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第2特集
極私的 MJ(マイケル・ジャクソン)論──速水健朗[ライター・編集者]

博愛と環境保護を標榜しマイケルが描いた「セカイ」

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 今の行き過ぎたマイケル追悼ブームは、どこへ向かうのか。銃弾に倒れた左翼思想・反体制かぶれの中年歌手が、いつのまにか"愛と平和のジョン・レノン"に仕立て上げられたように、マイケルも"人類愛と環境保護のために生きたイノセントなピーター・パン"に祭り上げられそうな気配がすでに立ち込めている。
 
 昨今の、死んだ人間と休刊する雑誌だけが持ち上げられるネットの風潮なんかからみても、これはわりとリアルな予測じゃないか。
 
 数年後、『ヒューマン・ネイチャー』『ヒール・ザ・ワールド』あたりがマイケルの代表曲になり、ジョン・レノンにおける『イマジン』『ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)』に成り代わる様は想像に難くない。
 
 また、アフリカの貧困・飢餓救済のために、アメリカ中のスーパースターが集まった「USAフォー・アフリカ」、そしてここで生まれた楽曲『ウィ・アー・ザ・ワールド』。アメリカが世界だといわんばかりのこのイベントもまた、マイケルの偉業のひとつとして美化され、記憶されていくのだろうか。

スター揃いの世界一豪華なシチュエーションコメディ

 とはいえ『ウィ・アー・ザ・ワールド』は素晴らしいイベントだった。ボブ・ディランにブルース・スプリングスティーン、そしてビリー・ジョエルにダイアナ・ロス、そんな肌の色もジャンルも違った大物スターたち総勢46名がひとところに集まり、日頃のエゴを捨て去り、みんなが肩を寄せ合ってひとつのマイクに貧困撲滅と世界の子どもたちの未来への想いを吹き込んだのだ。
 
 これが最高でなくてなんだろう。これを思いついたプロデューサーは天才だ。まさにシチュエーションだけで、ショーの成功は約束されていた。三谷幸喜舌をまく素晴らしいコメディになることは間違いない。
 
 この日、録音が行われたスタジオの入り口には「ここでエゴを抑えろ」という貼り紙があったという。曲のテーマは、表向きには「アフリカの貧困撲滅」だったが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズにとっては、「スターたちのエゴ撲滅」だった。クインシーは、彼らのエゴが衝突し、プロジェクトが空中分解する危険性を危惧していた。
 
 だが、案の定スターたちのエゴは噴出する。波風は録音前からすでに立っていた。スプリングスティーンやジャーニーのスティーブ・ペリーらを始めとする白人ロッカーたちのグループから、マネージャーを通して、曲が気にくわないというメッセージがクインシーの元に伝えられた。だが、クインシーが実際に彼らの所に出向いてみると、皆は一様に「いや、気に入っているよ」とその言を否定した。面倒な連中である。

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アメリカ国内だけで750万枚を売り上げた『ウィ・アー・ザ・ワールド』

 いざソロパートの録音が始まると、シンディ・ローパーはでかいネックレスをしたまま録音の場に挑んだ。それがガチャガチャ音を鳴らし、成功テイクを台なしにした。次は歌詞にケチがついた。当初の歌詞にはアフリカ風の言葉が使われていた。しかし、このフレーズがアフリカの人々たちからすれば、馬鹿にされていると思うのではないかという議論が巻き起こった。「俺に英語で歌わせない気か」と怒るものも出た。議論に決着はつかなかった。録音のための時間がなくなり、一人ずつのソロだった部分は大幅に削られた。結局、問題の歌詞はさびと同じものを、全員で何度も合唱することになった。"We are the world"があれだけ連呼されたのは、予定にはないアクシデントだったのだ。

 いろいろとあったレコーディングだが、このスター揃いの面子の中で、最大のエゴを発動したのは、もちろんわれらがマイケルである。ライオネル・リッチーとともに作詞作曲を担当したマイケルは、作曲の作業を終えると、自分とライオネルの2人でリードボーカルを取り、大勢のスーパースターたちにバックコーラスをさせるという素晴らしいアイデアを思いつく。だが、そんなことになったら、当然44人のスーパースター全員がその場から姿を消すのは明白。当然許されるわけもなく、クインシーに即刻却下されたのはいうまでもない。

 これらのエピソードの多くは、クインシーの自叙伝から引っ張ったものなので、多少の誇張はあるかもしれないが、『ウィ・アー・ザ・ワールド』の裏側が多かれ少なかれ、こんな様子だったことは想像に難くない。世紀の美談なんてウラを返せばこの程度のものである。

