萱野稔人氏。
"理想論を掲げ、狭量できれいごとしか言わない"と、一般的には見られがちな左翼とその活動。だが、歴史やアカデミズムの観点から見ても、本来の左翼は非常に多様だという。近年の薄っぺらな左派ブームに惑わされない"懐の深い左翼本"について、「ナショナリストな左翼」を公言する哲学者・萱野稔人氏に話を聞いた。
──プロレタリア文学の代表作『蟹工船』の映画化や共産党員数の増加など、不透明な社会情勢の影響からか、"左翼"に注目が集まっているようです。
萱野 僕が学生だった1980年代から90年代にかけては、社会の中に"左翼アレルギー"が根強くありました。これに対して現在は共産党の新規入党者も多く、ある意味では左翼ブームといえるのかもしれない。その背景には、格差や貧困が広がっているという現実もあるでしょう。他方で、現在の左翼運動には"マイノリティ"が集まる。つまり、ほかの場では存在を否定されてしまったような人たちが、優しく受け入れてくれる"居場所"を探して、運動に加わるケースも多いようです。
──そうした風潮を、「自分探しにすぎない」として批判する若手論者もいますが。
萱野 個人的には、そこにあまり目くじらを立ててもしょうがないと思います。もともと左翼は、精神や意識から問いを立てません。「社会が悪くなったのは、人々の道徳意識が低下したからだ」というのが、典型的な右の考え方だとするなら、左翼は社会構造にその原因を求める。例えば、フリーターが増えたのは怠ける若者が増えたからだと考えるのではなく、社会の経済的構造が変わったからだとするのが左翼です。こちらは社会的、経済的な条件を整えるから、実存的な部分については各自勝手にしなさい、と。左翼はマイノリティを受け入れる懐の深さを持つべきなんです。
──左翼が「社会構造に原因を求める」という点で、現在の左派論壇からの声はいかがでしょうか?
萱野 固有な意味で社会構造を問うような仕事は、論壇では少ないと思います。現在は、マルクス主義が衰退してポストモダンが流行し、研究者が構造的に社会をとらえるということをやらなくなった。社会学が長く流行していますが、これは社会を構造からというよりは、人々の意識から問いを立てる学問です。例えば、「外からは不可解に見える若者の行動にも、実はこういう合理的なロジックがある」というように、意識の側に理論がシフトしている。自分としては、意識もいいけど、社会構造をより問い続けたいと思っています。
──さて、ここまでの話を踏まえて、近年に見られる安直な"左翼ブーム"を見据えながら、左翼の真髄が理解できる書籍を挙げていただきました。
萱野 テーマは"懐が深い左翼"です。真面目、道徳だけで生きている、と言われるように、今の日本では、"浅く平べったい"というのが左翼のイメージでしょう。『蟹工船』のような啓蒙的な物語が大きく取り上げられていますが、本来、日本の左翼はもっと多様です。
まず紹介したいのは、大杉栄『自叙伝・日本脱出記』【1】。大杉は、「面白い日本の左翼」というときの定番ですね。彼はアナキストと言われていますが、もともとは軍人の子どもでした。14歳で陸軍の教育機関である名古屋地方幼年学校に入学し、そこで下級生に性的いたずらをする事件を起こします。彼はそれで謹慎を食らって、真面目に生きようと決意するわけですが、他方で、指導してくる先生や先輩にどこにも尊敬できる部分がないことに気づく。そこで軍隊や権威を嫌い、左翼に入っていった。彼はその後も、婦人解放運動家の伊藤野枝と付き合う一方で、1916年には神近市子という女性に色恋沙汰をめぐって刺されるなど(日蔭茶屋事件)、かなりテキトウな男なんですよ(笑)。そして23年、ベルリンで開かれる予定の「国際アナキスト大会」に出るために日本を脱出しますが、この大会が権力側に警戒され、なかなか開催されない。その間に、パリのメーデーで大演説を打って、日本に強制送還されます。そして関東大震災が起こり、憲兵に虐殺されました(甘粕事件)。
──あらためて振り返ると、すごい人生ですね。
萱野 強調したいのは、左翼に向かうきっかけとなった性の部分です。大島渚監督の映画『御法度』でも描かれていますが、軍隊と同性愛(的な行為)は、実は切っても切れない関係にある。規則では禁止されていても、インフォーマルなルールとして、みな公然とやっている。その落差をどう生きるか、という問題と、大杉の左翼性は深くつながっているんです。
フーコーも分析したヤクザと反権力の関係
──続いて、『水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年』【2】を挙げていただきました。
萱野 "部落解放の父"と呼ばれた松本治一郎の評伝です。九州から出てきて、1925年に全国水平社中央委員会議長に就任し、36年から衆議院議員になりました。野中広務とよく似た出自ですが、松本治一郎の半生から、部落解放運動の歴史がわかるのがこの本の特徴ですね。やはり部落というのは一筋縄ではいかない。彼は11年に九州で土建業の松本組を開き、その後に水平社ができて委員長になり……という流れですが、要するに彼はヤクザであり、左翼でもあったんです。
──彼は、どのような点で左翼だったのでしょうか?
