サイゾーpremium  > 連載  > 稲田豊史の「オトメゴコロ乱読修行」  > オトメゴコロ乱読修行【33】/【半沢直樹】夫婦間呼称問題、セレブ妻が見せた女性側の内紛

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

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 ここ1年ほど、フェミ界隈の面倒案件のひとつに、「パートナー呼称問題」がある。既婚女性が夫のことを「主人」と呼ぶ習慣について、一部女性が激しく異議申し立てをしている件だ。

「“主人”は相手への隷属・従属を誓う意志が現れた呼称であり、共働きで経済的に対等であるはずの女性がそう呼ぶのはありえない」「仮に夫より収入が低かろうが、専業主婦であろうが、妻は女中でも奴隷でも愛人でもないのだから、夫を“主人”と呼ぶべきではない」。ごもっとも。

 ちなみに「旦那」もNGだ。要するに、上下関係・主従関係の気配が0・1ベクレルでも察知される呼称は、すべて狩られる運命にある。

 とはいえ、昭和世代の年配層でも男尊女卑信奉者でもない20~30代の既婚女性が、自発的に「主人」を使用しているケースは少なくない。『負け犬の遠吠え』(講談社文庫)で知られるフェミ界隈のご意見番・酒井順子女史によれば、「やっと結婚できてうれしくて仕方ない人は、隷属したい気持ちが『主人』という言葉に込められている」「『うちの人はお金持ち』という意味で使っている人もいます」(毎日新聞 2017年8月28日 東京夕刊)とのことだが、さもありなん。

「主人」のなかに、そのような言外の自己主張が、言霊レベルで含まれていることは、テレビドラマ『半沢直樹』(TBS系)で半沢(堺雅人)の妻・花(上戸彩)がイヤイヤ参加する社宅の「奥様会」の様子を見れば、理解できる。地域の支店に勤務する銀行員の妻で構成されたこの会では、当然のように「主人」が飛び交っているが、銀行での夫の地位と奥様会での妻の地位が完全に連動している状況からすれば、当然のこと。自分の主人ならぬ主君の石高によって家臣の態度に差がつくのは、今も昔も変わらない。そんな彼女たちに「なぜ主人と呼ぶのか!」と、市川房枝か平塚らいてうばりに詰め寄ったところで、眉ひとつ動かさず「皆さんそうですし、一番角が立ちませんから」と返ってくるのは目に見えている。

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