サイゾーpremium  > 特集2  > 【飯田泰之】が解説!日本にも存在するピケティ的な経済学

――過去の膨大なデータを読み込むというピケティの手法は、研究方法としては特段新しいものではなかった!?世界でもまれに見る豊富な歴史的経済データと、それらを縦横に分析してみせる学問的伝統、そしてそれらを活用した今後の経済学の可能性を探る!

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『総図解 よくわかる日本の近現代史』(KADOKAWA)

 日本においてピケティ型の論文の可能性を考える際に絶対外してはいけないのが、『長期経済統計 推計と分析』【1】という全14巻のシリーズ本です。ピケティの『21世紀の資本』は、「r>g」(資本収益率>経済成長率)という結論よりもむしろ、さまざまな国におけるここ200年ほどの膨大な税務データを分析したことにこそ意味がある。おそらくその労力の99%は、そういったデータの収集と整理に費やされたのではないでしょうか。入力作業だけでも気が遠くなりますよね(笑)。

 しかし、経済学の分野においてそういう作業をしたのは、何もピケティが初めてというわけではない。少なくとも日本においては、この本を書いた一橋大学の大川一司先生のグループがそういった作業を得意としていて、60年代から70年代にかけて、すでにその成果が発表されているんですね。

 この『長期経済統計』は、明治以降の日本の経済統計を収集し、それを経済活動の諸分野にわたって推計・加工しながら体系的にまとめた統計書です。この研究プロジェクトがあることによって、さまざまな研究が可能になりました。

 その代表的なものとして紹介したいのが、日本のマネーサプライのデータを幕末から現在まで整理して研究した『日本のマネーサプライ』【2】、明治以降の日本の経済発展の歴史をさまざまな要因に分けて分析・解説した『日本の経済発展』【3】の2冊です。これらはすべて大川グループの研究者たちによる研究なのですが、膨大な歴史的統計データを眺めて、そこからある傾向を読み取ろうとするというスタンスは、すごくピケティのやり方に近いですよね。この大川グループのおかげで、分析可能なデータ環境というのが、日本においてはすでにかなりの部分整えられているのです。さらに、明治よりももっと前、江戸期にまでさかのぼって、物価という観点から経済を読み解いた『近世日本物価史の研究』【4】などの業績も忘れてはなりません。

 これらの3冊の中で特におもしろい指摘を挙げるなら、「日本経済はいつ"現代化"したのか?」という経済学上の伝統的な問いに対するひとつの回答でしょうか。『日本の経済発展』の南亮進先生たちはこの問いに対し、1960年代がポイントであると結論づけているのです。日本の高度経済成長は、73年のオイルショックで終わったといわれることが多いのですが、実はその前にすでに終わっていたと、彼らはデータを分析することによって証明してみせるわけです。

 高度経済成長を迎える前の日本において、農家の次男三男というのは、基本的には長男に何かあったときのためのスペアだったわけです。なので、彼らが生産の役に立っているかというと、必ずしもそうではなかった。しかし、彼らがひとたび都市部に出たら、何かしらの生産をしない限り食っていけないわけです。だから、彼らが大挙して都市部に進出すれば、日本全体としての平均的な生産性はおのずと上がっていく。なんの生産性も持ってなかった人が何かを生産し始めるわけだから、あとはもう放っておいても経済は発展する。これを「古典派的成長」と呼びます。そういう、日本における農村から都市への人口移動が終わったのが60年代前半で、彼らはそれを「転換点」という語で表現しています。60年代前半が日本経済の転換点であり、ここから日本の経済は現代化したのであると。そのことを、人口移動などの膨大なデータを読み解くことによって結論づけたのです。現在の経済学会では、この結論はもはや定説となっていますね。

