ANA
1952年に「日本ヘリコプター輸送」として設立。57年に、現在の社名「全日本空輸」へ。86年には、国際線に参入した。
何があっても救急車で助けてもらえるJALを見て、伊東信一郎・ANA社長も、悔しくて悔しくて男泣きです……。(絵/ENLIGHTENMENT)
経営危機に陥っていた日本航空(JAL)が、1月19日に東京地裁に会社更生法の適用を申請し、とうとう経営破綻した。一方、JAL破綻で国内"民間"航空会社としてトップに立ったのは、全日本空輸(ANA)だ。同社は、世界同時不況による企業の出張抑制などもあり、2009年4〜9月期の連結決算では営業損益が282億円の赤字となったものの、同期957億円という莫大な赤字となったJALの業績を大きく上回っている。実際、国際航空運送協会によれば、昨年の航空業界全体の損失は全世界で約1兆円となっており、その中で「ANAは非常に健闘しているほう」(経済部記者)とされる。
ただし、現在のANAの業績は、JALの不振ゆえの"棚ぼた"などではない。むしろ、血のにじむような経営努力に支えられたものなのだ。そもそも、"国策航空会社JALに対し、ANAは「期待されない弱小企業」(航空業界関係者)にすぎなかった。
「搭乗券に記される航空会社コードは、JALなら『JL』などと会社名の一部が使われるんですが、ANAの場合は『AN』ではなくて『NH』。これは、ANAの前身が、東京で宣伝用ヘリコプターを飛ばしていた『日本ヘリコプター輸送』という会社だったから。もともとはJALなんかには及びもつかない弱小企業だったんですよ」(同)
そんなANAも86年、国際線定期便を開始するが、知名度で先行するJALに苦戦。そのため、採算性を重視して主力路線以外を廃止する運航リストラのほか、バーゲン型割引運賃を導入するなど、身を削って対応した。
01年のアメリカ同時多発テロで国際線旅客が激減して赤字に陥った際にも、週12便の運休や、1000人弱の人員削減などに着手。一部関連会社では、客室乗務員が空港でのカウンター業務や機内清掃を行うなど、涙ぐましい努力を積み重ねたが、対するJALは、日本エアシステムとの合併など、巨額資本を使った規模拡大で対応した。ANA関係者は、「うちは待遇が悪いから、JALに比べるとスッチーの希望者も少なかった。『ANAはブスが多い』なんて陰口もありました(笑)。JALには常に企業イメージで引き離されていたのが、今はANAが就職ランキング1位。まるで夢のようです」と笑顔を見せる。
ただし、残念なことに、こうしたANAの苦労は、JALが破綻した現在でもなお終わることはなさそうだ。JALは、清算という最悪の事態を免れ、政府管理下で再建を開始したが、今後、公的資金をバックにした値下げなどの価格攻勢をかけてくることも考えられるからだ。実際、ANAの伊東信一郎社長は「(JALに投下される)巨額の公的資金が、公正な競争をゆがめる」などと、何度もJALを牽制してきた。
前出のANA関係者は「JALは、エコノミークラスには新聞を配らないなどと乗客に不便を押しつける一方で、リストラ後に残った社員への超厚遇給与をどうするかといったことは、いまだ不透明。今回も結局は親方日の丸で復活するかと思うと、はらわたが煮えくり返る」と憤る。
関係者でなくとも「ANAがんばれ!」と声をかけたくなってしまうのが、人情というものだろうか。
(北 剛史)