>   > 磯部涼の「川崎」
連載
磯部涼の「川崎」【3】

多文化都市・川崎の、路上の日常と闘いと祭り

+お気に入りに追加

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

1603_kawasaki_01.jpg
昨年11月に川崎区で行われたヘイト・デモに抗議するカウンターの人々。

 冬の柔らかい日差しが心地よい日曜の午後、川崎駅から1キロほど離れた静かな通りに、不穏な空気が漂い始めていた。初老の女性が自転車を止めてけげんな顔で振り返り、ラーメン屋の主人が何事かとのれんをくぐって外に出てくる。彼らの視線の先に目をやると、まるで雷雲が近づくかのように、大勢の集団がノイズを立ててこちらに向かってくるのが見えた。やがて、あたり一帯は混沌にのみ込まれる。

「川崎のみなさん! あなたたちの暮らしを、外国人の犯罪者が狙っています!」「差別はやめろ!」「そんな奴らは、この街からひとりもいなくなったほうがいいに決まっている!」「今すぐ帰れ!」「我々日本人は、奴らの食い物じゃないんですよ!」「川崎なめんな!」

 嵐のさなかにいると、遠くからはひと固まりのように見えたものが、60人ほどのデモ隊をその何倍もの機動隊が取り囲み、またそれをさらに何倍もの人々が取り囲んでいるという構図であることがわかる。あるいは、ノイズのように聞こえたものは、デモ隊がまくし立てるヘイト・スピーチに対して、人々がカウンターとして抗議の声を上げているのだった。

 前者が掲げるのは「日本浄化デモ」という段幕や「多文化共生断固反対」というのぼり。一方、後者はそれらのメッセージを覆い隠すため、「川崎安寧」や「いつまでもこの街で ともに仲良く」と書かれた大きな布を沿道に広げる。カウンターに参加しているのは、老若男女、さまざまな人々だ。白杖をついた視覚障がい者もいれば、自転車に乗った不良っぽい中学生もいる。パンクスが掲げたプラカードにはこう書かれている。――「KAWASAKI AGAINST RACISM」。

 その前週の土曜、川崎駅前の繁華街を抜けたところにある川崎市労連会館では、「ヘイトスピーチを許さない オールかわさき 市民集会」と題したシンポジウムが開催されていた。市民団体の代表や弁護士に続いて登壇したのは、まだあどけなさが残る13歳の少年だ。司会者の「プライバシー保護のため、写真を撮らないように」という注意に続いて、彼は緊張した面持ちで話し始める。

「僕のオモニは在日韓国人です。父は日本人です。僕は小さい頃から2つの文化背景を持つダブルであるということを、家族や周りから大切にされて育ってきました。僕が街を歩いていると、近所の人が“アンニョン”と挨拶をしてくれます。友達も僕と同じように、オモニに“オモニ”と声をかけてくれます。僕には日本人の友達も、同じコリアン・ダブルの友達も、フィリピンやブラジル、ベトナムにルーツを持つ友達もいます」

 少年が暮らしているのは川崎区臨海部の街、桜本だ。そして、ある日、彼は地元にヘイト・デモがやってくるという話を耳にする。

「僕はカウンターに参加することにしました。デモをやっている人たちに、普通にみんなで仲良くやっていることを説明すればわかってくれると思ったんです。ところが、僕の想像以上にヘイト・デモはひどい状況でした」

 少年は涙で声を詰まらせた。

「奴らはヘラヘラと笑いながら挑発をしてきました。近づこうとしたら警察の人に『あっちへ行け』と言われました。差別はダメだって言いたかっただけなのに。隣にいるオモニは泣いていました。いつも優しい父は怒っていました」。彼は深く傷ついたまま、日常へと戻っていく。「次の日に学校に行ったら、先生が『味方がいっぱいいるからな』と話しかけてくれた。友達が『大丈夫だった?』と話しかけてくれた。こんなにいい街なのに……」

