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小田嶋隆の「東京23話」【18】

【小田嶋隆】豊島区――ある酒好きな二人の奇縁、そして別れ

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

 酒を飲んだ翌朝に、前の晩の出来事を思い出せなくなってきたのは、たぶん30歳を過ぎてからだ。若い頃はこんなことはなかった。

 竹野内文貴は、思い出そうとしている。最後に立ち寄った新橋のスタンドバーを出てから先、今、池袋にある母校の正門にもたれかかった状態で目を覚ますまでの間に、いったい何があったのだろう。10月とはいえ明け方は冷え込む。起き上がって歩き出さなければならない。大丈夫。軽い吐き気はあるが、まっすぐ歩けないほどではない。

 携帯電話の履歴を確認すれば、自分が最後に誰と電話をしていたのかがわかるはずだ、と、思ってジャケットの内ポケットを探ると、果たして電話はない。鼓動が早くなりはじめているのがわかる。財布もない。そして、なぜなのかジャケットの右ポケットに宝くじが10枚入っている。買った記憶はない。おい、いったいゆうべは何があったのだ?

 帰宅できたのは、ジーンズの右前のポケットに新橋の店で勘定を済ませた時の釣り銭を突っ込んでいたことを思い出したからだ。レシートを見ると、午後11時32分に支払いを済ませている。金額は税込みで5420円。そのお釣りのおかげで、オレは今こうして自宅までタクシーで戻ることができたわけだ。

 翌朝、目を覚ましたのは、固定電話の呼び出し音が鳴ったからだった。

「あなたは携帯電話を紛失してますよね?」

 先方は、拾い主らしい。

「失礼ながら、電源を入れて電話帳を見ました。で、自宅という欄にこの電話番号があったもので」

「ありがとうございます。今、どこですか?」

「R大学です。池袋の。これから講義なので1時間半ほど動けませんが、昼にはカラダが空きます」

「わかりました。そちらがご迷惑でなければ、正午ちょうどに受け取りにあがります。正門前でかまいませんか?」

「了解しました。では、12時に正門で」

 電話だけでも見つかったのは不幸中の幸いだろう。免許証や通勤定期をはじめ、カード類や身分証明書まで、重要なブツはあらかた財布と一緒に紛失している。とりあえず、各種カード類を無効化するためにも、携帯電話のメモに記録した情報が要る。当面の出費は、自宅に放置してあった古いクレジットカードでなんとかなるとして、そういえば、会社にも連絡を入れておかねばならない。電話番号は、携帯が戻ってこないとわからない。

 約束の時間に正門前に現れたのは、50歳過ぎに見える、ひどく痩せた男だった。

「私をおぼえていますか?」

「……はい?」

 もちろん知らない顔だ。この人は何を言っているのだろう。昨晩どこかで会っているのだろうか?

「申し訳ありません。思い出せません」

「そうでしょうね。10年前の私は今よりずっと太っていましたから」

「……10年前にお会いしているのですか?」

「それに、ゆうべはひどく酔っていらした」

「昨晩も会ったのですか?」

「まだ思い出しませんか?」

 相手は笑っている。上機嫌のようだ。

「立ち話もナンですから、この近くで食事でもいかがですか。私がごちそうします」

「とんでもありません。大切な電話を拾っていただいています。食事代は私に支払わせてください」

「こちらにも支払う事情があるのですが、そこのところは、まあ、ゆっくり話すことにしましょう」

 学校から5分ほど歩いたところにある小洒落たイタリア料理の店で男が語ったのは、かなりとんでもない話だったが、聞いてみれば、まるで記憶がないわけでもない。確かにそんなことがあった。

 あれは、今から10年前の年末のことだ。竹野内はR大学社会学部の4年生だった。12月の4年生といえば、就職も卒論もカタがついている気楽な身分であるはずなのだが、彼には、ひとつだけ問題があった。履修している講義のひとつでテストを受けていなかったのだ。その単位が取れないと、年度内の卒業は見込めない。と、当然、就職の内定も取り消しということになる。

