【バンギン・ホモ・サピエンス】DMX――ある戌年ラッパーの死

――人類とは旅する動物である――あの著名人を生み出したファミリーツリーの紆余曲折、ホモ・サピエンスのクレイジージャーニーを追う!

DMX

(絵/濱口健)

1970年、イヤー・オブ・ザ・ドッグの12月18日生まれ。ということはブレイク時に27歳、ラッパーとしては遅咲き、となろうか。00年ごろにプリンスと出会い、原盤権獲得の重要さを諭された……と亡くなる直前に語っていたのが印象的だった。

(絵/濱口健)

 最近は「初登場時=最高位」という瞬間風速上等なアルバムが多いが、かつての『ビルボード』誌チャートでは時間をかけて上昇していくのが常識だった。

 今でも、デビュー・アルバムから5枚連続で同アルバム・チャート初登場1位を記録したラッパーはひとりしかいない。さらに、100万枚セールスのアルバムを同じ年のうちに2枚リリースしたのも、彼しかいないようだ。もっとも後者には「存命中のラッパーとしては」という条件がつくのだが、それは死後にリリースラッシュを迎えた2パックという例外がいるからである。

 まさに、その2パック没後の90年代終盤、ポッカリと穴が空いたようなヒップホップ界。そこに現れたのが彼だった。今回は「2パックの死後に登場した最初のヒップホップ・スーパースター」と評されたアール・シモンズ――つまりDMXの物語である。

 アール・シモンズの生年月日は明白だが、生地には二説ある。メリーランド州ボルチモアと、ニューヨーク州マウントバーノンと。なんにしても、水彩画家の父は彼の人生とさほど関わりを持たなかったようだ。

 5歳。母に連れられてニューヨーク州の20万都市ヨンカーズに移り住んだアール。重度の喘息に悩まされる幼少時代を送ったようだが、病気よりも酷だったのは、貧困と母による暴力的支配だ。母にしばかれ、母のボーイフレンド(歴代)にどつかれ。殴打で歯が抜ける事件もあった。トイレへの往復を除いて自室に監禁されて過ごした一夏もあったという。

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