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サイゾーPremium 特別企画「今こそ“食”を考える」

東京の食文化をアップデートした「“亡命”レストラン」――オーナーたちの熱きドラマ

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――故郷の戦禍を逃れ、日本へ逃れてきた亡命者たち。彼らの中には日本で成功したものも少なくはない。新型コロナの影響で食に注目が集まり、また東京入国管理局での難民に対する非人道的な処遇が問題視される昨今、ここでは彼らが手がけるレストランに着目し、その背景を浮き彫りにしてみたい――。(取材・文/里中高志)

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『中村屋のボーズ』

 1909年より新宿の現在地に本店を構える老舗・中村屋のインドカリーは、インド独立運動の志士であるラス・ビハリ・ボースが、当時、芸術家のサロンになっていた新宿中村屋に匿われたことから生まれた。中村屋店主の娘と結婚して、日本に帰化したボースが伝えた本格的な味わいは、「恋と革命の味」として、今も多くの人々の舌を楽しませる。その史実は、中島岳志の『中村屋のボース』(白水社)に詳しい。

 世界でも類を見ないほどさまざまな国の料理が楽しめる東京のレストラン。各国料理店の開店の経緯を紐解くと、しばしば劇的なドラマが織り込まれている。政治的な理由で故国を逃れた人が開店したり、料理を伝えた店が珍しくないのだ。

 そこで今回は、ミャンマーからの亡命者と、カンボジアからの留学生が開店した、ふたつのレストランの波瀾万丈の物語を紹介したい。

 まず一軒目は、高田馬場にあるミャンマー料理店「ルビー」。店主のチョウチョウソーさんは、軍の独裁政権下のミャンマーで1988年に「8888民主化運動」と呼ばれた闘争に参加。故国を追われ、日本にやってきた。「ルビー」の店頭には「ビルマ・ミャンマー料理」と、軍事政権によってミャンマーと変更される前の、ビルマという国名も掲げられている。

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