サイゾーpremium  > 連載  > 友達リクエストの時代  > 【小田嶋 隆】「人間がひとりでは生きていけない」は本当か?
連載
友達リクエストの時代【第21回】

「人間がひとりでは生きていけない」という定説は半分しか本当ではない

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SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

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『現代の食糧問題と協同組合運動―今日から明日へ』

 食糧問題がすなわち飢餓の問題であり、労働問題が主として失業問題であるのと同じく、友だちにまつわるあれこれは、最終的に、孤独の問題に集約される。別の言い方をするなら、我々は、もっぱら孤独であることから逃れるために友だちを求めているのだ。

 当然、反対意見はあるはずだ。

「そんなことはない。別に淋しいから誰かに会おうってわけじゃないし、一緒に時間をツブせる野郎なら誰でも良いというのでもない」

「会って話すに値する人間だからわざわざ時間を作って一緒にツルむわけで、別にひとりでいるのが苦しいとか辛いとか、そんな女々しい話じゃないぞ」

 と、怒りをあらわにする向きもあるだろう。

 でなくても、「友だち」の問題を、自分の親友に固有な人格的な問題として考える人は、少なくない。

 そんなわけで、友情の問題を一般論として扱う態度は、友情の価値を信じる人々の感情を傷つける。

「オレたちの友情は特別だ」

 と思いたがるのが、友情について考える人間一般に観察される傾向だということでもある。

 しかしながら、ということはつまり、自分たちが特別だというとらえ方そのものは、実にもって凡庸極まりない考え方でもあるということになる。

 意地悪を言いたくてこんな話をしているのではない。

 一対一の関係は、恋愛でも友情でも、当事者にとっては特別なものだ。それはよくわかっている。しかしながら、どんな一対一関係であっても、外から観察する者にとっては、ありがちな一般例にすぎない――という、このこともまた動かしがたい事実なわけで、とすれば、人類一般にとって、人類一般の友情は、凡庸な出来事なのである。

 飼い猫は、飼い主にとって特別な猫だ。

 一方、飼い主でないほとんどすべての人間にとって、他人の飼い猫はただの猫にすぎない。であるからして、飼い主が自分の猫について語るエピソードは、ほぼ必ず聴き手を退屈させることになっている。

 友情の話でも恋バナでも、理屈は同じだ。

 あなたの猫があなたにとって、特別であることはよくわかる。でも、私にとってあなたの猫は特別じゃない。だから、この話はなるべく早く打ち切ってほしい。

 孤独の話をしよう。

 たとえば、友だちの多い男と、友だちの少ない男がいる。あるいは、友だちの数そのものとは別に、友と過ごす時間を大切にし、交友の機会を確保すべく最大限の努力を払っている男がいる。で、その反対側には、友だちはいるにしても、その友だちのために、なかなか交友の時間を割こうとしない男がいる。

 この2人は、どうして、対照的な生き方をしているのであろうか。

 ひとつ目の説明は、友だちの多い男を、他人に好かれる特徴を備えた、魅力的な人間であるとする見方だ。当然、友だちの少ない側の男は、魅力に欠ける男であるというふうに見なすことになる。

 この見方は、大筋において、外れていない。

 多くの人はそう思っているはずだ。

 だが、そもそも「魅力」とはなんだろう。

 その質問への答えを考える前に、2つ目の説明を見てみよう。友だちの多い男ないしは友情に厚い男が、友との時間を大切にするのは、要するにその男が淋しいからだ、というのが、第2の説明だ。

 当然、友だちの少ない男は、孤独を苦にしない男であるがゆえに交友に熱心でないという話になる。

 この説明は、おそらく、人々の心をとらえない。

「勝手なこと言うなよ」

「つまんねえヤツだから友だちがいないってだけだろ」

「っていうか、原因と結果が逆だろ。友だちがいないからひとりでいるほかにどうしようもないって、それだけの話じゃないか」

 特に、若い世代は、友情を軽視するものの見方に反発するはずだ。

 が、誰でもある程度の年齢になれば、友だちとは疎遠になる。例外がないわけではないが、多くの場合、そういうことになっている。

「誰も年寄りなんかと付き合いたいと思わないから、友だちがいなくなるってだけじゃないのか?」

 違う。年を取った人間は、相手が若い人間であっても、そうそう頻繁には付き合いたいと思わなくなる。要するに、交友への欲求が減るのだ。違う言い方で言えば、「孤独に強くなる」ということでもある。

