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第1特集
アジアの小国から帝国へ近代日本の光と影

日清・日露から太平洋戦争敗戦まで 「軍部の暴走」で片付くのか!?日本は”戦争”をいかに戦ったか

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――日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、韓国併合、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争を経て、敗戦……。江戸幕府を崩壊させて成立した近代日本が19世紀末から20世紀前半にかけて戦った対外戦争を、多面的な視点で読み解くための5冊の良書を一挙ご紹介!

(絵/都築 潤)

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日清戦争1894年7月~1895年3月。朝鮮国内の動乱である甲午農民戦争の鎮圧を目的として清、続いて日本が出兵し、最終的に日清両国による戦争に至った。日本が勝利し、下関条約が締結される。

 8月15日。日本は69回目の終戦記念日を迎えた。この日に合わせ、毎年メディアでは戦争特集が組まれ、「過去の侵略戦争を反省し」といった戒めの言葉が繰り返される。しかし、そもそも私たちはあの戦争について何を知っているだろうか?

 そこでサイゾー書籍特集の巻頭たる本稿では、先の大戦を含む我が国の戦争史をとらえ直すべく、『日本外交史講義』(岩波書店)などの著作があり、近代日本外交研究の権威にして学習院大学学長でもある井上寿一氏の監修のもと、近代日本が経験した5つの戦争日清・日露戦争第一次世界大戦、日中戦争、そして太平洋戦争を深く理解するための5冊の本を紹介したい。

 まずは、日本のアジア侵略の原点とされる日清戦争(1894〜95年)。これは朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐって清(中国)との間で争われた戦争だが、この日清戦争を語る際よく引き合いに出されるのが、福沢諭吉が1885年に発表した「脱亜論」だ。

「近代化を拒否する清・朝鮮と歩調を合わせていては地理的に近い日本も両国と同一視されてしまうから、『東アジアの悪友』とは縁を切り、西洋化を目指すべきである」

 こう主張する「脱亜論」は、明治維新以降ひたすらに西洋化に邁進する日本の姿を自己規定し、まさにこうした思い上がった理念の下に日本は日清戦争へと突入していったと長らく理解されてきた。これを真っ向から否定するのが、坂野潤治の『近代日本とアジア』【1】だ。

「もともとの福沢の理想は、清と協力しつつ朝鮮の近代化を進め、日清朝の3国が力を合わせることで西洋諸国に対抗するというものでした。しかし、いくら日本が朝鮮に働きかけても、朝鮮は清にコントロールされているところがあってなかなか近代化しない。おまけに、朝鮮国内のクーデター(甲申政変、1884年)で親日派が敗れてしまった。それらを受けて福沢は、『脱亜論』を発表する。つまりこれは、アジア、あるいはアジア主義的なものに対する彼の『敗北宣言』であって、帝国主義を擁護したり日清戦争を正当化するためのロジックとして出てきたものではない。このように本書は指摘しています」(井上氏、以下同)

 そもそも日清戦争の発端は朝鮮半島で起こった動乱(甲午農民戦争、1894年)鎮圧のために出兵した日清両軍が衝突したことにあり、日本が清の領土に攻め入ったわけではない。そのことは理解しておかねばならないだろう。

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日露戦争1904年2月~1905年9月。朝鮮半島への影響力の確保をめぐって、極東を南下するロシアと、それを警戒した日本との間で戦争に至った。日本海海戦が有名。からくも日本側が勝利し、ポーツマス条約が結ばれる。

 続いて、やはり朝鮮半島をめぐってロシアと対立した日露戦争(1904~05年)に移ろう。

 日露戦争に関しては、多くの日本人には司馬遼太郎の『坂の上の雲』的史観、つまり北方から迫り来るヨーロッパ帝国主義の脅威に、アジアの小国・日本が果敢に立ち向かったというイメージが根強いのではないか。このイメージを覆し、日露戦争が単なる「防衛戦争」でなかったことを教えてくれるのが、横手慎二著『日露戦争史』【2】だ。

