――2009年にデビューを飾り、一躍日本語R&Bシーンのトップに躍り出たJASMINE。時代の潮流を見逃さず、自由自在にシーンを回遊していたかと思いきや――数年の沈黙を経て、重い口を開く。
(写真/cherry chill will)
2009年、シングル「sad to say」でメジャーデビューを飾ったシンガー、JASMINE。ピンク色の髪と大人びたメランコリックな歌声は、一瞬にして多くのリスナーの耳をとらえ、チャートや賞レースを総ナメにした。自身は「デビュー当時は19歳で、最初の1曲でそんなに状況が変わるなんて思ってもいなかった。目まぐるしい日々で、自分もそれについていけず、孤独感も味わった」と当時を振り返る。作品の数が増え、ファンとの距離感が縮まっていくも、徐々に自分と所属レーベルとの間には溝が深まっていった。
「『こういうのが好きでしょ?』ってレーベル側から提案されるんですけど、それが全然好きじゃないものだったりする。“ファンの人が気に入ってくれるものを作ろう”という姿勢で制作が進んでいく中、だんだん自分が自分じゃなくなっていく感覚に陥った。たとえリリースした作品が良い結果を生んでも、喜んでいない自分もいて。ズレがズレを生んでいく――そんな状況になっていました」
若くしてデビューし、順調に大きなステージを踏んでいったJASMINE。そのズレは心身ともに相当負担をかけていた状態で、そのストレスや鬱憤を晴らすために「お酒を飲み散らかしていた」という。
「レーベルから“痩せろ”と言われ続け、ご飯を食べているだけで怒られた。だからお酒をひたすら飲んでいたんです。結果的に不健康な痩せ方をして、生理不順になり夜も眠れなくなった。そうしたら声も出なくなってしまって、レコーディング前になんとかボイトレで元に戻す作業。毎日が限界でした。ストーカーにつきまとわれることもあって、不安なことがあると泡を吹いて倒れちゃうことも。それが22~23歳のときでした」
華々しいデビューの裏で壮絶な経験を経た彼女は、10年代半ばからフリーでの活動をスタートする。
「お世話になった人たちのことを思い出すとツラかったですけど、逆に本当の自分に戻れるんじゃないかなって思いました」
そんな彼女がデビュー10周年を迎える節目の年に、新たに立ち上がる。仲間と共に設立したレーベルから新アルバムを発表したのだ。
「レーベルは昔からの友人を含め、4人で運営していて、とにかく毎日楽しく制作に臨めています。『これはいい、これはダサい』って感覚が一緒だから、メジャーに在籍していた時代のように細かく言わなくてもわかってくれるんです」
結果、AK-69や5lackなどの多彩なラッパーたちが参加した新作『JASMINE 2.0』が完成した。制作とリリースにあたり、JASMINEはクラウドファンディングにて資金を調達し、見事、目標金額に対して250%以上の達成率を記録。
「正直、ファンなんて残っていないんだろうなと思ってたんです。前のレーベル時代にはスタッフから『だから売れねえんだよ』とか『才能がない』とか言われていたし、何かを挑戦することに対して、期待していない時期もあった。でも今回は予想を遥かに超える結果になって、ちょっと震えました。昔からのファンのあたたかい声や、同じプレイヤー側からも“いいね!”という声をたくさんもらっているので、とてもうれしいですね」
この音楽業界、アーティストが10年間活動を続けていくのは非常に難しい時代。一度メジャーから離れ、新たなチャレンジを試みるJASMINEにとっては、なおさらだろう。ただ、「今はリラックスしていて、10代の頃の気持ちに戻ったみたいに毎日ワクワクしてるんです。とってもヘルシーで体の状態もめっちゃいい。ほかにもEPをリリースしようと思って、いろいろ作っているところ。3月にはリリースライブもあるし、今、最高に楽しいです」と語る彼女の行末には、カラフルな未来が待っていそうだ。
(文/渡辺志保)
(写真/cherry chill will)
JASMINE(じゃすみん)
1989年、東京都生まれ。17歳前後から当時のニックネームだった〈ジャスミン〉をアーティスト名に掲げ、活動をスタート。09年にデビューシングル「sad to say」をリリースし、一躍トップシンガーに。その後、長年在籍したメジャーレーベルを離れ、インディで活動。クラウドファンディングのサクセスを機に、本格的に再始動する。『JASMINE 2.0』音楽配信サイトで絶賛配信中