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オトメゴコロ乱読修行【58】

女性性を超越したゴッドマザー『マレフィセント』が示す闇落ち女子の生きる道

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――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

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 60年前のディズニー長編アニメ『眠れる森の美女』(59)の悪役であるマレフィセントを主人公にした実写映画『マレフィセント』(1作目は2014年公開、続編『マレフィセント2』は現在公開中)が、いろいろとザワつかせる内容だ。

 本作は、長らくディズニーが“プリンセス=聡明な美女”という社会的強者側から描いてきた物語を、“誰からも疎まれる悪役”たる社会的弱者の側から描きなおす、歴史的転向の体現ともいえる。この「社会的弱者」が現実世界で示すのは、「王子様と結婚して幸せに暮らしましたとさ」と形容される以外の、すべての女性にほかならない。

『眠れる森の美女』はこんな話だ。ある国で姫が誕生してオーロラと名付けられるが、誕生セレモニーに呼ばれなかった魔女マレフィセントは腹いせに、「16歳の誕生日の日没までに糸車で指を刺して死ぬ」という呪いをオーロラにかける。オーロラの父王ステファンは国中の糸車を焼却し、オーロラを安全な場所に隔離。しかし16歳の誕生日日没の直前、彼女はフィリップ王子と出会って一目惚れ。そこにマレフィセントが登場して呪いが実現し、オーロラ姫は眠りにつく。が、フィリップがマレフィセントを倒し、オーロラにキス。すると呪いが解けて結婚。めでたしめでたし。

『マレフィセント』1作目では、この話を大きく4つの点で改変した。

(1)マレフィセントが呪いをかけた理由は腹いせではなく、幼い頃に愛を誓いあったステファンが権力欲にとりつかれて裏切ったから、その報復。
(2)オーロラの世話をする妖精たちがあまりにもポンコツなのを見かねたマレフィセントが、隔離中のオーロラを陰から守護し、成長を見守る。
(3)眠りに落ちたオーロラを目覚めさせたのはフィリップのキスではなく、マレフィセントのキス。
(4)オーロラとマレフィセントは疑似母娘として仲良く暮らす。

 なお、2作目ではオーロラとフィリップとの結婚話が持ち上がり、フィリップの母がマレフィセントを敵視することからバトルが始まる。

 2作に共通して取り扱われているのは、ズバリ「母性」と「貧困」の問題だ。

 まず「母性」。1作目では(3)が示すように、彼氏の愛より(疑似)母親の愛のほうが強いものと断定される。このシーンは事実上、1作目最大のキモにしてサプライズだ。ちなみにオーロラの母は亡くなっているので、「生みの親より育ての親」という主張も強い。

 2作目では、フィリップの母親が、マレフィセントが人間ではないことを理由に、「オーロラの本物の母親として扱わない」と差別的な態度を取り、マレフィセントが激ギレする。マレフィセントにとって「母であること」の否定は、これ以上ないアイデンティティ・クライシス。この事件を発火点に、国家間の戦争が巻き起こる。

 そして「貧困」。1作目、ステファン少年は貧しいがゆえに、マレフィセントへの愛よりも王座の権力欲に負けてしまう。2作目ではフィリップの母親が、マレフィセントの国を殲滅しようとする。その動機は、かつて彼女が貧しく、富めるマレフィセントの国をやっかんでいたから。

「母性」「貧困」は、2つとも、現代のシングルマザー問題を容易に想起させるキーワード。さすが、隙あらば社会性批評とポリコレをファミリー向け娯楽映画にも滑り込ませてくるディズニー、あっぱれ!……と、話はそう簡単にまとまらない。

 マレフィセントをひとりの女性として見た場合、彼女自身にロマンスがないのだ。少女時代にステファンに裏切られて闇落ちして以降、恋とは無縁で年を取り、途中全部すっ飛ばしてヒロインの疑似母親になってしまった悲哀。恋愛をすっ飛ばして突然母になる――貧困少女が行きずり男の種で懐妊・出産、乙女の青春を謳歌する間もなく、いきなり母になったようなもの。

