イラン情勢が連日ニュースで報じられるなか、昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したイラン映画『シンプル・アクシデント/偶然』が公開され、ヒットしている。そのほか、イランの人々の〝普通〟の暮らしも垣間見える、いま見ておくべき作品群を、イラン通のナビゲートにより紹介。
今年6月に死去した映画『ペルセポリス』の監督マルジャン・サトラピ。イラン系フランス人のアーティストで、活動家としても知られていた。(写真/Gareth Cattermole/Getty Images)
工場に勤める平凡な男、ワヒドは、車の修理をしてほしいとやって来た男が立てる奇妙な音を聞いた途端、戦慄する。義足がきしむその音は、かつてワヒドが賃金の支払いを要求しただけで、政治犯と見なされて不当に収監された時、拷問を加えてきた看守「エグバル」が立てていた音にそっくりだったのだ。
血相を変えたワヒドは翌朝、男を拉致し、砂漠に穴を掘って彼を埋めようとする。しかし、「エグバルって誰のことだ? 俺は去年義足になったばかりだ!」と命乞いされると、本当にその男がエグバルなのか自信がなくなる。拷問をされている間、ワヒドは目隠しをされていて、エグバルの顔を見ていなかったのだ……。
こんなストーリーが展開されるイラン映画『シンプル・アクシデント/偶然』は、5月に日本公開されると、大手シネコンでも上映され、イラン映画としてはかなりのヒットとなった。折しもニュースでは連日イラン情勢が報道されており、イランという国に注目が集まっていたこともヒットの一因だろう。
本作は第78回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞。ジャファル・パナヒ監督は、2000年に『チャドルと生きる』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞、15年に『人生タクシー』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞しており、三大映画祭すべてで最高賞を受賞した史上4人目の監督となった。
しかし、パナヒ監督のキャリアはイラン当局との戦いの連続でもあった。09年にデモ参加者の追悼式に出席したあとで初めて逮捕され、10年には2度目の逮捕で刑務所に86日間拘束される。映画製作や海外渡航の20年間禁止を命じる判決を受けたが、11年にはこれを逆手にとって『これは映画ではない』というタイトルをつけた映画の撮影データを入れたUSBをケーキの中に入れて国外に運び出し、カンヌ国際映画祭に出品して絶賛されている。
『シンプル・アクシデント/偶然』
5月8日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開。配給:セテラ・インターナショナル ©LesFilmsPelleas
政治活動への取り締まりや映画に対する厳しい検閲が行われているイラン。しかし、それにもかかわらず、イラン映画には世界的に高く評価されている傑作が多い。『シンプル・アクシデント』にも、体制への抵抗だけではなく、ユーモラスだったり人情味のあるシーンも含まれていて、純粋に映画として面白い作品に仕上がっている。
15~25年まで、10回にわたり中東や北アフリカなどのイスラーム文化圏にフォーカスする「イスラーム映画祭」を主宰した藤本高之氏はこう語る。
「『シンプル・アクシデント』は間違いなく政治的な映画ですし、体制批判としても面白いですが、映画としてもすごく愛嬌のある作品になっています。たとえば、主人公たちを乗せた車がエンストした時、皆で押していたら関係ない人まで集まってきて押してくれる。宿敵だと思って捕まえたはずの人物の携帯が鳴って、その妻が出産しそうだとわかると、妻を病院に運んで出産のお祝いまでしてしまう。そういうイラン人に特有のホスピタリティがわかるエピソードをさりげなくストーリーに入れているのが、見事だなと思います」
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所でジュニア・フェローを務める村山木乃実氏もこう話す。
「あの作品で集まった人たちは、イランの体制に不満があることでは共通しているのですが、いざ憎い宿敵を目の前にすると、どうするのがいいか意見がまとまらない。まさに今のイラン人が抱えている葛藤そのもので、社会を良くしたいという気持ちは同じでも体制を転換するのがいいのか、今の体制内で改革するべきなのかなどさまざまな意見がある状況を如実に表現していると思います」
MOVIE REVIEW
1『シンプル・アクシデント/偶然』
監督/ジャファル・パナヒ(26年)
イランの政府組織による拷問のトラウマという重いテーマを扱いながら、独特のユーモアも。カンヌ映画祭パルムドールを受賞し、日本でもヒット中。
2『聖なるイチジクの種』
監督/モハマド・ラスロフ(25年)
社会派監督による、近年のイランでの抗議運動をもとにした作品。抗議運動に参加していた人たちの内幕もよくわかる。
3『桜桃の味』
監督/アッバス・キアロスタミ(98年)
「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく」などを監督した巨匠による、ペーソスあふれる作品。車を運転する人が道ゆく人に依頼した奇妙なお願いとは?
4『風の絨毯』
監督/カマル・タブリーズィー(03年)
日本とイランの合作で、ペルシャ絨毯の制作現場を描く。榎木孝明、三國連太郎、工藤夕貴も出演。
5『別離』
監督/アスガル・ファルハーディー(11年)
離婚の自由が制限されているイランで、離婚をしようとする女性とその夫に起こる出来事を描く。同監督の21年の作品『英雄の証明』も注目。
6『ペルセポリス』
監督/マルジャン・サトラピ(07年)
イラン出身でフランスに移住した女性漫画家、マルジャン・サトラピが自作を自らアニメ映画化。カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。
※( )内は日本での劇場公開年です。