 満員の会場に拍手が鳴り響く。それを、椅子に座らず壁際で立ったまま見つめている男たちがいた。シンポジウムの参加者は中高年が中心だったが、彼らはその中では若く、フーディやコーチ・ジャケット、クラスト・ファッションで身を包んでいる。川崎区を拠点に活動する反レイシズム団体〈C.R.A.C. 川崎〉のメンバーたちだ。新たなヘイト・デモの開催が迫っていた。

ヘイト・デモを許可しカウンターを阻む警察

1603_kawasaki_03.jpg
バラック群だった頃の名残をとどめる川崎区池上町の風景。

 川崎市では排外主義を主張するいわゆるヘイト・デモが、2013年5月を皮切りに、これまで計12回も行われてきた。主催者が特に川崎区にこだわるのは、ほかでもない、外国人市民が多いためであり、それを受けて市が推進する多文化共生政策に対して異議を唱えるためである。また、ここ2回はデモ・コースが桜本を含む“大浜地区”という、多文化主義を象徴する地区を通過するなど、その狙いはより露骨になっている。

 そもそも、川崎区に外国人市民が多い要因のひとつとしては、海沿いに広大な敷地を持つ鉄鋼会社・JFEスチールの前身である日本鋼管が、同地に軍需工場を構えていた頃、そこに、労働者として多くの朝鮮人が集められた事実が挙げられる。そして、当時の名残は、JFEの敷地に隣接した大浜地区・池上町に行けば感じることができるだろう。

「『これが、アメリカで言うところのゲットーか』なんて、中学生でヒップホップを聴き始めてからも考えたことはなかったです。自分としてはこれが普通だと思ってたんで。でも、ある日、外の人に指摘されて『ああ、そうなんだ』って」

 川崎区の若きラップ・グループ、BAD HOPのメンバーで、池上町出身のBARKは待ち合わせた街の入口に立ち、頭上の高架を指差しながら言う。

「子どもの頃、遊ぶ金もないし、あそこによじ登って貨物列車に飛び乗ったりしてましたね。根性試しって感じで。街の中が迷路みたいなんで、鬼ごっこするのも楽しかったです」

1603_kawasaki_04.jpg
池上町で生まれ育ったBAD HOPのBARK。

 BARKは細く入り組んだ路地を勝手知ったる様子で歩いていく。もともと、ここは日本鋼管の敷地に朝鮮人労働者が無計画に建てたバラック群だったため、今もこのような入り組んだ構造になっているのだ。時刻は夕方だったが、街灯が少ないため、すでに薄暗い。

「悪さをするようになってからは、警察に追われてても原付でここに逃げ込めば、まけましたね。パトカーが入ってこれないんですよ」

 そのとき、角から子どもが飛び出してきた。いつかのBARKも、こうして遊んでいたのか。

 90年代半ば、日本人であるBARKの両親は安い家賃を求めて、池上町にたどり着いたのだという。

「家は貧乏ですね。クリスマス・プレゼントとかもらったことないですもん。小さい頃、親に『サンタなんていないよ』って、はっきり言われましたから」

 やがて、路地を抜けると、ほとんど遊具のないがらんとした公園の前に出た。

「だいぶきれいになりましたけど、昔はこのへん、不法投棄がすごくて。車が2台、積み上げてあったり。あと自殺も。初めて死体を見たのは小学生のとき。滑り台におじさんが寝てると思ったら、その後、黄色いテープが貼られて立ち入り禁止になってて」

 そして、彼は今でもそんな街に住んでいる。

「食卓にはいつも近所からもらったキムチが上がります。自分は3人兄弟の真ん中。兄貴はどっかに行きました。まぁ、生きてりゃいいやって。弟はオレみたいになりたくないって勉強を頑張ってる。自分の部屋がないんで、リリックはイヤホンでビートを聴きつつ、近所を散歩しながら書いてますね。母親はこっそりBAD HOPのYouTubeをチェックしてるみたい。今は、ラップを通してこの街のことを伝えられたらって思ってます」

