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友清哲のビールの怪人【32】

大山Gビールの社長が語る!クラフトビール浮沈の歴史

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――すべてのビール党に捧ぐ、読むほどに酩酊する個性豊かな紳士録。

酒税法改正を機にビール事業に着手

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久米桜麦酒株式会社 田村源太郎社長。

友清 今回は鳥取県・大山(だいせん)Gビールの田村源太郎社長をお迎えしまして、大増(?)2ページにわたってお送りします。田村社長、よろしくお願いします。

田村 よろしくお願いします。

友清 大山Gビールといえば、四半世紀の歴史を持つクラフトビールの老舗で、怪人というより“ビールの偉人”と言ったほうがしっくりいく気がします。経営母体は日本酒の酒蔵さんなんですよね?

田村 そうです。久米桜酒造といいまして、創業は安政2年(1855)、私で7代目の蔵元になります。

友清 実は事前に田村社長のお名前で検索してみたところ、明治時代の米子(※鳥取県米子市)の大富豪がヒットしたのですが、これは一族の方でしょうか……?

田村 あ、出てくるんですか。同姓同名ならそうだと思います。7代の蔵元の中に、私を含めて3人の源太郎がいるので。蔵ももともとは米子市にあったものが、昭和60年に今の大山の麓に移った経緯があります。

友清 つまり田村源太郎さんというのは、襲名制のビジネスネームではなく、ご自身の戸籍名なんですね。

田村 そうです。

友清 久米桜という名称も、かつて久米城と呼ばれた米子城に咲く桜に由来があるそうで。今やすっかり大山のイメージが定着していますが、ルーツである米子の名残は今もしっかり残っているわけですね。

田村 ええ、私自身は今も米子市在住ですし。よく「大山に住んでいるんですか?」と聞かれますが、そうではありません。

友清 なるほど。では、そろそろ大山Gビールの始まりについてお聞きしたいと思いますが、1996年創業ということは、まさに94年の地ビール解禁を受けての事業スタートということですよね。

田村 そうですね。私は東京の大学を出たあと、7年ほど他の企業で営業をやっていまして、家業に戻ったのが95年なんです。当時は父親が蔵元として頑張っていましたが、いかんせん日本酒市場が低迷する厳しい時期でした。そこで解禁されたばかりのビールで勝負してみてはどうかと考えたわけです。

友清 読者向けに少し補足しますと、ビールはもともと、年間の最低製造数量が2000キロリットルという縛りがあり、現実的に大手メーカーでしか造れないものでした。それが94年の酒税法改正で、最低製造数量が60キロリットルに緩和され、全国各地に小規模醸造所が次々に立ち上がった──という経緯があります。大山Gビールの創業も、まさにそんな時流にのっていた、と。

田村 すでに先行する事業者がいくつかあったので、視察させてもらった上で、これは面白いかもしれないと考えました。95年に家業に戻り、その翌年にはもう久米桜麦酒株式会社というビール部門を立ち上げています。実際の醸造スタートはその翌年、97年からですね。

友清 日本クラフトビール史の草創期ですよね。まだクラフトビールではなく地ビールと呼ばれていた時代。

田村 そうですね、クラフトビールという言葉はまだありませんでした。

友清 地ビールの名の通り、当時は自治体と組んで地域の名産にしようというビールが多くて、どちらかというと味や品質よりも話題づくりのための製品が目立ちました。しかし久米桜では、あくまで日本酒に続く新規事業としてビールに白羽の矢を立てたわけですね。

田村 そうなのですが、当時はレストランを併設してビールを売る形態が多く、飲食店経営となると私共にはノウハウがありませんでした。そこで地元のガス会社グループと組んで、ブルワリーとレストランを経営する共同会社を立ち上げたんです。

友清 それが今も多くのファンが訪れている、「ビアホフ ガンバリウス」ですね。しかし、それまで大半の人が大手のラガービールしか飲んでいなかった中、なじみのないエールビールはどこまで受け入れられたのでしょうか。

田村 それが、最初はむしろ物珍しさからなのか、わりと注目していただけたんです。ちょうど97年に近隣の境港市で「山陰・夢みなと博覧会」が開催され、これに合わせて地ビールを自治体がプッシュしてくれたことも大きかったですね。「ガンバリウス」も含めて、創業当時は毎日忙しかったですよ。

友清 ちなみに当時、各地で次々に地ビールが誕生する中で、大山Gビールの売りはどんなところにあったのでしょうか。

田村 なんといっても水でしょう。大山は古くから信仰対象とされてきた山なので、入山が厳しく制限されてきました。おかげで一帯に広大なブナ林が育ち、そこから良質の伏流水が得られます。酒造りは水が命で、蔵を大山に移したのもまさにこれが目的でした。

友清 確かに、大山の水は国の「名水百選」にも選ばれていますよね。

田村 この伏流水が存分に使えるのは大きいですよ。だから創業当時から、ビールの品質にはかなり自信を持っていました。それでも、その後の10年の間に地ビールの淘汰が進み、うちもご多分に漏れず苦戦を強いられることになるのですが……。