 で、年の瀬も押し迫ったある日、彼は事情通の友人の助言に従って、教授の自宅を急襲したのだ。

「研究室に顔を出したところで、大学の教員は通り一遍の対応しかしてくれない。ということは、お前の場合、前期後期の試験を両方フケてるわけだから見込みはゼロだ。押しかけるなら自宅だよ。プライベートを襲うのは掟破りだけど、この場合どっちみち掟を破らないと道は開けないわけだしな。敵はひばりヶ丘だ。住所はこれだ」

 と、その男がレクチャーしてくれた通り、西洋史を担当している下村という名前の教授の自宅はひばりヶ丘の団地の中にあった。有名大学の教授とも思えないその狭小な部屋で、下村は、一人暮らしをしていた。それもそのはず、彼は誰もが知る大酒飲みで、現金収入のほとんどすべてと妻子を飲食店のレシートに変えてしまっている男だった。

「つまりキミは二日酔いで試験をフケたわけだね?」

「……はい」

「2回とも、同じように二日酔いで?」

「おっしゃる通りです」

「二日酔いというのがちょっと気に入ったから、授業の単位はレポートの提出でなんとかしよう。ただ、その前にレポートのためのテストがある」

「どんなテストでしょうか」

「ここに2本のボトルがある。同じギルビーのジンだ。1本は私が飲む。もう1本はキミが飲む」

「……」

「で、私が自分の分のボトルを飲み干すより先に、キミがジンを空けたら合格だ」

 それから4時間ほどかけて、二人は二本の空き瓶を作り、単位は発行され、竹野内は卒業して、そうやって10年が経過した先の未来のイタ飯屋で、今、2人は対面している。

「昨晩、どうしてあなたが学校の塀にもたれて眠ることになったのか、事情をご存知ですか?」

「わかりません」

「そうでしょうね。新橋でおみかけしたあなたは、それはひどい泥酔ぶりでした。池袋までタクシーでお連れして一杯ごちそうしようと思ったのですが、タクシーの中であなたは眠り込んでしまった。それで、私は、あなたの財布と携帯電話を取り上げて、大学の門の前に放置したのです」

「……どうしてそんなことを?」

「まあ、警告みたいなものです」

「警告?」

「私がどうしてこんなに痩せていると思いますか?」

「わかりません」

「酒でカラダを壊したからです。肝臓がんのステージ4です。あと半年の命だと言われています」

「……」

「ウソだと思うかもしれませんが、ステージ4は、あなたの未来でもあります。ああいう飲み方を続けていれば、いずれ同じことになります。まあ、こんな話は、同じ場所にたどりついてみないとわからないことでもあるわけですが。

 時に、あなたが、単位のお礼だと言って置いていった宝くじがどうなったか知っていますか?」

「……知りません」

「おぼえていないのですね。あなたは、あの日、運試しに買ったという年末ジャンボ宝くじの10枚セットを置いて行ったのです」

「まさか、当たったのですか?」

「そうです。おかげで、私は、さらにひどい飲み方をするようになりました。ゆうべはそのお礼をしようと思って声をかけたのです。いや、本当ですよ。電話と財布はお返しします。ただ、あなたに差し上げた宝くじがもし当たったら、しばらくお酒をやめてみませんか? 外れていたら、そういう世の中なのだから、まあ、好きなだけ飲めばいい」

 2カ月後、宝くじは一枚が4等賞に当選していた。賞金は1万円だった。が、約束は約束だということで、彼は、その日以来、酒をやめた。

 下村教授は、それから4カ月後に亡くなった。医者の予言は、宝くじよりずっとよく当たる。

 竹野内は酒を再開している。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気 ~わが炎上の日々』(技術評論社)、『友だちリクエストの返事が来ない午後』(太田出版)など。

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