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DJ DARUMA & JOMMYの「BLACK PAGE」【15】

【サイゾーpremium特別版】好きなものを好きなだけ JUN INAGAWA 参上

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――ダンスフロアからの新たな刺客。DARUMAとJOMMYの画期的音楽探究。

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(写真/岩澤高雄[The VOICE])

「職業・絵描き」であり、今やDJ/クリエイター/イベンター/デザイナー/マンガ家など、あらゆる肩書をフルスロットルで炸裂させているアーティスト、それがJUN INAGAWA。今年23歳の時代の寵児は、高校時代からあたため続けてきたマンガ『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』のアニメ化にまでたどり着いた。そんな彼の破天荒でユニークすぎる人生を、ダルジョミが解体!

DJ DARUMA(以下、D) 今月はJUN INAGAWAくん(以下、ジュンくん)をゲストに、彼のアトリエにお邪魔しているんですが……そもそも僕が先日ここにお邪魔しまして、現在に至るまでのヒストリーを聞いたら、めちゃくちゃ面白くて、かつドラマチックすぎたので、連載でも紹介というか、記録を残しておきたいと思いまして。早速、ジュンくんの子ども時代から話を聞きたいんですが、お父さんの教育理念についてから教えてもらってもいいですか?

JUN INAGAWA(以下、I) 父親が日産のインテリアデザイナーで、「キューブ」の2代目か3代目のデザインを担当した人なんですね。日頃から絵を描いている父だったので、息子にも絵を描かせたい気持ちが強く、僕も小さい頃から隣で絵を真似て描いていたんです。小学校になって「コロコロコミック」(小学館)と出会い、『イナズマイレブン』とかマンガやアニメが大好きになって。その頃の父親は「マンガは悪いものじゃない。どんどん読め」って言ってくれていて、読んでは(絵を)真似てを繰り返していたら、「ジュンが将来マンガ家になりたいのなら、全力でサポートするから」とも言ってくれてたんです。

D そんなときに海外へ行く話が出るんだよね。

I 僕が小学校6年のとき、父のサンディエゴ転勤が決まったんです。僕としては小学校を卒業して、「みんなと中学校も一緒やね!」って盛り上がってたので、その話を神妙な顔つきで言われたときは、「ふーん、引っ越すんだ……え、アメリカ!?」みたいな、ガキの僕には衝撃すぎました。でも、「絶対ヤだ!」でもなかったんですよね。なんとなくですけど「アメリカいいじゃん」みたいな。小学校を卒業して、いざアメリカに、と思ったんですけど、海外の入学式は9月だから、「3カ月は日本の中学校に行けるよ」と言われ、通うことになったんです。「どうせ俺はここにずっといられない……」という劣等感を持ちながら通学し、友達は「あの子のおっぱい、中学2年くらいで開花するぞ! 絶対デカくなる!」とか盛り上がってるんですけど、俺はその子のおっぱいの成長を見届けることもできないんだな……って虚無感に襲われて。俺も一緒に下校時間に友達と肩組みながら「あいつはおっぱいデカくなんぞ〜!」とかやりたかったけど、ひとり虚しくiPodでBUMP OF CHICKENを聴いてました。で、3カ月が経って海外へ移住しました。

D その間も絵は描き続けていた?

I ずっと描いてました。ただ、日本でマンガ家になりたかったので、海外に移住してまで「絵を描く意味とは?」まで考えるようになっちゃったんですよ。でも父親は「現地にはアートセンターもあるし、アートデザインの学校でもトップクラスの大学がある。絶対に視野が広がるし、言語も増える」と。本当は両親の実家に預けられることもできたんですけど、そこには父親の意図もあったみたいで。とりあえず3カ月間通った日本の中学校ではお別れ会も開いてもらえたんですね。でも、たった3カ月だし、見送ってくれる生徒も全然感極まってないんですよ。「いってらっしゃい」と簡素に会も終了して、アメリカに行くんですが、初日からキツかった。

JOMMY(以下、J)  まったく英語は話せなかったんだよね?

