恵まれた環境と如才ない処世術でのし上がった"財界のジジ転がし"三木谷浩史が反旗を翻すまで

――果たして本当に三木谷浩史は日本経済を変えるのか──? その問いを解く前に、彼がこれまでどういったルートを歩み、経済界とどのように渡り合ってきたのか、あらためて振り返ってみよう。

『楽天の研究』(毎日新聞社)

ハーバード仕込みの金融知識&体育会的タフさでクセ者経営者の懐に入る!
【1】興銀時代の出会い(94年~)
[キーパーソン]
■孫正義(ソフトバンク代表)
■増田宗昭(カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表)
キャプ:現在に至るまで交流のある孫氏。
MBAを取得して93年に帰国後、企業金融開発部にて大型M&Aを手がける。新規案件を探して営業を仕掛ける中でソフトバンクのジフ・デービス出版部門買収計画を知って孫と初接触。ジフ社の買収はすでにモルガン・スタンレーが手がけることになっていたことからこれは成立しなかったが、95年のコムデックス買収を担当することに。海外企業との買収交渉は経験が少ない孫に、アメリカ仕込みの知識を伝授して助ける。また同時期、CCC社長・増田宗昭が米のCS放送「ディレクTV」を日本に誘致したいと興銀に相談、三木谷が担当になる。CCC本社に日参して増田の信頼を得、半年で提携話をまとめ上げる。ベンチャーの先輩たちと知り合い、その輝きを目の当たりにした時期。

アツさと真面目さ、チャレンジ精神と敬老精神……ギャップで魅せろ!
【2】楽天設立で始まる交流(97年~)
[キーパーソン]
■西川善文(三井住友銀行頭取)
キャプ:忙しくても三木谷には会った西川氏。
学生アルバイトと興銀時代の同僚と3人で「地ビールが売りのレストランチェーン」「天然酵母パン屋のフランチャイズ」「オンラインショッピングモール」の3候補から「ショッピングモール」を選び、楽天市場を立ち上げる。店側に営業攻勢をかける際には、近場で腿上げをして汗をかいた上で店に飛び込み、興銀時代の銀行員然とした写真が掲載された新聞記事を見せながら自己紹介。ギャップで注意を引くという手段を行使した。97年のサービス開始後、楽天は順調に成長を遂げ、00年頃から買収ラッシュに入る。“ザ・ラストバンカー”西川にも謙虚さ・真面目さで気に入られ、DLJディレクトSFG証券株式会社買収にこぎつけた。西川の後見を得たことは、この後の人脈の基礎となってゆく。

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