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小田嶋隆の「東京23話」【13】

【小田嶋隆】葛飾区――七子、そして八百屋お七の恋物語の続き

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

 本駒込にある七子の母親の実家に関して、弁護士から相続の手続きを求める連絡を受けたのは、1998年の7月のことだった。当時、七子は夫の篠田に対して離婚の申し立てをしていた時期で、夫婦関係の決裂を予期していたかのようなタイミングで降って湧いたこの相続の話に、七子は、亡くなった母親の揺るぎない意思のようなものを感じた。

 母親は、生前、

「本駒込の実家の土地には、できればナナちゃんが住んでくれると良いんだけど」

 と、何度か言っていたことがある。

 というのも、石川県にある七子の実家は、七子の弟が相続するはずになっていて、彼女の母親は、もっぱら長女である七子の将来について、あれこれと思いをめぐらせていたからだ。そして、母親は、どういう理由からなのか、七子が、将来、独身者として生きていく未来を想定していた。

「冗談いわないでよ。そんな見たこともない家で暮らすなんて、あたしはごめんだからね」

 と、七子は、長ずるにつれて、母親の思い描く身勝手な未来像に忌避感を抱くようになっていた。ママは、出奔した生家と、そこで暮らす両親について、過剰に感傷的な思い込みと自責の念を抱いている。七子は、その、母親の語る本駒込の実家にまつわる湿っぽい物語が苦手だった。

「なによその失敗したシンデレラみたいな話」

 と、高校生の頃、彼女は、母親にはっきりとそう言ったことがある。

「まるで、ガラスの靴がニセモノだったっていう後日談じゃない」

 七子の母親の両親は、1990年代に相次いで亡くなっている。一人娘が、夫となる男に拉致されるような形で家を出た10年後に、彼らは、ともに50代の若さで、折り重なるようにして病没したのだ。母親は、その死に責任を感じている。

「だって、私が殺したようなものでしょ? ナナちゃんはそう思わない?」

 彼女は、本駒込の実家で暮らしていた時代の思い出を七子に語ることを好んだ。七子が聴いていようがいまいが、母親の独白は一方的に続いた。

「今のあなたぐらいの年頃だった時、ママは本当に何も知らなかったの。自分がこんな遠いところで暮らすことになるなんて、ちっとも予感していなかった。だから両親がこの世からいなくなるなんて、そんなことは考えたこともなかった」

 結局のところ、本駒込のおじいちゃんとおばあちゃんという人たちは、カラダが弱かったのだろうと、七子は、自分がそう思いながら、母親の話を冷ややかに聞いていたことを思い出す。

 カラダが弱いから早死をしたのだ、と、七子はごくシンプルにそう考えた。ママもカラダが弱い。ついでに言えばココロも弱い。だから、いつも昼間からお酒を飲んでいる。そして、自分の娘をつかまえては、昔話ばっかりしている。あたしは、こんな人にはなりたくない。七子にとって、母親は、東京の大学を受験する主要な理由のひとつだった。とにかく、彼女のいつまでも終わらない昔話から逃れることが、とりあえずの彼女の望みだった。

 本駒込の古い大きな家は、相続してみると、七子の手に余る物件だった。

 というよりも、不動産バブルの時期を過ぎていたとはいえ、都内の一軒家に課せられる目のくらむような相続税を支払うためには、土地を更地にして売り払うほかにどうしようもなかった。

 そんなこんなで、七子が、本駒込の土地の売却額の半分ほどを費やして、葛飾区の金町に小さな一軒家を手に入れたのは、息子の大輝が中学校に入学した2004年のことだ。

 彼女にとって、金町で見つけた中古住宅を購入する気持ちになったのは、2つの川に挟まれているこの地域の空が、故郷のそれに似て、どことなく広々と感じられたからだ。もうひとつの理由は、歩いて5分ほどのところにある水元公園が、学生時代からのお気に入りのスポットだったからだ。