I 父親は普通のパブリックスクールに入学させたんですよ、僕を。なので、入学式初日から何を話しているかまったく理解できない。とりあえず言いますよね、「I don't speak English」って。でも、日本人がめずらしかったのか、それなりに人気者になって、そうなったらサヴァイブしていくしかなくって、校庭で行われてるサッカーに「ジャパニーズ・サッカー、ケイスケ・ホンダ!」とか言いながら無理やり混ざったりしました。もともとフットサルをやっていたんで、技術が伴えば言葉はいらない。だからもう、「サッカーでカマすしかない!」精神でサヴァイブしていたら、「ちょこまかすばしっこい日本人」ってメキシカンの先輩が仲良くしてくれるようになって。そこから英語を教えてもらったり、昼メシも一緒に食うようになって、3カ月くらいでリスニングはできるレベルにまで到達し、英語を話せるようになったのは、1年くらいだったと思います。

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JUN INAGAWA
1999年、東京都生まれ。マンガ家になる夢を抱いた少年が12歳でアメリカに移住し、SNSにアップした作品をきっかけにファッキン・オーサムやヴィーロン、ディーゼルといった世界的な名だたるアパレルと仕事をこなす。15歳から構想していたマンガ『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』のアニメ化も決定。
Instagram〈madmagicorchestra

D でも1年で覚えられちゃうんだ。

I いきなり話せる日がやってくるんですよ。これって絵を描くことにも同じことが言えて、「うーん、微妙だなー。ちょっとクセを与えたらポーンいきそうな気がするんやけど……」って理論と一緒。

J アメリカ滞在中、日本ではオタクカルチャーが盛り上がっていたと思うんだけど、それをアメリカから見ていた感じ?

I 1年に1回、夏に帰国していたので、その時に一気にいろんな情報をキャッチアップしつつ、アメリカではネットを駆使してアニメやマンガの情報をチェックしてました。日本のアニメの評価って世界共通なので、アメリカにいてオタクがバカにされることってなかったんですよ。でも、とにかくやることがなかったから、ひたすら家で絵を描くかアニメをチェックするかで、非現実にばかりのめり込んでました。

D 学校に行けば英語でカルチャーはアメリカ、でも家に帰れば日本のスタイルってことだよね。

I アメリカンとジャパニーズ、どっちも楽しんでたと思います。実は学校に日本人もいたんですけど、あまりつるまなかった。探求心とリスクを背負うことでワクワクする気持ち、というのが根本にあるんだと思います、僕。たとえ打ちのめされても思いきり悲しめばいいか、くらいで。

D そんな二分化した生活から「FUCKING AWESOME(ファッキン・オーサム)」(※90年代のNYスケート・シーンを代表するアパレルブランド)のTシャツを手がけることになるエピソードが本当に濃いんだよね。

I 高校に進学して3年目くらいで、そろそろ将来の夢を現実にしていかないと……と思い、15歳くらいから考えていた物語をネームにしていたんですね。ありがたいことに進学した高校がPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)だったので、授業をサボってマンガを描いてても怒られたりすることもなかった。それで高校4年生のときに、僕の叔父の友達で、パンクとかストリートカルチャーがめっちゃ詳しい「ノリさん」って人から――もともとは僕が10歳くらいからお世話になってて、身内からは“悪いおじさん”として知られてる人なんですけど――「ジュンがマンガやアニメから影響されて絵を描くのはいいけど、もっとほかのものからも吸収したほうがいいんじゃないか?」って言われて、ファッキン・オーサムや『cherry』(※ウィリアム・ストローベックが手がけた「Supreme」によるスケートムービー)を勧められたんです。僕のようなオタクからしたら、スケーターとかただのチャラいパリピで、ドラッグとかやってるに違いない! とか思ってたんですけど……それはもう、超かっけーんすよ。Tシャツを裏返しに着てるだけでかっけー。しかも『cherry』に出てくる人たちのスケートは競技じゃないから、街中の至るところが彼らにとっては自由に表現できるキャンバスなんですよね。下書きをなぞって完璧になものに仕上げるとかじゃない、そのコンセプトが絵の自由度とリンクして。もともと手がデカかったり、異様に足が長かったりするカートゥーンっぽい絵が好きだったから、そのスケートの誇張されてる雰囲気やスタイルもすごくクールに映ったんです。
 


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