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連載
友達リクエストの時代【第22回】

男はどうして妻の話を避けたがるのか

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SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

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離婚してもいいですか? (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

 何回か前の当欄の末尾で、「次回は夫婦について書く」と予告をしていながら、それっきりになっている。不審に思っている読者もおられるはずだ。

「オダジマのところはもしかして離婚危機なのか?」

「っていうか単に忘れてるだけだろ」

 忘れていたわけではない。よく覚えている。私は、忘れたふりをしているうちに本当に忘れてしまうほど、おめでたい性分の人間ではない。むしろ、忘れたふりを続けていると、記憶が研ぎ澄まされてしまう設定の、極めて良心的な人間だ。

 夫婦について書く前に、夫婦について書かないでいた理由について説明しておくことにする。

 ここのところの経緯は、重要だ。というのも、今回私が書こうとしている主題は、「男はどうして妻の話を避けるのか」という論考に落着するはずだからだ。

 私が、夫婦の話を書かずにいたのは、ミもフタもない話だが、書きにくかったからだ。

 夫婦の話はどう書いてもバカバカしいものになる。妻についての考察は、恋愛の話題以上に、個人的な独白(あるいは、単なる「愚痴」)に陥りがちなものだし、そうなってしまった場合、犬も食わないテキストが出来上がってくる。それゆえ、古来、心ある書き手は、自らの家庭生活をネタにしないことを、執筆にかかわる十戒の最上位に置いてきた。

 それでも、どうしても、自分の嫁さんについて書かねばならぬ事態に陥った場合、もののわかった書き手は、「家人」「同居人」「配偶者」「家の者」といった調子の、一歩遠ざけたものの言い方を採用する。つまり、当件に関しては、他人行儀な主語を使わないと、客観性が担保できないわけで、逆に言えば、執筆者にとって、夫婦生活は、職業生活の中で表現できない主観と怨恨を保管しておく掃き溜めのような場所になっているということだ。こういう場所で、うっかり日常的な呼称を使うと、不穏当な本音が不用意に漏れ出してしまう。彼らは、それを警戒するのである。

 ことほどさように、ものを書く人間にとって、「本音」は、剣呑なものだ。

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