萱野 部落差別と闘い、なんとか社会構造を変えようとした。一方で、部落にはヤクザ社会とのつながりもあれば、最底辺でも生きていくために、ドロドロとした利権の問題もある。その中で生きてきた松本治一郎には、人間の大きさを感じます。今の左翼の典型的なイメージは、「潔癖さを求めて、敵対勢力とは手を結ばない」というものでしょうが、目的達成のためにはなんでもやるタフさを持った左翼もいるということです。「左翼はキレイごとしか言わない」と思っている人には、ぜひこの本を読んでもらいたい。読み物としてもすごく面白いです。
また、ヤクザと社会運動の関係について論じたものでは、猪野健治氏の『やくざと日本人』【3】も名著ですね。
──特に読むべきポイントとは?
萱野 例えば第4章では、1884年の秩父困民党一揆を扱っています。困民党を指導していたのは博徒であり、つまりヤクザが社会運動をやっていた。フーコーの『監獄の誕生』(新潮社)でも分析されていることですが、資本主義が出てきた頃は、西洋でもヤクザのような存在が反ブルジョア・反警察という運動を展開していました。「それをどう分離するか、というのが当時の内務省的な権力の狙いだった」というのが、フーコーの分析です。また第6章では"テキヤの社会主義運動"が取り上げられていて、社会主義運動や貧困者の運動の一面的なイメージを壊してくれると思います。
──テキヤと社会運動のつながりとは、今では想像できないですね。
萱野 もともとテキヤは、地元の共同体的な結びつきや相互扶助を追求するので、今はやりのアソシエーションと結びつかないわけではない。これが分離された要因は、テキヤと権力の両方にあり、まずは「運動は金にならない」ということでテキヤ自身が離れていった。そして警察の側も「博打や露天は摘発しないでやるから、権力の犬になれ」と迫る。いずれにしてもこの本は、フーコー研究の分野においても、もっと取り上げられるべき名著だと思います。
山谷の劣悪な労働環境と人材派遣業界の関連
──左翼といえばマルクス主義が思い浮かびますが、その名著にはどんなものが挙げられますか?
萱野 絶版になっているため一般の書店で探すのは難しいですが、『天皇制国家の透視 日本資本主義論争1』【4】がすごい。
30年代、野呂栄太郎らの講座派に対して労農派が異を唱え、論争に発展したのですが、これが資本主義分析の論争として、世界的に見ても極めてレベルが高い。左翼の知性がどこにあるか、ということをよく示す好例でしょう。「社会を構造として捉える」ということには、「社会は総体としてどうなっているのか」を示すという意味がある。そうした知の構えが左翼の強みであり、左翼がそれを捨てたら終わりだと思います。この本は論争のトピックごとに、重要論文を掲載しているため、誰が論客になり、論争がどう発展していったかが、よくわかります。
──『現代思想』(青土社)の臨時増刊号「戦後民衆精神史」も推薦されています。こちらはどんな内容ですか?