「先ほどの『脱亜論』ともかかわってくるのですが、日露戦争において、日本はアジアの代表として戦ったというよりは、むしろロシア以上に西洋的に振る舞ったんです。それには差し迫った事情があって、大国・ロシアとの戦争には膨大な戦費がかかり、戦費に充てる外貨を調達するために、日本は国家としての格付けを上げ、信頼できる投資先であると欧米に認定してもらう必要がありました。その手っ取り早い方法が、自分たちが『文明国』であることをアピールすることだったんですね」

 この日清・日露戦争とは明らかに性格が異なるのが、第一次世界大戦(1914〜18年)だ。三谷太一郎著『近代日本の戦争と政治』【3】は、近代日本が戦った戦争全般を扱った本だが、全体を通じて「戦争が持つ社会的な変革作用」にフォーカスしており、一次大戦の特徴および影響を知るうえで有用だという。

「一次大戦と日清・日露戦争は何が違うかというと、まず日清・日露のときは、いざ戦争が始まれば国論は一致していたんです。両戦争における日本の目的は、突き詰めていえば『国家の独立の確保』だったのですが、この目的が達成されたあとの一次大戦では、わざわざ遠く欧州まで行って戦う理由が見当たらないし、政府内でも意見が割れたんですよね」

 日本の一次大戦への直接的な参戦理由は、1902年以来続いていた日英同盟の要請だった。すなわち、ドイツと開戦したイギリスが、同盟国日本に応援を求めたのだ。しかし、この同盟により自動的に参戦義務が発生するわけではなかったため、日本は一応はドイツに宣戦布告し、中国のドイツ領・青島を攻略したものの、欧州への派兵は渋り続けた。

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第一次世界大戦1914年7月~1918年11月。バルカン半島での衝突をきっかけに、イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国と、ドイツ、オーストリアを中心とする同盟国との間で戦争が勃発。日本も日英同盟に基づき参戦した。

「結論からいえば日本は地中海に海軍を派遣するのですが、これはその直前にアメリカが参戦したから。つまりアメリカとの関係で日本の参戦が決定されるという点で、この戦争はそれ以前とは大きく異なるんですね。当時の首相・原敬は、これからはアメリカが世界の中心になることを予見していました。事実、欧州での戦いは長らく膠着状態が続いていましたが、アメリカが英仏露を中心とする連合国側についたことで一気に決着していく。そして勝利に最大の貢献をしたアメリカが次に何をしたかというと、軍拡ではなく軍縮。これは、1922年のワシントン海軍軍縮条約に結実していきます」

 このとき、現在にまで続くアメリカ追従の外交姿勢が芽吹いたともいえるが、それは必ずしも悪い面ばかりではなかった。大戦前、日本の軍事費は国家予算の半分近くを占めるまでに膨張していたが、国際的な軍縮の気運により予算を他分野へ回すことが可能となる。これに大戦後の厭戦ムードも相まって盛り上がるのが、1920年代に普通選挙法成立などをもたらしていく「大正デモクラシー」なのである。いわば、一次大戦によって日本に民主主義がもたらされたのであって、これが、「戦争の社会的な変革作用」のひとつというわけだ。この流れの中で、政治制度もアメリカ型に変わっていく。つまりは二大政党制だ。

「一次大戦以前の日本では非政党内閣が連続していたんですが、大戦後は政党内閣が当たり前になり、政友会と憲政会(のちに立憲民政党)が二大政党として定着します。歴史の”if”で、もし日本がこの戦いに関わらなければ、日本への政党政治の定着はもっと遅れただろうし、軍事費も伸び続け、対外膨張に突き進んでしまっていたかもしれません」

 こうして、一次大戦後いったんは確立された日本の政党政治は、関東軍(中華民国東北部の満州に駐留していた大日本帝国陸軍)が企てた満州事変(1931年)によって危機を迎える。北岡伸一著『日本の近代史5 政党から軍部へ』【4】は、2つの世界大戦の間に、日本の政治主体がどこからどこへ移ったのかを、端的にその書名で表している。