「ヘイト・デモについてどう思う?」。BAD HOPと酒を飲んでいた際、ふと聞いてみると、YZERRの表情が曇った。

「あれってなんなんですか? 外国人の中にはムカつく奴もいるけど、いい奴だっているじゃないですか。それは日本人も同じで。全部でくくるのはおかしいですよ」

1603_kawasaki_05.jpg
韓国がルーツのひとつであるBAD HOPのTIJI JOJO。

 祖父が韓国人だというTIJI JOJOも言う。

「MVを池上町で撮ってるのは、BARKの地元なんで馴染み深いってのもありますし、さまざまな人種がいるのが川崎の色だと思うんで」

 BAD HOPの楽曲「Chain Gang」にはこんなラインがある。――「目みりゃわかるこの街の子」「なにより1人が嫌な奴ばっかり/物心つく頃に居た仲間なら多国籍でも」「Korean Chinese 南米 繋がれてる/川崎の We are Chain Gang」

 ヘイト・デモが追分交差点を左折する。カウンターに参加していた地元の女性が、事前には発表されないコースの展開に勘づき、叫ぶ。「四つ角に集まって!」。人々がデモ隊を追い抜き、500メートルほど先の大島四つ角を目指す。そこを曲がれば桜本なのだ。「どうしよう、街に来ちゃうよ」。少年が泣いている。母親が彼を抱きしめる。カウンターの何人かが交差点の路上に寝転んだ。身をていしてヘイト・デモを止めようというのだ。機動隊が彼らを路上から引き剥がそうとする。「危ないから起きなさい!」。〈C.R.A.C. 川崎〉のKが怒鳴る。「お前らが奴らを通すから、こうしなくちゃいけねぇんじゃねぇか! 子どもが泣いてんだろ!」。やがて、あたりが騒然とする中、足止めを食らっていたデモ隊が警察の指示で来た道を引き返していった。

 川崎における12回目のヘイト・デモの2カ月前――そして、11回目のヘイト・デモの2週間後の日曜、桜本でその名も“日本のまつり”と題した祭りが行われていた。桜本は在日韓国・朝鮮人のコミュニティとして知られているが、実際はもっと多様である。ごった返す商店街を抜けて、コミュニティ・センター〈ふれあい館〉の前に行くと、ちょうど、チョゴリを着た子どもたちが出てきたところだった。その中には日本人の子どももいれば、フィリピン人の子どももいる。〈C.R.A.C. 川崎〉のNも今日はクラスト・ファッションではなく、借りたチョゴリを着て、ちょっと照れ臭そうにしている。これからパレードが始まるのだ。

 みんなで集合場所の公園へ向かう。途中の道では日本の神輿の準備が進められている。寿司屋の前では設置されたDJブースから流れるハウス・ミュージックに合わせて、地元の老人たちが身体を揺らしている。公園ではプンムルノリという朝鮮半島の伝統舞踊が行われている。もちろん、川崎における多文化共生政策には課題があるだろう。警察はヘイト・デモに許可を与え続けている。その現場に市の職員は足を運ばない。対して桜本の人々は、たとえ一時でも、祭りという形でユートピアのあり方を提示しているかのように思えた。

「この間、BARK君にコンビニで会いましたよ」

〈ふれあい館〉の職員である崔江以子が言う。

「『記事読んだよ』って挨拶したら、はにかんでて可愛かった。彼らはやんちゃな子どもでね。〈ふれあい館〉で喧嘩が起こったこともあったし。でも、音楽で有名になって良かった」

 BAD HOPのメンバーたちは「昔は大人が嫌いだった」と言った。しかし、子どもを命がけで守ろうとする大人もいるのだ。(つづく

【第一回】
【第二回】

(写真/細倉真弓)

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

サイゾープレミア

2016年9月号

山地まり、Fカップの変幻自在

山地まり、Fカップの変幻自在
    • 【山地まり】が描く大人の女像