社会化するゲルドフと引きこもるマイケル

 さて、『ウィ・アー・ザ・ワールド』は、そもそもその前年にイギリスでアーティストたちが集まって、アフリカの子どもたちのために行ったチャリティイベント「バンド・エイド」にアメリカの歌手たちが、影響を受け、真似たものだ。バンド・エイドとUSAフォー・アフリカは、形式としては両者相まみえる形で日米両会場でのチャリティイベント「ライブ・エイド」に発展する。
 
 これらの話には後日談がある。
 
 バンド・エイド側の代表であったブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフとU2のボノは、数年後、このときの寄付金がアフリカの債務国の1週間分の利子にしかならなかったことを知り、愕然とする。世界を救う試みが、自己満足でしかなかったことを目の当たりにしたのだ。
 
 その反省を受けたゲルドフらは、自分たちの行動を、寄付活動から政策提言へと切り替える。つまり"チャリティーからアドボカシーへ"という変化である。彼らは、政治家へのロビーイングや政策提言のためのデモやイベントを行うようになる。これは、旧来の政党や中央指導部が指揮する社会運動ではなく、個人やNPOやNGOが連帯する形の「新しい社会運動」であった。ゲルドフらは90年代以降、社会にコミットする方向に向かったのだ。
 
 一方マイケルは、1991年に行われたスーパーボウルで、2000人の子どもに各国の伝統衣装を着せ、『ヒール・ザ・ワールド』を歌った伝説のハーフタイムショーを行った。あくまでも現実の社会問題に深くコミットすることはなく、表現として"理想のワールド"を脳内に描くアーティストの立場を貫いたのだ。彼には、ゲルドフらのような挫折はかけらもなかったのだろう。
 
 2000人の子どもに各国の伝統衣装を着せたスーパーボウルのハーフタイムショーは、マイケルの大好きなディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」を現実化したものだ。ここからもわかるとおり、マイケルは現実の世界=社会を直視することを避け、妄想の世界に生きるようになっていく。事実、90年代以降のマイケルは、自らの資産を投じて買い取った施設・ネヴァーランドに引きこもっていくようになる。

マイケルとは現代人の自画像?

 90年代後半以降、アーティストとしての活動も低調になるマイケルとは逆に、ゲルドフとボノらの「新しい社会運動」は、反ネオリベを打ち出す反グローバリゼーションの運動として世界規模で大きくなっていく。そして、05年にスコットランドにて行われたG8サミットに合わせた一大イベント「ライブ8」でひとつの到達点を迎える。ライブ・エイドのときのように、寄付金を集めることではない。あくまでG8サミットに参加する国家元首たちと、世間に向けてアフリカの債務帳消しを求める、政策提言を目的としたイベントである。
 
 もちろん、単純にゲルドフらの活動が正しいかどうかは別問題だ。反グローバリゼーション運動とはどれほどのものか。一方的な先進国による途上国に対する搾取の構造、フェアトレードの不徹底の是正といった旧来然としたサヨクの主張を垂れ流すこの手の運動と、マイケルのイノセントとの間にどれだけの違いがあるのか。反グローバリゼーションの合い言葉「もう一つの世界は可能だ」は、ピュアな反体制運動でしかないことを表す物言いに映る。
 
 だが、比較するなら、社会にコミットした活動を行ったゲルドフとボノ、社会から撤退し、引きこもったマイケル。この両者の差は明白だ。ここからは、「開かれるEUと孤立するアメリカ」「成熟するEUとだだっ子のアメリカ」という構図も読み取ることもできるだろう。
 
 マイケルがかかわった『ウィ・アー・ザ・ワールド』から『ヒール・ザ・ワールド』に至る2作における「ワールド」とは、「イッツ・ア・スモールワールド」から一歩も出ない空想の世界である。それは、「自分の謎」と「世界の謎」を直結させた「セカイ系」と呼んでも差し支えない思想である。『ウィ・アー・ザ・ワールド』『ヒール・ザ・ワールド』は、マイケルのセカイ系二部作なのだ。
 
 脳内限定の博愛主義者にして、引きこもり。セカイ系を萌えオタたちより先取りし、12歳以下の子どもしか愛せないマイケル......。なんだ、これってオレのことじゃん。そう思った読者もいるはずである。
 
 マイケルとは大人になれない現代人の自画像なのだ。マイケルを"人類愛と環境保護のために生きたピーター・パン"に祭りあげることを全力で阻止したい。これは、成熟できない現代人としての、自戒を込めたものでもある。

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はやみず・けんろう
1973年生まれ。音楽、芸能など幅広い分野で執筆活動を行う。著書に『ケータイ小説的。〜再ヤンキー化時代の少女たち』(原書房)など。[ブログ]犬にかぶらせろ!


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