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【premium限定連載】芸能ジャーナリスト・二田一比古の「週刊誌の世界」

たけし軍団はたけしから何を学んだのか? 師弟関係が産んだビートたけしの誤算

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 ビートたけし(71)の独立を巡り勃発した「たけし軍団」と森昌行社長のバトル。メディアを使った軍団の作戦前に社長は陥落。たけしに対しての非を認め経営方針を反省。文書による公開「謝罪」という形で一応、決着した。

「週刊誌を中心に独立の影にたけしの愛人の存在があるという報道からたけしと社長の確執に問題がすり替わった感がある。穿った見方をすれば、軍団が師であるたけしの愛人話の火消しのために公にする必要もない社長の話をブログで発信。愛人話の火消を果たした。そんな見方もできる。たけしだけが独立しても軍団との師弟の絆を見せつけたようでもありました」(ワイドショー関係者)

 師弟関係は日本の古き良き伝統。寿司職人など、職人の世界でもよく使われる。弟子は師匠の元で厳しい修行をして、やがて一歩立ちして独立していき、技の伝統に繋がっている。芸能界でも落語家や漫才師など芸人の世界では昔からあったしきたりだが、今は吉本興業のように学校で学ぶ形になり芸人の世界での師弟関係は薄れている。たけしとたけし軍団の師弟関係は30年前に結ばれた。弟子は師の芸を学び成長していく。師も弟子を厳しくしつけながら芸を教える。それが正しい師弟関係とされるが、たけしの芸をしっかり受け継いだタレントは軍団の中にいない。そのまんま東の芸名でたけしの一番弟子だった東国原英夫も今やたけしと肩を並べる存在だが、東が大きく成長した要因は軍団を辞め、自らの力で政治家になったことだ。直接、たけしの芸を引き継いだわけではない。たけしは連載中の週刊ポストの誌面でこんな話をしている。

「芸人というのは結局のところ自分に『芸』がなきゃ売れ続けるなんて無理」

 と軍団の面々に芸がないことに対しての苦言を呈している。教えなかったのか、学ばなかったのかはともかく、本来の師弟関係は構築できなかったが、別な形では師弟関係の本流を発揮していた。

 1986年の「フライデー」殴り込み事件。たけしの愛人と言われた女性の報道を巡り、たけしはフライデーを発行する「講談社」に殴り込んだ。本来ならたけし1人の話。たけしが乗り込むなら筋は通るが、軍団は「殿の一大事」とたけしと一緒に殴り込んだ。まるで、親分の危機に子分が殴り込むヤクザようにも見えてくる。今回のケースも似ている。暴力こそ使わなかったが、今回は暴力をブログでの告発という形に変えて社長を批難したように見える。

 師弟関係も様々なケースがある。漫画家やカメラマンの世界にも師弟関係は存在する。彼らには「アシスタント」と呼ばれる弟子がいる。彼らは、師のアシスタントをしながらいずれ一流の漫画家やカメラマンを目指すが、不思議なことに「○○の弟子だった漫画家、カメラマン」というのは意外と少ない。業界関係者からこんな話を聞いたことがある。

「漫画家でもカメラマンでも、アシスタントが自分を抜くような才覚を発揮しだすと、師匠は自分の仕事を取られるという危機感を持つ人がいる。そうすると、アシスタントを一本立ちさせまいとする。アシスタントは技術だけ学んだら、独立して自らの力で這い上がっていくしかない。唯一、弟子の出世に手を差し伸べたのは、漫画の赤塚不二夫さんぐらい。“釣りバカ日誌”の北見けんいちは赤塚氏のアシスタントとして修業して独り立ちした」

 たけしは軍団の中からたけし芸を受け継ぐようなタレントを作ることをあえてしなかったのか、それとも彼らが本気で学ぼうとしなかったのか——。

 皮肉なことに、軍団が先駆者だった「リアクション芸」は後に、ダチョウ倶楽部の3人が第一人者となり、今では出川哲郎がピンで縦横無尽の活躍をしている。軍団の中にリアクション芸のスターが出ていれば、たけし1人の稼ぎに頼らずに本来の正常な事務所運営ができたように思う。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

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