 離婚は、2000年の1月に成立した。

 除籍にともなって、七子は住民票の表記を旧姓に戻した。息子は、今のところ、別れた夫の姓をそのまま名乗っている。

 2人で暮らす母子家庭の母親と息子の姓が一致していないことを、七子は、さほど気にしていない。名前は記号に過ぎない。子どもが親から相続せねばならないのは、もっと別の、もっとやっかいなものだ。

 彼女の現在の懸念は、大輝が、元夫の篠田の性質をそのまま写し取ったかのような、極端に寡黙な人間に育ちつつあることだった。

 篠田は、知り合った当初から、外界に対して自分の意思を表明することの苦手な、内向的な男だった。当時の七子が、その篠田のどことなく考え深げな立ち居振る舞いに魅力を感じたのは、あるいは、母親が彼女に対して発動していた一方的な饒舌への反動だったのかもしれない。ともあれ、結婚して何年かが経過してみると、篠田の石のような沈黙は彼女にとって、耐えがたい重荷になっていた。

 常に押し黙って本を読んでいる人間と同じ屋根の下で暮らすことの息苦しさは、その暮らしを何年か経験した者でなければ理解することができない。

「ほら、たとえば、バクとかアリクイあたりの大きくて動きの鈍い生き物を四畳半で飼っていたら、あなたにもわかると思う」

 と、彼女は、学生時代の共通の友人に会うと、篠田に関する愚痴を盛大に吐露したものだった。

「まあ、最近の言葉で言えば、コミュニケーション障害ってなことになるんでしょうけど、あの人の場合は障害というより不全よね」

「井戸の底に石を投げて、音が返ってこなかったらやっぱり不気味に思うでしょ? 篠田はまさにそれなわけ。底が深いから石が届かないんじゃなくて、中味が無いのよ。空っぽ。伽藍堂なのよ」

「沈黙にも、やわらかい沈黙と、硬い沈黙があって、だから、黙っていてもそれが気にならない人と、そうじゃなくて黙っていることで周囲に重圧を感じさせる人間があるわけ。で、篠田は明らかに後者なのよ。なんていうのか、液体から出発した沈黙が固体になって、上からのしかかってくるのね。まったく、たまったもんじゃないわよ」

 篠田は、七子の目から見て、文献を渉猟することと論文を執筆する以外の能力をほとんど捨て去った人間だった。それだけ研究に没頭していると言えば、そう言うこともできただろうが、七子は、そう思っていなかった。虚心に観察すれば、観察者は、篠田に人間らしい好奇心や感情が欠けていることの異様さに驚くはずだ、と彼女は主張した。

 学生時代の、時々は笑顔を見せることもあった彼を知る者は、40歳を過ぎた篠田の変貌ぶりに衝撃を受けるだろう。実際、針金のように痩せた胴体に白髪頭を乗せた篠田の姿は、娘時代とさほど変わらない美貌を持ちこたえている七子と並ぶと、一組の親子に見えた。

 七子は、大輝が父親譲りの明敏な知能を持って生まれていることに、早い時期から気づいていたが、それ以上に、彼が篠田と瓜二つの無能力をすでに発揮しはじめていることを憂慮していた。

 おそらく、この子は、学者にでもなるか、医者か弁護士みたいな資格で食べる職業に就くかしないと、このままでは、到底、まっとうな社会人として世間を渡って行ける人間にならないだろう。ということは、とにかく高い学力を身に着けさせないといけない。そう考えて、七子は、大輝に対してごく早い時期から、過酷な受験対策を強いた。

 大輝はその七子の要求によくこたえた。というよりも、そもそも大輝は、学校の友だちと遊ぶことよりも、ひとりで勉強することのほうが好きだったのかもしれない。その可能性はある。というのも、本人が言っていたことだが、篠田も、物心ついた時には、すでに勉強の虫だったらしいからだ。

 大輝は現在、西日暮里にある中高一貫の進学校に通っている。たいていの親は、この学校に自分の息子を入学させると、一安心する。が、七子は安心していなかった。息子は、自分用のかたつむりの殻を見つけたのだと彼女は考えている。大輝のような人間は、殻の中でしか生きていけない。私は、その殻を守らなければならない。私の母親が私に資産を相続させようと躍起になっていたのと同じように。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。

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