 ここで、先ほどの「魅力」の話に戻る。

 私の思うに、我々が誰かの「魅力」だと思っているもののうちの半分ぐらいは、その人間の「淋しさ」だということだ。

 もちろん、「魅力」を構成するものの中にはさまざまな要素があって、気持ちの優しさや、頭の切れや、ユーモアや、容貌の美しさといったそれぞれに特有な性質が、ひとりの人間の「魅力」の基礎になっている。そのことはよくわかっている。大前提でもある。

 しかしながら、個々人の性格に由来するあれこれや、容姿風貌にまつわる個別的な要素は脇に措いて、それらとは別に、ひとりの人間が他人を惹きつけるための要素して、「孤独」は、確かに影響している。

 この立論は、一見、「孤独な人間が他人との交流を求めている」ということを、そのまま強引に「孤独な人間は他人に求められるはずだ」という裏返しの理屈に置き換えただけの暴論に聞こえるかもしれない。

 が、実際に、孤独を抱えている人間は、同じように孤独を抱えている人間を誘引する。若い人たちが、自分と同年輩の人間に魅力を感じるのは、お互いの孤独が感応しているからでもある。そうでなければ、ほとんどの人間が、年齢の増加にともなって、徐々に友だちの数を減らしていくことの説明がつかない。結局のところ、友だちというのは、孤独の反映なのだ。

 傍証と言ってはナンだが、いつだったか、何かの席で「モテ期」の話題が出た時の話をする。その時、多くの話者の間で共通していたのは、「必ずしもモテそうなスペックを揃えていた時期にモテるとは限らない」ということだった。具体的には、良い名前の学校に通っていて、カネがあって、社交的で、明るい好青年だからモテるのかというと、必ずしもそうではない。

 むしろ、そういうふうに、充実して暮らしている時は、女とは縁ができないケースが多いのだ。

 対照的に、自分の半生を振り返ってみるに、意外や、最も不遇で孤独と貧乏に苦しんでいたような時期に、不思議なモテ方をしていたりする。

「うむ。オレも一番モテたのは中野の3畳のアパートで食い詰めてた頃だな」

「そういえば、失業中はいろいろと女の子に助けられてたかもしれない」

 なんの話をしているのかというと、人間がひとりでは生きていけないというのは半分しか本当ではなくて、どちらかというと、ひとりで生きていける人間には友だちができないということだ。

 ともあれ、孤独への耐性は、人それぞれで違う。同じ人間の中でも、時期や条件によって変化する。

 私の知っている例では、ひとりっ子として生まれ育った人間の多くは孤独に強い。というよりも、彼らは孤独を特別な状態と感じないのかもしれない。

 ある夫婦の話をする。仮にF夫妻とする。

 F夫妻は、昨今では珍しくないのかもしれないが、ひとりっ子同士のカップルだ。つまり、夫であるF氏は、結婚前、F家のひとり息子であり、妻であるT子さんはB家のひとり娘として生まれ育った人だったわけだ。

 そんな2人に、ひとり息子ができる。

 と、そのひとり息子を、夫妻がどんなに溺愛するだろうかというふうに世間は思う。

 が、3人のひとりっ子は、あくまでクールだ。

 愛情の量がどうだという話をしているのではない。
 ただ、コミュニケーションの作法というのか、関係の作り方が一般の親子と比較して独特なのだ。

 さて、ひとり息子のA君は、この春に就職して、職場近くでひとり暮らしをはじめたらしい。

「おお、どのあたりに住んでるんだ?」

「知らない」

「えっ、息子の新居を知らないのか」

「そのうち連絡があると思う。今は知らない」

「そのうちって、引っ越してどれぐらいたつんだ?」

「3カ月だったかな」

 付言するが、F一家は、険悪な家族だというのではない。ただ、そういう人たちなのだ。ひとりっ子はひとりを苦にしない。3人のひとりっ子は、3人揃っても3人のひとりだったりする。素晴らしいではないか。

 この先、少子化が進むことで、孤独に強い新しい日本人が生まれるかもしれない。

 期待している。

小田嶋 隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『ポエムに万歳!』(新潮社)など。

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