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友達リクエストの時代【第14回】

我々はいずれ死ぬ、そのことをわかっていながらどうして互いを大切にできないのか

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SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

『あなたはなぜ「友だち」が必要なのか』(原書房)

 本当のことをいえば、友情は語るべきものではない。

「友だちとは何か」「友情はどうあるべきなのか」といった類のお話は、あえて論を立てるための枠組みとしては有効でも、日常的な話題としては無理がある。変だ。

 というよりも、「友人」や「友情」といった事柄について、抽象名詞で考えること自体が不自然であるのかもしれない。

 このあたりの事情は恋愛の場合に似ていなくもない。

「恋愛というのはね」

「人を好きになることって……」

 などと、誰かが大真面目な顔で話し始めた場合、彼または彼女は、世にいうところの「恋愛論」を語っているのではない。先方は、特定個別の誰かさんにかかわる個人的な体験をくどくど語り尽くそうと考えている。有意義な午後の時間を台無しにしたくないのであれば、話題を変えて席を立ったほうが良い。なぜなら、夫婦喧嘩が犬も食わない食材である以上に、「恋バナ」は豚も食わない残飯だからだ。他人の「恋バナ」に耳を傾けるのは、自分の「恋バナ」を語りたいと考えている人間だけだ。そう。酔っぱらいと同じだ。

 友情は、恋愛と比べれば、ずっとテーブルに乗せられにくい話題だ。というのも、現在進行形の友情は、多くの場合、無意識化に沈潜していて、分析の対象として好適なものではないからだ。

 というよりも、友情は、そもそも、当事者が、明確な形で意識することの少ない感情だ。

 恋愛中の男女は、なるべく頻繁に会いたいと願っている。逆にいえば、ある程度の期間、たとえば半月なり半年なりの間、顔を見られない事態が生じると、2人の関係は危機に陥る。というのも、恋愛は、双方が共に過ごす体験を前提として育まれる感情であって、歌の文句にある、「会えない時間が愛育てるのさ」というのは、ストーカーのメンタリティに過ぎないからだ。普通の男女の恋愛は、「去る者は日々に疎し」という、昔ながらのことわざに沿って消長する。会わない者同士は、時間の経過と共に疎遠になり、ひとたび隔意を抱いた2人は、逢瀬を楽しまなくなる。

 その点、友情は、必ずしも定期的な面会を要しない。

 むしろ、親しい間柄であればあるほど、実際に顔を会わせる機会に依存する度合いは低くなる。早い話、10年会っていなくても、親友は親友だ。

 そういう意味では、友情は、相互関係であるよりは、個人的な自尊感情に近い。親友がしっかりと心の中に住んでいれば、頻繁に会う必要はない。顔を思い浮かべる必要さえない。ただ、この世界のどこかに、自分のことをわかってくれる人間がいると思うだけで、安心立命を得ることができる。うむ。もしかしてこれは、信仰に近いのかもしれない。

 そんなわけなので、友情という言葉なり概念が、真に迫った形で私たちの心の中に立ち現れるのは、実は、相手が死んだ時だったりする。

 というよりも、我々は、相手の死に直面して、はじめて自分がかけがえのない友人を亡くしたことに気づくものなのだ。

 個人的な話をせねばならない。

 友情について語るに当たっては、恋愛の場合と同じように、最終的には、特定の誰かとの間の、個別的な関係に踏み込まなければならない。でないと、話が落着しない。なんとなれば、私たちは、自分にとって大切な問題であればあるほど、経験した範囲でしかものを考えられないものだからだ。

 死んだのは、私が「大ちゃん」と呼んでいた友だちだ。彼とは、幼稚園の入園式で出会った。ということは、生涯のうちで、一番古い友だちだったわけだ。

 そのことに気づいたのは、大ちゃんが死んでからだ。

 もうひとつ、死なれてみてはじめて気づいたのは、二匹の子犬みたいにベタベタくっついて歩いていた小学校低学年の時代を過ぎてから後、私と大ちゃんは、たいして親しく付き合っていたわけではないということだった。

