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大石始のマツリ・フューチャリズム【61】

見つめ直すマツリのあり方

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――21世紀型盆踊り・マツリの現在をあらゆる角度から紐解く!

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「伝統がなければ作ればいい」――日本の祭りをディープに考察し、時に苦言を呈してきた本連載。大石さん、5年間お疲れさまでした!  今夏こそ祭りの現場で乾杯しましょう。(写真:大石慶子)

2016年7月号から始まった本連載「マツリ・フューチャリズム」も今回で最終回を迎えることになる。スタートから約5年半、本誌では少々毛色が違う連載だったかもしれないが、ご愛読いただいたみなさまに感謝しております。長年ありがとうございました。

この連載が始まった16年は、盆踊りの持つさまざまな側面に対して急速に注目が集まりつつあった時期にあたる。東日本大震災をきっかけに高まった「21世紀のディスカバー・ジャパン」的な気運のもとで新たな盆踊りが次々に立ち上がり、盆踊りや祭りの持つコミュニティ活動としての可能性や、ブロックパーティ的な魅力が再考された。

僕自身は11年頃から盆踊りや祭りの取材を重ねていたが、正直、当初はどこのメディアに企画を持ち込んでも、あまりいい反応は得られなかった。だが、15~16年頃からだろうか「盆踊りや祭りを新たな視点から紹介してほしい」という依頼が急増し始めた。いま思い返すと、13年に東京オリンピックの開催が決定し、20年の開催年に向けて「盆踊り」というツールをうまいこと使ってやろうという連中がぞわぞわと動き出した時期でもあった。その頃、盆踊りはブームになりつつあった。

それでも、その当時は盆踊り・祭り界隈に一種の高揚感のようなものがあったのも確かだ。ここから新たなダンスカルチャーが生まれるかもしれない。あるいは伝統的な踊り文化が再注目され、継承が推し進められるかもしれない。少なくとも僕の中にもそんな期待感があったし、連載開始当初は、それに同調するテンションの高さがあったように記憶している。

だが、東京オリンピックの開催が近づき、運営面でのグダグダが見え始めるとともに、オリンピックに向けて立ち上げられた盆踊りの化けの皮が剥がれていく。今だから書くが、広告代理店が仕切った盆踊りの中にはろくでもないものが山ほどあったし、盆踊りに対して一切愛着を感じさせない“盆踊り風”イベントには怒りさえ感じることもあった。

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