生活保護、低学歴、薬物汚染… 帰国しなかった在日ブラジル人の闇

――リーマン・ショックの後、困窮する在日ブラジル人の姿をテレビのニュースで目にした読者は多いはず。その人口は20年以上前から増えていたが、あのとき初めて彼らの存在がクローズアップされたといってもいい。では今、ブラジル人たちはどんな仕事や生活をしているのか? ブラジリアンタウンを訪れると、暗い現実が横たわっていた――。

1975年に入居が開始された保見団地は、80年代後半からブラジル人居住者が増加。
そんな団地内の県営住宅の前で、放課後の子どもたちが無邪気に遊んでいた。(写真/三浦知也)
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2008年のリーマン・ショック後、在日ブラジル人の“派遣切り”がメディアで取り沙汰された。あのとき、輸出依存度の高い自動車・電機産業で非正規雇用が打ち切られ、そこに集中していたブラジル人が大量に失業したのだ。公式統計はないが、彼らの失業率は40%台にも達したといわれる。徳島大学准教授の樋口直人氏はこう話す。

「ブラジル人の大量解雇が政治問題にならなかったのは、背後に差別があるとしかいいようがない。緊急対策として、政府は帰国費用を負担する“帰国支援事業”と“就労研修事業”を09年に実施しましたが、前者の支出が約50億円で後者の予算が約10億円、追い出すほうにたくさん使っている。しかも、帰国支援事業は3年間再入国できないことを条件としました」

 そんな帰国支援事業は追い出し政策とも非難されるが(同事業による帰国者は約2万人)、07年に約32万人いたブラジル人は、12年には約19万人にまで減少してフィリピン人に抜かれた。

「激減した最大の要因は、経済危機後に仕事がなく、あっても3カ月契約といった仕事ばかりで、安定雇用を確保できない人が多かったから。解雇されなかった人も残業が減り、月収が低下。ただし、近年好景気のブラジルに帰国しても、履歴書に空白があるため、生活に最低限必要な賃金の仕事に就くのは難しい」(樋口氏)

 そもそも約150万人の日本移民とその子孫がブラジルをはじめとする南米に住んでいたが、80年代後半より、経済が破綻していた南米の日系社会から、好景気だった日本へのデカセギが開始。90年には入国管理法の改正もあり、以後、ブラジル人を筆頭に在日南米人人口は増え続けたが、リーマン・ショックで激減した。ただ、経済危機の影響は労働者のみならず、その子どもたちにも及んだのだ。

「生徒も先生も減り、閉校するブラジル人学校があった」と話すのは、05年より三井物産広報室でブラジル人学校支援活動を始め、退社後もブラジル人を支援する柴崎敏男氏。補足すると、公立学校に通うブラジル人もいるが、ポルトガル語で授業を行うブラジル人学校へ通う子どももおり、この10年ほどで後者の環境は整備された。

「一時は学費が月5万円もするブラジル人学校があったけど、夫婦で80万円を稼ぐ家庭もあり、それで問題なかった。でも、経済危機後は学費を払えず退学する子も。そうなると公立学校に通うのですが、授業についていけず不就学になる子どもがいます」(柴崎氏)

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