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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【14】

自らの出自、時代の徒花――幽霊、遠くエロ本の時代を振り返る。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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白夜書房のバイト女子大生がアイドルになり消える話を1987年の朝日新聞で連載したことに改めて驚く。

 いまは掲載媒体も紙の雑誌ではなく、ニュースサイトのほうが多いくらいで、ライターが世に出る手段もウェブ経由が多いようだが、筆者はブログどころかテキストサイト出身ですらない。たぶん、エロ本の雑文書きや編集者から出てきた最後の世代だ。インターネット元年は1995年だが、94年頃にはいくつかの雑誌で、埋め草コラムや適当な特集記事を書いていた。バブルが弾けた大不況の真っ最中に出版業界へ潜り込むには、底辺のエロ本から始めるしかなかった。

 雑文書きのかたわら、地元の友人に誘われて、とあるコンテンツ企業の創立に立ち会ったが、すぐに社長と喧嘩して辞めてしまった。いきなりFAXで同業他社に「破門状」をバラ撒かれるオチまでついたので、「経済ヤクザの鉄砲玉なんてやってられるか。やっぱり出版業界だ」と思った。いまはクールジャパンと持て囃され、外見も整えているが、20年前は見るからにまともな商売ではなかった。実際、入れ替わりにその会社に転職した別の友人はコスプレダンパで女性コスプレイヤーを調達し、当時、金回りが良かった業界の有名人に紹介する仕事(?)をしていた。ASKAの逮捕で一瞬、パソナの仁風林が話題になったが、いつの時代にもそういう商売はある……それに比べれば、当時の出版業界はそれなりにまともだった。で、エロマンガ誌の編集者になったわけだが、実は一度、書類審査で落ちていた。採用された前任者が最初の校了日に行方不明となり、アニメイトの紙袋を大量に抱えて帰ってきたので、上司の回し蹴りを喰らってクビになり、繰り上げ当選となったのだ。書類審査で落ちたのは、出身校が仏教系だったからだが、考えてみれば、オウム真理教の地下鉄サリン事件の直後であった。

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