 マレフィセントは、母の喜びは得たが女の喜びは得ていない。2作目のラスト、圧倒的な強さで敵をなぎ倒すマレフィセントは感動的にカッコ良く神々しいが、そのゴッドマザー感は、女性性というものを超越してしまっている。すでに、「現役のオンナ」ではないのだ。強くなりすぎたゆえ、すべてを達観しすぎたゆえに、もはや彼女は「恋をする」プレイヤーにはなれない。超越者にして裁定者、意地悪く言うなら「研ぎ澄まされた最強スペックのお局」の座に上がってしまった。合コンには、もう呼ばれない。

 マレフィセントが示す女性の生き方を考えるとき、ヒントになるのが、過去にディズニーアニメが“理想”としてきたプリンセス像の変遷史だ。

『白雪姫』(37)や『シンデレラ』(50)の頃のプリンセスは、基本的には王子様に救われるだけのか弱い存在だった。彼女たちのゴールは「王子様との結婚」である。

『リトル・マーメイド』(89)以降、プリンセスたちはお仕着せのお姫様イメージを嫌い、自分の意志で行動して運命を切り開くキャラクターとして描かれていった。それが極まったのが『アナと雪の女王』(13)であり、彼女たちのゴールは「今の境遇における自分らしさの獲得」だった。

 そして『シュガー・ラッシュ:オンライン』(18)では、ドレスも着ない、異性とのカップリングにも血統にも悩まないヒロインが誕生した。彼女の目指すゴールは「完全なる自由意志による生き方の決定」とでも呼ぶべきものである。

 度重なるアップデートによって「自立してキラキラした女子の成功」の最新型ロールモデルを、プリンセスという器で表現してきたディズニー。しかし、ディズニーは再度自己総括する。「じゃあ、プリンセスという器にまったく縁がない闇落ち女子は、どう生きればいい?」そこで出てきた答えが『マレフィセント』である。

 マレフィセントは、プリンセスとしてではない「別の仕上がり方」をする。パートナーを得る喜びではなく、社会貢献による自尊感情の充足を求める生き方だ。恋愛をすっ飛ばして(諦めて)、オーロラの母になり、国家間の架け橋として、渦中に身を投じる。「尊いおひとりさま」とでも呼ぶべきか。これって多様性? オルタナティブな選択肢? うん、素晴らしいと思う……よ。

 マレフィセントが体現する「尊いおひとりさま」は、ひとまず作中では肯定された。が、その「正しさ」の耐用年数がいったいどれくらいあるのかは、誰にもわからない。

 参考までに、オーロラ姫の呪いの有効期間は16年だったが、今から16年前、日本社会の空気はいかなるものだったか。2003年といえば、酒井順子のエッセイ『負け犬の遠吠え』がベストセラーになった年。酒井は同書で、30代半ばを過ぎても独身でいる女性を「負け犬」と呼び「負け犬は都市文化発展の主なる担い手」として痛快な“下からマウンティング”を展開した。

「独身女性が、他にすることが無いから『知的好奇心』という耳障りの良い言葉を言い訳にして歌舞伎を観るように、既婚女性は他にすることが無いから『愛』『母性』という言葉を頼りに、子供を産む」(同書文庫版p.134より)

 母性とは何か。子への愛とは何か。結婚とは。パートナーとは? 『マレフィセント』は糸車の呪いが解かれて大団円を迎えたが、日本社会で女性にかけられた呪いは、この16年間、1ミリたりとも解かれていないような気がしてならない。

稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。著書は『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。編集担当書籍は『押井言論 2012-2015』(押井守・著/サイゾー)、『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著/キネマ旬報社)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』(ラリー遠田・責任編集/同)など。

『マレフィセント2』
2019年・米、監督:ヨアヒム・ローニング、出演:アンジェリーナ・ジョリー、エル・ファニング、ミシェル・ファイファー。「マレフィセントが王国周囲に築くイバラの壁は、一度裏切られて卑屈になった年増女の築いた心の壁」「少女時代に翼をもがれたマレフィセントが成人してから翼を取り戻して男に復讐するのは、女性が自立的にこの世界で生きていくための武器(収入、誇り)を手に入れることのアナロジー」等、作中の美術はいくらでも自立女子の人生要素に置き換え可能。

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