萱野 50年代、労働運動が盛り上がっている時代に、いわゆるサークル運動がすごく流行って、労働者たちはさかんに小説や詩を書いていました。それを特集した号です。現在、"文化と政治"ということがよく言われますが、この時代の文化活動のほうがよほど深い。また戦後を論じたものであれば、上野英信の『追われゆく抗夫たち』【5】も名著だと思う。炭坑の悲惨な状況をルポルタージュしたものですが、「炭坑の労務管理を、ヤクザを従わせた警察OBがやっている」という分析が鋭い。先ほどの話ともつながりますが、社会運動から離れていったヤクザは、警察と取引するようになったわけです。こうした社会に対するリアリティ、つまり暴力・権力・金がどう絡まっていったのかという問題意識を、この本を読んで感じてほしいですね。
──ルポといえば、竹中労氏の『決定版ルポライター事始』【6】も挙げられています。今も人気がある1冊ですね。
萱野 竹中労は、美空ひばりの本を書いたり、左翼運動をしたり、沖縄に行ってヤクザのような活動をしてみたり、仕事ぶりを見ても多岐にわたった人でした。松本治一郎などは時代が違いすぎて、現代のモデルにはなりにくいのですが、竹中は現代における左翼のひとつの肖像だと思います。また彼は山谷の労働運動を支援していましたが、ここで定番を挙げるなら、山岡強一の『山谷 やられたらやりかえせ』【7】も面白い。彼は全国日雇労働組合協議会の創設メンバーであり、山谷労働運動のリーダーだった人物です。そして、この本と同じタイトルの映画の製作中に暗殺されてしまった。この本が素晴らしいのは、今の派遣労働や非正規雇用の問題の本質を考える上で、アクチュアリティがあるということ。当時の山谷の労働者は、何と戦っていたのか。それは、労務供給をするピンハネ業者です。現在の派遣業は、これが合法化された形態にほかなりません。つまり派遣法の制定によって山谷の状況が社会全体へと一般化されたわけです。彼は86年に殺害されましたが、85年に派遣法が成立した際には、「こんな法律が通ったら、我々がやってきたことはなんだったんだ」と言っていました。当時から、同法の本質を見抜いていたということです。
──人材派遣をめぐる問題は、今後も論争を呼びそうです。さて、小熊英二氏の『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)は、どんな理由で選ばれたのでしょう?
萱野 戦後の左翼運動を見ると、実はナショナリズムに立脚しているものが多い。今のイメージのような、右が愛国で左が反愛国、という対立図式は成り立たないんです。特に共産党はナショナリストで、ポスターにずっと富士山を使っていましたよね。僕なんかも時々ナショナリスト的なことを言ったりしますが、今ではすぐに左から批判が来る。しかしこの本を読めば、左翼を反ナショナリストとみなす発想が歴史的にはいかに的外れなものかがわかるでしょう。常識が覆される一冊ですね。
──現在活躍中の論客では、どんな方に注目していますか?
萱野 湯浅誠さんの『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』【8】は、ぜひ紹介したい。今の左翼運動は、非正規雇用が固定化され拡大していく中で、生活を相互扶助する側面を強めています。湯浅さんは、それをずっと実践しており、今の左翼の肖像を知るには良いと思います。彼と実際に会ってみると、浮ついた理想論者的なところがまったくありません。問題を把握したら、それを解決するために淡々と物事をこなしていく。何事にも動じない度胸があり、現場を生きる人間の最良の部分を見せてくれる人です。
──今年7月には、萱野さんご自身も、雨宮処凛さんとの共著『「生きづらさ」について』【9】を出版されましたね。
萱野 一部には「雨宮さんは自分探しのために運動をやっているだけだ」と揶揄する人間もいますが、僕はまったく逆だと思います。雨宮さんには問題を見抜く鋭さと行動力があり、湯浅さんと同様、ヤワな自意識から脱却しています。すぐに他人に対して優越感に浸ろうとしたり、逆にすぐに妬んだり卑屈になったり、という自分かわいさからくる言動がないんです。雨宮さんを批判する人たちには、「雨宮さんくらい自意識をコントロールできるようになってから出直してこい」と言いたい。セコい自意識を満たすために、左翼を批判しやすいグッズとして扱うのではなく、論者の生き方まで含めて見るようにしてほしいですね。
(構成/神谷弘一(blueprint))
(写真/江森康之)
萱野稔人(かやの・としひと)
1970年、愛知県生まれ。津田塾大学准教授。哲学者。著書に『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『「生きづらさ」について』(光文社新書/雨宮処凛との共著)など。
【1】『自叙伝・日本脱出記』
【2】『水平記(上)松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年』
【3】『やくざと日本人』
【4】『天皇制国家の透視 日本資本主義論争1』
【5】『追われゆく坑夫たち』(同時代ライブラリー版)
【6】『決定版ルポライター事始』
【7】『山谷 やられたらやりかえせ』
【8】『反貧困─「すべり台社会」からの脱出』
【9】『「生きづらさ」について』