィール的な逸話やジャニーズのアイドルがものまねするジャニーさんでしかない。

実像がつかみにくい理由はもうひとつ。ジャニー喜多川という人物は、もっとも多くのナンバーワン・シングルやコンサートをプロデュースした人物としてギネスブックに載るような輝かしい偉業を成し遂げた。しかしその裏では、下手すると1000人を超えるかもしれない数の少年に対する性加害者であったという、おぞましい人間でもあった。中心が1点の円ではなく、中心点が2つある楕円のような二面性を持つ部分に着目しないとこの人物をひもとくことができない。しかも不思議なことに、ジャニーズには、こういう2つの軸を持つことで成り立つものが非常に多い。「ジャニー」と「喜多川」という名前からもわかる、すなわちアメリカと日本という2つの祖国、ジャニーとメリーという異能のきょうだい、SMAPを育てた飯島三智とメリーの娘・ジュリーの確執……。

そうした中で、間違いなく言えるのは、ジャニーズとは、ジャニー喜多川というひとりの男の欲望を具現化したものであったということ。ジャニーがやろうとしたことは生涯変わっていなくて、日本でアメリカのようなミュージカル、しかも少年たちによるそれを作り出し、少年の輝きをステージでもっとも美しく見せること。それが彼の生涯のミッションだった。その輝きを放つ少年を見抜く力、やっぱりそこはすごかったんだと思う。僕も「全日本国民的美少女コンテスト」の審査員として、当初は選外だった上戸彩を選んだ男だから(笑)、そういう能力のすごい人がいることはよくわかる。ただし、その欲望の具現化は、晩年に至るまで性加害と直結したものであったこと、しかもそこに触れることがタブー視され、批評や批判を一切許さず、御用メディアが名プロデューサーのイメージを作り続けてしまったことは大きな問題だった。

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