「『満州事変は陸軍の暴走によって引き起こされた』というのが一般的な理解でしょうが、実際にはそう単純な話ではない。満州事変で重要なのは、せっかく成立していた日本の統治システム、つまり政党政治を破壊してしまったことなんです」

 関東軍とは本来、旅順・大連の租借地と満州鉄道の沿線を警備するだけの少数守備隊にすぎなかった。そんな関東軍にとって満州事変とは”賭け”であって、実際に成功する望みなど薄かったはずだ。しかしその後も戦線は拡大し、1932年の満州国建国にまで至る。日本政府はなぜこの動きを抑えられなかったのか?

「当時の与党である民政党・若槻礼次郎内閣は、これに協力内閣という体制で臨もうとします。つまり与野党の垣根を越えて二大政党が一体となって対応すれば、関東軍も言うことを聞くだろうと。若槻は協力の見返りに首相のポストを野党の政友会に譲ることで協力内閣構想を具体化させ、その思惑通り、関東軍もいったんは戦線を縮小し始めるんです」

 しかし、この策も結果的には失敗に終わる。そこには、二大政党制の限界があった。つまり、関東軍を抑えられそうだとなると、与党民政党内には「もう協力内閣など必要ない」との考えが浮かび、他方で野党政友会にも「関東軍撤退が民政党の手柄になるのは面白くない」と、協力内閣に消極的になる。加えて野党政友会には、当時日本も巻き込まれていた世界恐慌(1929年〜)から脱するための秘策(のちの高橋是清蔵相による財政政策)があった。つまり、これさえあれば次の選挙は勝てると踏んでいた政友会にとって、協力内閣が瓦解してしまおうがどうでもよかったのだ。

 事実、与党民政党が満州事変の責任を取って総辞職したあとの1932年の総選挙では、景気回復を公約に掲げた政友会は圧勝する。しかし、満州事変の拡大を放置したツケは大きく、関東軍は再び戦線を拡大していった。これが軍部のさらなる暴走を招き、のちの太平洋戦争につながる流れを準備したと考えれば、当時の政党政治家たちの責任は大きいと言わざるを得まい。

 この二大政党制の問題は、現代の政局に対応しているともいえよう。2008年、自民党・麻生政権下のリーマンショックの際も、2011年、民主党・菅政権下の東日本大震災の際も、いったんは与野党協力体制の気運が生まれつつも、互いの思惑が先行し、結局その流れはついえてしまった。また、現政権の安倍内閣が2012年の衆院選で大勝したのも、経済政策が評価されたのであって、必ずしも憲法改正や集団的自衛権の行使容認を国民が支持したわけではあるまい。しかしのちの時代からは、「2010年代の日本人は、台頭する中国への不安から安倍政権の対外膨張政策を支持した」と評価されるかもしれないのだ。1930年代の日本がそうであるように……。

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太平洋戦争1941年12月〜1945年8月。日本がハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃したことにより開戦。日本は徐々に追い込まれ、原爆投下によって戦争終結。結果、1951年までは被占領国となった。

 さて本書は、暴走しつつあった軍部内でもさまざまな対立が起こっていたと語る。陸軍は、早くソ連と開戦したい皇道派と、まずは力をためて満州国の基盤を固めたい統制派に分かれていた。一方海軍の仮想敵国はアメリカだから、対ソ戦用の予算を欲しがる陸軍とは対立してしまう。

 政党政治はグダグダ、軍部もバラバラ。このような状況下、1941年末の日米開戦に至る経緯が記されているのが、森山優著『日本はなぜ開戦に踏み切ったのか 「両論併記」と「非決定」』【5】だ。

「この本を読むと、日本が太平洋戦争中に掲げていた『植民地支配を受けているアジアを解放するため』という謳い文句が、完全に後付けの理由だったことがよくわかります。だって、本当に『アジアを解放』したいなら、戦うべきはアメリカではなく、イギリスだったはずなんですよ。アメリカは確かにフィリピンを植民地化してはいましたが、1934年にフィリピン独立法を成立させています。一方のイギリスは、マレーシアとビルマ、さらにはインドなども植民地にしていましたから」

