「カノン」は不倫の旋律か? SF不貞が不協和音を奏でる『あげくの果てのカノン』

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

 夫、妻、愛人。そのうちの誰かが不幸にならない限り、その他は幸せになれない。それが不倫だ。不毛なゼロサムゲームであることは、まともな大人なら誰でも知っている。にもかかわらず、なぜ世界から不倫はなくならないのか? ……について有効な視座を与えてくれるのが、先月最終巻が発売された『あげくの果てのカノン』だ。

 本作の舞台は地球外生命体がたびたび襲来する近未来の東京だが、実は物語の主軸はSFではない。「自己評価が異常に低い卑屈なストーカーの処女(高月かのん)が、高校時代から8年間片想いの先輩(境宗介)と不倫する話」である。なお、かのんは地味で冴えないメガネっ娘のフリーター。境は地球外生命体と戦うエリート戦闘員。境の妻は夫と同じ組織に属する美人研究員だ。

 かのんの言動は、およそヒロインとは思えないほどキモい。境を盗撮した写真コレクションは周囲が引くほど膨大で、境が使った紙コップやナプキンはジップロックでしっかり保存。境の歴代彼女写真をはじめ、あらゆる個人情報を収集している。境との会話を秘密裏に録音しては後で聴いて身悶えし、境の相槌に一喜一憂。妄想を膨らませ、勝手に盛り上がり、勝手に落胆する。境のことになると周囲が見えなくなり、同性の友人からめんどくさがられる。他者に心を開かないコミュ障であり、極度の人見知りであり、(萌えとは程遠い仕草で)すぐキョドる。内向卑屈女子の典型だ。

 自己評価が低く内向的で卑屈で地味な奥手女子(便宜的に「かのん系女子」と呼ぶ)が、なぜ不倫などという大それたことをしたのか? ……否、逆だ。自己評価が低く内向的で卑屈で地味な奥手だからこそ、不倫に手を染める。

 他人との摩擦を極度に恐れ、世間慣れしていないかのん系女子は、普通の人間に比べてずっと人間関係に疲れやすい。疲労の源泉は対人コミュニケーションそれ自体だが、もうひとつある。関係性の“変化”だ。

 一番の親友だと思っていた友人が自分より親しい友達を作った、最愛の恋人同士だと誓いあった彼にもっと好きな人ができた――。このように、人間の関係性は必ず変化する。そして変化への適応は得てして、落胆や戸惑いといった痛みを伴うもの。履き慣れた靴から新しい靴に履き替えるときにできる靴ずれのようなものだが、通常は時間の経過と共に慣れ、痛みは消える。しかしかのん系女子は常人の何倍も痛みを感じてしまう体質、かつ、いつまでたっても靴ずれが消えない。

 困ったことに、関係性の変化は相手と長く付き合えば付き合うほど避けられない。男女関係を例に取れば、順当に行って「片想い→交際→肉体関係→同棲→結婚→(場合によっては)妊娠・出産・育児→(多くの場合)セックス頻度の減少」というプロセスをたどるが、各イベントの前後――例えば子供ができる前とできてから、セックスレスになる前となってから――で男女の関係はまったく異質のものに変化する。かのん系女子にとっては、疲れることばかりで気の休まる暇がない。

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