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町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第20回

【イカ焼】――タコ焼よりもマイナーなソウルフードと思われたイカ焼に隠された意外な事実

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 いい加減な魂の軛から解放され、無責任で甘ったるい郷愁に浸り、軽田君と入ったイカ焼屋のことを思い出した私は、この記憶の味を再現し、郷愁に浸って涙とか垂れ流してやろうか、いやさ、いっそのこともっとだらしなくなって小便とかも垂れ流してやろうか、と思って立ち上がり、そして、すぐに座った。

 なぜかというと、立ち上がったからといってすぐにイカ焼を拵えられる訳ではなかったからで、記憶の彼方のイカ焼の味は茫漠として、具体的なレシピに結びつかなかった。

 それはどんな味だっただろうか。なにか、粉くさいような味だった。そして、プリプリしたような、ぬめるような、片栗粉的な、ツルッとした食感があった。しかし表面上はソースの味、それもどろっとしたソースではなく、シャブシャブした、でもウスターソースとは明確に違った、甘いような辛いようなソースが塗布してあったような、そしてイカ焼という限りはイカが入っているはずなのだけれどもイカの味はあまりせず、それはひたすらにその特色ある粉とソースの味であったような。そんな味であったように思うが、やはり判然としない。

 或いは、そのイカ焼屋の店舗はどんなだっただろうか。イカ焼屋は、廃材を組み立てて拵えたような、六畳かそれくらいの掘立小屋だった。

 その掘立小屋はイカ焼屋が開業する前から駅前にあって、なにか店が入っていたはずだが、それは思い出せない。

 その掘立小屋に、白衣を着たおじさんがいて、新聞紙くらいの大きさの二枚の鉄板でプレスするようにして、イカ焼を焼いていたように思う。

 そのおじさんの感じもなんとなく覚えていて、痩せて背の高い、角刈りのおじさんだった。

 客商売らしい愛想のない、どちらかというと任侠系の感じのおじさんだった。かといって、崩れたようなところはなく、その大きな、二枚の鉄板を操作する様は、生真面目で、食品を扱っているというよりは、工作機械を扱っているようだった。

 また、その手つきは不器用で、いちいち動作を確認しながら操作しているような感じだった。

 そのときは、愛想のない、任侠系の、ちょっと怖いおじさん、と思ったが、いまから考えれば、きわめてまじめな人だったのではないか、と思う。

 また、ルックスが任侠系なのも、当時は、いわゆるホワイトカラーでない中年男性は、みんな任侠系というか、それ以外にファッションの選択肢がなかったように思う。例えば、その頃の、阪神タイガースや南海ホークスや近鉄バファローズの職業野球の選手の私服姿は、多くが任侠系というか、任侠そのものであったように思う。

 つまり、おじさんはいろんなことをやってきたのだろう。その果てに金融機関ではなく、親戚や親兄弟から開業資金を借り、掘立小屋を賃借し、プレス機のような鉄板を買って、背水の陣でイカ焼屋を始めたのだろう。通常そうした場合、妻が商売を手伝うはずだが、それらしき姿がなかったのは、或いは、いろんな事をやっているうちに離婚をしたのだろうか。或いは、あの歳まで独身だったのだろうか。

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