 四年生になって、クラスが変わると、私と大ちゃんは、一緒に遊んで歩く関係ではなくなっていた。

 六年生になってから、時々、誘われて四谷大塚進学教室の模擬試験(当時は「日曜学校」と呼んでいたような気がする)を一緒に受けたことはあったが、その時は、大ちゃんと同じ中学に進むつもりでいたYという友だちと三人組の設定になっていた。

 子どもの付き合いはクールだ。境遇が変わると、ほとんど行き来しなくなる。

 私と大ちゃんたちのケースも同じで、地元の区立中学校に通うことになった私と、私立の中高一貫校に進学した、大ちゃん(およびY)は、小学校を卒業して以来、疎遠になる。

 一度だけ、私の中学の文化祭に、二人が揃って顔をのぞかせたことがある。

「おお、よく来たな」

 と、私は、校内をひと通り案内したのだが、体育館に続く渡り廊下を並んで歩きながら、たった二年ほどの間に、まったく話題が噛み合わなくなっていることにびっくりしていた。成人する前の子どもたちが、それぞれの年齢段階で付き合う友だちは、結局のところ、その時々の環境に見合った、彼ら自身の分身のような存在に限られている。だから、少しでも立場が食い違うと付き合えなくなる。この峻別は大変に厳しい。

 私立と公立というだけで、微妙に話題がちぐはぐになる。徒歩通学と電車通学の違いも小さくない。14歳の子どもたちは、この種のささいな違いを乗り越えることができない。

 これは、あまり大きな声で言われていることではないが、友情は、階級なり階層区分なりを形成する上での、最も有力なエンジンになっているはずだ。「類は友を呼ぶ」と、ことわざ辞典は無邪気に言い切っているが、ここで示唆されていることは、差別というものの本質にかかわっていると思う。

 話を元に戻す。

 大ちゃんと私は、大学のキャンパスで再会した。

 彼は、私と同じように、一年間の浪人生活を経て、私が通っていた同じ大学の法学部に入学していた。

 で、在学中、我々は、時々、酒を飲む機会を持つようになった。とはいえ、この時代も、さして懇意にしていたわけではない。互いの高校時代の仲間が大学内に散在していたこともあって、私たちは、互いの人脈を広げるために結構役に立ったりもしたのだが、それはまた別の話で、我々2人の関係そのものについていえば、「昔の友だち」という設定で行き来するところから、最後まで脱皮できなかった。

 ただ、幼年期を共に過ごした者の間には、独特の共犯意識みたいなものが介在している。

 この共通記憶は、バカにならない。

 過度に緊張している大学一年生は、キャンパスで知り合う大学一年生に対して、どうしても身構えるみたいな形の自己宣伝を展開しがちで、それゆえ、大学でスタートする学生同士の交際は、どうしても、ある程度は芝居がかったものになる。

 この、芝居が、私には重荷だった。

 自分で選んでやっていたことなのに、どうにも苦しくてならなかったのだ。バカな話だが、これは、本当のことだ。今でも多くの学生が苦しんでいると思う。

 が、幼稚園時代からの知り合いである大ちゃんには、虚勢を張らないで済む。話にしてみれば、それだけのことだが、これだけのことが、当時の私には大変にありがたかった。であるから、あの時代、大学で彼と会うことは、私にとって、ちょっとした救いだったのである。

 そして、そうしたことのすべてに、私は、大ちゃんが死んではじめて気づかされたわけだ。

 手遅れになってしまってから、はじめて気づくことは、意外に多い。あるいは、我々が何かに気づくということ自体、その何かが手遅れになっていることの表れであるのかもしれない。

 たしか、小林秀雄が、「死者は確かな顔をしている」という意味のことを言っていたと思うのだが、友だちの場合は特にそうだ。友だちには、死んでみてはじめて、その存在が確定するようなところがある。

 そう思えば、いずれ死ぬことは、お互いにわかっているわけなのだから、生きているうちにもっと大切に付き合っていれば良さそうなものなのだが、なかなかそうはいかない。結局、我々は、死者に向けてしか正当な評価を下せないように設計されている。

 生きている間は、いつでも会えると思っている。

 だから、あえて会おうとは思わない。

 が、そこに罠があって、いずれ、友だちは死ぬ。

 で、死ぬことによって、友情が確定する。

 してみると、我々は、死後の思い出のために付き合っているわけなのか?

小田嶋 隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『ポエムに万歳!』(新潮社)など。

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