ブームの後に淘汰あり 地ビール・冬の時代を乗り越えられた理由

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ペールエールやヴァイツェン、スタウトなど、一通りのスタイルを揃えた大山Gビール。こちらは毎年、夏に発売するグランセゾン。爽やかなコクが特徴だ。

友清 クラフトビール業界でよく言われる、淘汰の10年。これは要するに、話題性メインで次々に醸造所が生まれたものの、味や品質が伴っていないところも多く、顧客離れが進んでしまったということですよね。

田村 おまけに当時はビアバー自体が少なかったですから、造ったビールを売るのが大変だったんです。

友清 まだオンラインで売れるような時代でもなかったですしね。

田村 幸い、我々は「ガンバリウス」というレストランを持っていたので、地ビールブームが下火になってからも、どうにか最低限の売り上げを保つことはできました。それでも苦しかったですけどね。

友清 逆に言えば、話題性のみでビール醸造に飛びついた事業者は一掃され、ちゃんと品質を追求していたブルワリーだけが残ったともいえそうです。今日のようにクラフトビールが着実に評価と人気を高めてきたのも、良質の事業者の踏ん張りがあったからでしょう。

田村 そうかもしれないですね。それに、やはりブームというのは一気に来る分、去るのも早いんですよ。それでも、そこでいかにあきらあめずにやり続けられるかが大切なのだと思います。

友清 改めて大山Gビールの醸造体制を見てみると、水のほかにもさまざまな強みがありますよね。特に主原料の大麦。一部の製品には鳥取県が開発した大山固有品種、「ダイセンゴールド」を使っているとか。

田村 これはかつてビール用に開発されたもので、一度は途絶えてしまった品種なんです。

友清 それを現代に蘇らせた背景には、どんなストーリーがあったのでしょうか。

田村 モノづくりへのこだわりを強めていく中で、大山の水を使って他の原料も作れないかと考えるようになったのがきっかけでした。そこで地元の農家さんと研究を始めたところ、ダイセンゴールドの存在に行き当たり、どこかに種籾が現存していないかと探し回ったんです。

友清 いいですねえ、実にロマンのある話です。

田村 結局、鳥取県内にはもう残っていなかったのですが、四国にある試験場が種籾を持っていて、それを少しずつ増やして復活させました。そしてこれを使ったビールを、2003年に新商品として発売したんです。

友清 地元の水と大麦でビールを仕込む。これぞ、クラフトビールの醍醐味ですね。

田村 毎年10月に種をまき、それが一冬越えて芽を伸ばし、6月に刈り取ります。これを使ったビールを「大山ゴールド」という製品名で毎年売り出しているわけですが、我々としても大麦がどのようにしてできるのかを肌身で知る、とてもいい機会になっていますよ。

友清 今のこのクラフトビールブームも、そうした大山Gビールをはじめとする各事業者の企業努力の賜物ですね。体感的に、再びクラフトビールの消費が上向き始めたのはいつ頃ですか?

田村 04~05年あたりでしょうか。この頃、ビールイベントが少しずつ盛り上がり始めたんですよ。

友清 なるほど。

田村 イベントに各ブルワリーが出展し、そこにビール好きが集まるという好循環が生まれ、定着していきました。そこから派生してビアバーをやろうという人も増えていきましたし、今のクラフトビールの文化を育んでくれたのはイベントだと思いますね。

友清 ファンの側からしても、造り手さんの顔を見ながらそのビールが飲めるというのはイベントの大きな魅力です。

田村 そうですね。こちらもありがたいですよ。こうした場でお客さんだけでなく、全国のビアバーの方と知り合うことができ、その後の取引に繋がっているわけですから。

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友清 またここ数年、ブルワーが1人で切り盛りするようなマイクロブルワリーも次々に誕生しています。この連載でもこれまで30人以上のブルワーさんにご登場いただきましたが、造り手との距離が近いのもクラフトビールの良さのひとつですね。

田村 私もそう思います。そして、この勢いで各地のブルワリーが定着すれば、日本中でローカライズされたビールに出会えるようになりますから、これは楽しいですよ。

友清 ずばり、日本のクラフトビール市場には、まだまだ伸びしろがあるでしょうか?

田村 私はあると思いますよ。ただし、品質と経営が伴うことが大前提です。全国を見渡しても、ここ1~2年で立ち上がったブルワリーだけでも200社近くあると思いますが、そうした新しく参入した皆さんが、初期の苦労を乗り越えて堅実にやっていければ、自ずとお客さんもついてくるのではないでしょうか。

友清 長くこの市場を経験されてきた田村社長の言葉だけに、重みがありますね。大山Gビールの今後にも大いに注目しています! 本日はありがとうございました。

友清哲(ともきよ・さとし)
旅・酒・洞窟をこよなく愛するフリーライター。主な著書に『日本クラフトビール紀行』(イースト新書Q)、『一度は行きたい「戦争遺跡」』(PHP文庫)ほか。

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