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大混乱となった『ポニョ』論争から『アリエッティ』を考える【7】

『崖の上のポニョ』の見方が分かれた、理由とその意味とは!?

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サバけた性格のリサによる荒っぽい運転や、ポニョの
入ったバケツに水道水を注ぐことをどう受け止めるか
によっても、作品全体の印象が変わってくるようだ。
(C)2008 二馬力・GNDHDDT

 これまで見てきた論者たちの意見を整理すると、『ポニョ』の見方が分かれてしまう大きな理由のいくつかは明らかになったと思う。

 第一に、画面中に登場する「トンネル」や「深海」など、数々のシンボリックな小道具について、そこに神話や精神分析的な隠喩なり過去の宮崎作品からの符丁なりを読み取り、それが劇中ストーリーで持たされている以上の過剰な「意味」を託してしまう傾向が一部インテリ層にあること。こうした衒学的な「深読み」や「謎解き」に対して、東浩紀氏と宇野常寛氏は共に否定的な見解を示していた。もちろん、町山智浩氏の指摘のように、『ポニョ』には宮崎監督が意図して北欧神話などのモチーフを導入している箇所もあり、その読み解きによって、作り手さえも意識していなかった意味性が見えてくることは確かにある。ただ、町山氏も戒めるとおり、「あの巨匠・宮崎駿なのだから、このシーンにはきっと深遠な意味があるに違いない!」と身構えるあまり、過剰な意味の深読みが見当外れなバイアスとなって『ポニョ』のストレートなアニメーションの快楽や、シンプルな物語を受けとめる目を曇らせてしまうことになったとしたら野暮だ。やはり『ポニョ』に関しては、作り手の構想をあまりにも外れた深読みの暴走が「神経症と不安」を呼び寄せないよう、ゆめゆめ注意が必要かもしれない。


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