バブルな夜を駆け抜けた、某御曹司の夜想曲

――あなたの知らない「夜の世界」をご案内します

5000億円企業・大王製紙創業家3代目の御曹司であり、東大法学部卒の超エリート。自ら起こした事件を受けて、会社を去ることになったが、自身が有する莫大な資産と華麗なる人脈、そして、その人柄に変化なし。そんな井川意高が、若き日から今に至るまで夜な夜な繰り出してきた「天上の宴」というべき夜の世界に大衆を誘う。実業家、資産家、芸能人、文化人、港区女子……そこには、どんな人々が集い、いかなる物語が奏でられてきたのか――。

バブル期前後の夜の街の様子とエピソードを、しばらくのあいだ話そう。

かつて、六本木は現在とはいささか表情の違う街だった。

今の六本木は、キャバクラやラウンジが立ち並ぶ、香水とファンデーションにむせかえる街といったイメージであるが、バブルが始まるまでは同じ夜の街でももっと大人の世界であった。

大人の遊びを知っている落ち着いた男女たちがディナーを楽しんだ「キャンティ」「マックロウ」といったイタリアンやフレンチ、和田アキ子氏や山田邦子氏も顔を見せていた「纏鮨」、作家の伊集院静氏やバーニングプロダクションの周防郁雄社長も通った鍋料理の美味しい「さぶ」などなど。

今も変わらず営業を続けている店もあれば、続けてはいるが往時の盛況を知っている私には現在の客入りを侘びしく思わせる店もある。また、移転したが今も足繁く通う店もある。

大人たちは、それらの店でカップルや仲間で夕食を楽しんだ後、六本木ではなく銀座に移動していたのだ。
そして、24時前に「グレ」や「麻衣子」といった銀座のクラブがはねると、お気に入りのホステスたちを連れて、再び六本木に戻る。
「西の木」「チャチャチャ」「ヨンジュウゴド」などのオカマバー(※当時の呼称を使用)で、いわゆるアフターの世界が始まるのだった。ディスコ「ツバキボール」のVIPルームの場合もあった。

今すぐ会員登録はこちらから

人気記事ランキング

2026.10.8 UP DATE

無料記事

もっと読む