 さらに、そのあたりのさまざまな研究をまとめたものとして、『日本経済の200年』【5】も、なかなか興味深い1冊だと思います。この本は、徳川時代後期から現代までの日本経済を分野別に俯瞰してまとめたもの。200年といったらピケティと同じくらいのスパンですよね。この本の中には、物価指数に注目した論文も収録されています。日本の場合、江戸期からすでにかなりきちんとした先物市場が存在し、18世紀前半の徳川吉宗の頃から、米価についてのデータが残ってるんですよね。そういう意味では日本は、ピケティ的な研究は非常にやりやすいといえるのですが、このように地道にデータを拾っていくような研究は、最近の経済学においてはちょっと忘れられがちになっていた。しかし、ピケティが登場したことによって、そこに再びスポットが当たるようになるかもしれない。ちなみにこの本にも論考を寄せている上智大学の鬼頭宏先生は、ピケティが来日した際に行ったシンポジウムのパネリストのひとりにも選ばれているので、そのあたりのつながりというのは、だいぶ理解され始めているのではないでしょうか。

 もちろん海外でも、そういった歴史的なデータを整理・分析したものは、ピケティ以前にも存在します。膨大な歴史資料を分析したグレゴリー・クラークの『10万年の世界経済史』(日経BP社)や、世界199カ国を対象とした分析と推計をまとめたアンガス・マディソンの『世界経済の成長史 1820年~1992年』(東洋経済新報社)などがそうですね。しかし、日本の江戸時代というのは、民間文字資料の多さでいえば世界一ともいわれていますし、先述した通り大川グループによって結構良いデータ環境がすでに整えられている。さらに日本ならではの利点として、明治になって近代税制が敷かれたのとほぼ同時に所得税が導入されているという点もあります。要は、所得税データがかなり初期から揃っているわけです。大川グループは所得格差の問題にはあまり注目しなかったのですが、これらのデータをもとに、ピケティ的な格差問題について研究することもきっと可能でしょう。そういう意味でも、日本において大川グループがやってきたことは非常に価値があると思うし、それを現代の視点から改めて振り返ってみることは、とても意味のあることだと思いますね。

(文/麦倉正樹)

飯田泰之(いいだ・やすゆき)
1975年、東京都生まれ。明治大学政治経済学部准教授にして、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。評論家の荻上チキらと共にシノドスの運営に携わる。専門は経済政策・マクロ経済学。

飯田泰之が選ぶ
「日本の経済史」を知るための"5冊"

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■一橋大"大川グループ"の遺産
【1】『長期経済統計─推計と分析』(全14巻)
大川一司・篠原三代平・梅村又次監修/東洋経済新報社(1965~1988年)/1万4364円~
近代日本経済の歴史統計を「国民所得」「人口と労働力」など、経済活動の諸分野にわたって推計、加工して体系的に修正した一連の統計書。


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■日銀創設以前の財政状況をも解明
【2】『日本のマネーサプライ』
藤野正三郎/勁草書房(1994年)/9720円
貨幣経済の根幹となるマネーサプライの状況について、幕末から現在までの歴史的データを分析、さらには銀行行動を分析しながら、そのマネーサプライ量の決定過程と金利体系の形成について検討した1冊。


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■日本経済はいつ"現代化"したのか?
【3】『日本の経済発展』
南亮進(著)・牧野文夫(協力)/東洋経済新報社(2002年)/3888円
明治以降の日本の経済発展の歴史を「生産と需要」「要因と結果」という章立てのもと、さまざまな要因に分けて解説した日本経済の入門書。現在は、最新の情報、データをもとに全面的に書き改められた第3版が出版されている。


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■江戸時代の市場経済に迫る
【4】『近世日本物価史の研究─近世米価の構造と変動』
岩橋勝/大原新生社(1981年)/絶版
日本各地の物価動向や貨幣流通の実態を示す史料を収集しながら、米の価格を手掛かりに、江戸時代にどこまで市場経済が形成され、地域的にどのような経済格差が生じていたのかを分析した1冊。


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■江戸期以降の経済を分野ごとに通史で
【5】『日本経済の200年』
西川俊作・尾高煌之助・斎藤修/日本評論社(1996年)/絶版
江戸時代後期から現代までの経済状況を、資源、人口、土地制度、運輸など分野別に通史で語ってみせる意欲作。ある特定の時代だけを輪切りにして眺めたのでは見えてこない、日本の経済の動きの深層が見えてくる良著。
※書籍の価格はすべて税込みです。

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