片岡鶴太郎からジミー大西まで! 芸能人芸術家の本当の値打ち

──なぜ芸能人は絵を描きたがるのか? そんな疑問が浮かぶほど、芸能活動の傍らで絵を描いていることを、ひそかなアピールポイントにしている芸能人は意外に多い。しかし、アーティストとしての真価は、果たしていかほどのものなのだろうか?

『まっ白 ジミー大西画集』(集英社)

 芸能人でありながら、芸術活動にいそしむ向きは多い。かつては美大出身の城戸真亜子、元お笑い芸人のジミー大西、同じくお笑いタレントの片岡鶴太郎、そして二科展連続入賞を誇る工藤静香など、画壇でも評価されている芸能人は少なくない。では、なぜ芸能人は絵を描きたがるのだろうか? 芸術家としての真価は、果たしていかほどのものなのだろうか? 実例を挙げながら、その真相を探ってみたい――。

 まず、芸能人から芸術家へと、キッパリと転身を遂げた特異な存在といえば、ジミー大西が挙げられるだろう。彼が絵描きとしてスタートしたきっかけは、92年、読売テレビ『EXテレビ』の中の、タレントが描いた絵をオークションするという企画でのこと。このとき初めてまともに絵を描いたのにもかかわらず、33万円の値がついたのだ。その彼を本格的に絵の道へと導いたのが岡本太郎で、枠にはまらない彼の作風を見抜き、「キャンバスからはみ出して描け」とアドバイスしたという逸話が残っている。

「岡本はジミーに紫の絵の具も贈っているのですが、紫というのは使い方が難しく、ジミーは使えないでいたという話がありました。ひょっとしたら岡本はその難しさをわかって、あえてその色を選んだのかもしれませんね。岡本は、芸能人の芸術活動においてキーマン的な存在だった人で、親交の厚いタモリを通じて鶴太郎に芸術界隈のさまざまな人物を紹介したりもしていたようです」(芸能リポーター)

 ジミーは96年に芸能活動を引退し、創作に専念。その後は一時期スペインに移住するなど、画業に磨きをかけている。その彼が、芸能活動をやめたきっかけは、絵を描いている途中にテレビの収録に出かけるため中断し、帰ってきたら同じ色が出せなかったため、両立が不可能であることを悟ったからだという。

 しかし、そうしてアート活動一本に絞ったジミーはむしろ例外的な存在で、ほとんどの芸能人アーティストは、芸能活動とアートの両輪を続けることで、なんらかの相乗効果を狙っているようにも見える。そこにはどんな意図が込められているのだろうか?

 ジミーと並び、芸能界周辺でその芸術資質が本物だと言われているのが、城戸真亜子である。彼女は、武蔵野美術大学油絵学科を卒業しており、タレントをしながら画家としても活躍。つい最近も、NHKの趣味の講座番組で、『城戸真亜子の油絵って楽しい!』というシリーズが放映された。雑誌のインタビューで、城戸は「人に向かって表現するテレビの仕事を経験したおかげで、絵でも人に向かって発する訓練ができた」と語っているが、「女優としてはさほど代表作が思い浮かびにくいだけに、『画家をしているタレント』というスタンスをうまくつくり上げることで、活動の枠を保っているとも言える」(前出・芸能リポーター)だろう。

 一方、「俳優・画人」を名乗り、絵画だけでなく、焼き物、漆、染め、生け花、ガラス制作など、幅広く手を出して活動しているのが片岡鶴太郎だ。芸能人の交友関係に詳しい向きによると、「画家としてデビューしたあたりから、バラエティ番組を敬遠するようになり天狗になって、付き合いが悪くなったとみられることもある。まあ、片岡自身、役者気質が強くて、どこかでバラエティタレントには見切りを付けたかったようだから、良い機会だったのだろう」ともっぱらの噂だが、それを裏付けるように、本人も雑誌の対談で、「絵を描く分、朝が早く、それで夜のお付き合いができなくなって、友達がいなくなりました」と語っている。

「片岡鶴太郎は、群馬県草津町や石川県加賀市、佐賀県伊万里市など、あちこちに自分の美術館や工藝館を持っていますが、よほどいいスポンサーがついているのでしょう。企業としても、単なるアーティストよりも、芸能人として知名度のある鶴太郎と組んだほうが、さまざまなビジネスとつなげやすいわけで、鶴太郎も、うまくそういうニーズに乗っかって成功したと言えるでしょうね」(週刊誌芸能記者)

 そのアーティストイメージを高めるために、バラエティ番組に出るのをやめた鶴太郎。映画監督として世界的に成功しても、バラエティ番組に出たり、若い芸人の面倒を見ている北野武とは対照的に見る向きも多い。ちなみに、鶴太郎の所属事務所である太田プロの応接室には彼の絵が飾ってあるという。

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