――すべてのビール党に捧ぐ、読むほどに酩酊する個性豊かな紳士録。
JR水戸線・結城駅から徒歩10分。居酒屋「LOTUS」の一角に、結城麦酒醸造は誕生した。ブルワー・塚越敏典さんの自慢のラインナップをぜひ味わってほしい。
異業種からの転身が珍しくないクラフトビールの世界。今回ご登場いただく茨城県・結城麦酒醸造の塚越敏典さんは、中学校の元校長先生というユニークなキャリアの持ち主だ。
「本当は教員になるつもりなんてまったくなかったんです。ところが、公務員になってほしいという親の強い希望から教職課程を取り、結局そのまま教員になってしまいました」
翻意のきっかけは、教育実習で子どもたちから「ぜひ先生になってほしい」と熱望されたことだった。
「そんなに必要としてくれるのなら、誰もが納得するいい先生になってやろうと。37年間の教員生活はいろいろありましたが、結果的には定年まで勤め上げ、このブルワリーを立ち上げる際も、かつての教え子たちが設計や施工などさまざまな面で手伝ってくれました。これでよかったのでしょうね」
そう言って微笑む塚越さんが、結城市内に結城麦酒醸造をオープンしたのは、昨年7月のことだ。
一昨年の3月に地元の結城中学校長を定年退職した後は、再任用で県内の美術館職員に収まった。これが「週4日勤務で高待遇」だったそうだが、塚越さんはほどなく舵を切り替える。
「ずっと教え子たちに、失敗を恐れず挑戦しろ、なんらかの分野で名を成す人間になれと言い続けてきました。それなのに、自分はこのままのんびりと第二の人生を送っていていいのかなと、疑問を感じ始めたんです」
教員時代の口癖は、「NO PLAY NO ERROR」。世のため人のために、まだできることがあるのではないか。定年を迎えた自分にも、まだ挑戦すべきことがあるのではないか。そんな思いに駆り立てられた塚越さんがたどり着いたのが、クラフトビールだった。
「新しいことを始めるにしても、還暦を超えた自分が元気に動けるのは、せいぜい20年程度。20年でこの生まれ育った結城市に名を残すには、まだこの地域にない新しいものを創るのが手っ取り早いと考えました」
60代とは思えぬバイタリティで、口調もソウルもとにかく熱い塚越さん。現役時代はさぞ人気の教員だったことだろう。
とはいえ、ビール造りはまったくの素人。そこで塚越さんは手始めに、県内のブルワリーが提供する醸造体験プランを申し込む。完成したビールを仲間たちに振る舞ったところ、これが思いのほか好評で、ならば本格的にブルワー修行に励もうと、栃木県内のブルワリーに通い始めた。
同時に、醸造所の開設準備にも着手。ちょうど、市内で息子が営んでいる居酒屋に空きペースがあったことから、そこを大がかりに改装し、結城市初のビール工房を完成させた。
現在、ラインナップはIPAやヴァイツェンなどの定番を含めた全13種類。「味来(みらい)」という結城産トウモロコシを使った『ゆうきみらいALE』をはじめ、地産の食材を積極的に取り入れているのが特徴だ。
地域のメディアに取り上げられる機会も多く、市が推奨する「結城ブランド」の認定を受けるなど、滑り出しは極めて順調に見えるが――。
「実際にやってみると、思っていた以上に大変な世界です。醸造はもちろん、書類作りや営業などすべてひとりで行わなければなりませんし、仕込んだタンクがちゃんと発酵しているかどうかと考え出すと、夜も眠れません」
なによりの“誤算”は経営面だ。
「今の設備と体制では、生産量は年間2万リットルが限度。これを1リットルあたり1000円で売ったとしても、総売上は2000万円です。ここから22%の酒税や原材料費、家賃、光熱費といったコストを差っ引くと……、こうも儲からないものかと泣きたくなりますよね(苦笑)」
とはいえ、まだ新たな挑戦は始まったばかり。それぞれの得意分野でサポートしてくれる教え子たちの力も借り、エネルギッシュに頑張っている。
ちなみについ先日、こんな出来事があったという。
「帳簿をつけていたら、なぜか原材料の大麦が10キロ余っているんです。よくよく調べてみると、代わりに小麦が10キロ足りません。そこでハッと我に返りましたよね。材料を間違えて仕込んでしまったんだと」
ところが、これがライトでビターな美味しいビールに仕上がった。まさに怪我の功名で、これを『プレミアムエール』として限定販売したところ、大好評を得たという。
そんなルーキーらしい失敗を糧としながら、いつか醸造所を拡大し、さらなる量産体制を整えたいとの目標を掲げる。将来的には、地域の障害者雇用に貢献する夢もある。
元校長先生の挑戦、引き続きご注目いただきたい。
友清哲(ともきよ・さとし)
旅・酒・洞窟をこよなく愛するフリーライター。主な著書に『日本クラフトビール紀行』(イースト新書Q)、『一度は行きたい「戦争遺跡」』(PHP文庫)ほか。