 結局、真珠湾攻撃とほぼ同時にイギリスにも奇襲(マレー作戦)をかけていたため、のちに「アジア解放」のつじつま合わせはできたが、そのために払われた犠牲は計り知れない。

 では、日本はなぜアメリカを相手にしてしまったのか。本書によれば日本は、アメリカと開戦するまで、戦争準備を整えながらも、他方で戦争を回避するための外交交渉も行っていたのだという。この「両論併記」を指示したのが、日本を亡国の道に引きずり込んだ張本人とされ、終戦後はA級戦犯として処刑された東条英機だ。東条は、12月初旬までに交渉がまとまらければ真珠湾を攻撃するという決定を下しはするが、外交交渉の責任は外務省に、対米開戦の責任は海軍(東条は陸軍出身)にと、自身が責任を取ることからは逃れようとしていた。このような責任回避的な意思決定プロセスによって「非決定」を続けているうちに選択肢が狭められ、結果としてアメリカと戦争するはめに陥ってしまったという。

「これも歴史の”if”ですが、もし日本が真珠湾攻撃をせずに、東南アジアのイギリス領を攻撃しただけだったら、おそらくアメリカは参戦の口実をつかめず、日米戦争に至らずに済んだかもしれない。だからこの時、日本は本当に非合理的な、愚かな決定をしたんです」

 日本の近代戦争史は、帝国主義への傾倒や軍部の暴走といったわかりやすいロジックで語られがちだ。しかし本稿で挙げた本を読めば、その傾倒や暴走を抑制するシステム自体は、きちんと日本国家に備わっていたことがわかるだろう。重要なのは、なぜそのシステムが機能しなかったのかを検証することであり、そうした機能不全に至る要因は、近隣諸国との相互不理解や、党利党略優先の国家運営、そして曖昧な意思決定プロセスなど、現在の日本社会が抱える種々の問題とも地続きであるということだ。それこそが、私たちが戦争から学ぶべき本当の教訓であろう。

(文/須藤 輝)

井上寿一(いのうえ・としかず)
1956年、東京都生まれ。87年、一橋大学大学院法学研究科博士課程単位修得。法学博士。専門は日本政治外交史。93年より学習院大学法学部教授。95年に『危機のなかの協調外交』(山川出版社)で吉田茂賞受賞。14年より学習院大学学長。

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【1】『近代日本とアジア 明治・思想の実像』
坂野潤治/ちくま学芸文庫(13年)/1000円+税
初版は1977年。「アジア主義」対「脱亜論」という図式で描かれてきた日本の対外論を、国内・国際情勢の中で読み解いた画期的な論考。


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【2】『日露戦争史 20世紀最初の大国間戦争』
横手慎二/中公新書(05年)/740円+税
ロシア近代史の視点も含め、背景となる国際情勢や、日露双方の状況分析と戦術、戦後の影響など、日露戦争の歴史的意味を多角的に描く。


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【3】『近代日本の戦争と政治』
三谷太一郎/岩波書店(10年)/3000円+税
近代日本が経験した戦争が既存の政治体制に対してもたらした大きな変革を、戦時と戦後で多面的に比較しながら検証していく。(写真は旧版)


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【4】『日本の近代5 政党から軍部へ』
北岡伸一/中公文庫(13年)/1524円+税
初版は99年。政党内閣は五・一五事件で潰えたが、昭和初期の社会が育んだ精神文化は戦後復興の礎となったと説く。(写真は旧版)


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【5】『日本はなぜ開戦に踏み切ったか 「両論併記」と「非決定」』
森山優/新潮社(12年)/1200円+税
日米開戦前の日本は、戦争と外交という2つの選択肢の間で揺れ動いた。決定を先送りし、結果的に戦争を採択した意思決定過程から、日本型政治システムの致命的欠陥を指摘する。


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