>   > 【野口健】死による生への執着について
インタビュー
世界的アルピニストが行う、ヒマラヤの森の再生

【野口 健】「死が常に身近にあると、生への執着も強くなるんですよ」死と隣合わせの山で森を再生する覚悟

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――25歳で7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立し、現在は富士山のゴミ清掃などさまざまな社会貢献活動を行う、世界的なアルピニストの野口健。そんな彼は今、ヒマラヤ山脈の一角のマナスル峰の麓、サマ村に森を復活させる「ヒマラヤ森林再生プロジェクト」に取り組んでいる。

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(写真/尾藤能暢)

 植樹するための苗木を育てるまでに約3年、さらに森を復活させるために目標とする植樹の本数は、向こう3年間で3万本。なぜ彼はそこまでして、森を再生させようと考えるのだろうか?

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――野口さんには2017年9月号の弊誌特集記事「文化保全か単なる村おこしか? 誰も望まぬ世界遺産乱立の真相」で、取材させていただきました。

野口健(以下、野口) ああ、そうそう。確か、富士山に向かう車の中で、電話で話したんだっけ? 「自然遺産はピュアだけど、文化遺産はそうじゃない」とか、言ったよね。

――今回は無事ヒマラヤ遠征を終えたばかりだということで、遠征中のお話を伺えればと思います。どれくらいの期間行かれていたんですか?

野口 1カ月くらい滞在したかな? 最初は山に登ってから、そのあと森林再生プロジェクトをやりました。

――ヒマラヤでの植樹活動は、どのような経緯で始められたんですか?

野口 2015年に起こったネパール大地震ですね。当時、僕はエベレスト付近にいたのですが、雪崩や土砂崩れでたくさんの人が亡くなったんです。その震災の支援をしたいと思って山間部を調査していると、土砂崩れが多いのは木を切ってしまったところだと気がついた。逆に木が残っているところは土砂崩れの被害を受けていない。だったら森を作ろう、と決意したわけです。そもそも、このマナスルは1956年に日本隊が初登頂したことから、現地では「ジャパニーズ・マウンテン」とも呼ばれている、日本と馴染み深い山ですしね。

 まず、住友林業さんに技術協力してもらって、まず1年かけて土壌の調査をしました。かつて、森があったときのわずかに残っている木から落ちた種を採取して土に撒き、今度はそれが苗木になるまで育てるんです。また、村の人たちを説得する必要もありますよね。現地の協力がないと絶対にできないし、そもそも納得してもらえていないと、木を植えても切られてしまう可能性があるからです。

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――それは、村の人たちが「勝手なことをするな!」と、怒って切ってしまうということですか?

野口 いや、彼らは家畜としてヤクを放し飼いにして草を食べさせているので、その邪魔になるからと、切ってしまうんですよ。実は、以前ヒマラヤの違うところで森を作ろうとした人がいたんですけど、村人が木を切っちゃったらしいんですね。理解がないと手伝ってもらえないどころか、切られてしまう。あと、苗木をヤクが食べてしまうから、周りに竹かごを置いたりしています。植樹の天敵はヤクです(笑)。

――なるほど……村の人たちにしてみれば、未来の森よりも目の前のヤクのほうが大事なのでしょうね。どうやって説得したんですか?

野口 森があるメリットについて何度も講習会を行いました。震災による土砂崩れの防止と、新鮮な水を得られることを説明するんです。今は信頼も得ているので、彼らは非常に協力的です。

――地道に信頼関係を築き上げたんですね。また、野口さんは、この森林再生プロジェクト以外にも、さまざまな活動をされています。

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(写真/尾藤能暢)

野口 そうですね。特に「シェルパ基金」は、僕がネパールでやっている活動の中で、一番長いものになりますね。僕が学生の頃、ヒマラヤで日本隊が雪崩で全滅して、ずいぶんと大きなニュースになりました。ただ、その報道を聞いていると、出てくるのは日本人の登山家の名前だけ。通常登山にはシェルパを同伴させるわけなんですが、「登山家だけが死ぬってあり得るのかな?」と、不思議に思ったんですよ。それで実際に現地の話を聞いたら、シェルパも12人死んでいた。シェルパの死はどこにも報道されないんですね。彼らの仕事は登山家と同様、死と隣り合わせであるにもかかわらず、事故があったときの保障がなかった。そこで、彼らが遭難したときは家族を守る、子どもを学校に通わせる、という目的で基金を設立したんです。

――親を失った子どもを放置しないということですね。登山は死と隣り合わせですが、それでも山に登るのをやめないのは、死に対してどこかドライな感情を持っておられるのでしょうか?

野口 ドライにはなりますよね、やっぱり。ただ、死が常に身近にあると、生への執着も強くなるんですよ。5月に亡くなった栗城史多さんの件もそうですよね。僕は遠征中にエベレストの道中で彼と言葉を交わしたのですが、会った瞬間に「なんだか危ういな」と、思っていたんです。山にいると、その人の発している「気」みたいなものに敏感になるんですが、あのときの栗城さんは目が泳いでいて、とにかく弱々しかった。その上「野口さん、元気ですね」って言うんですよ。今からエベレストに登ろうとしている人が……。僕も仕方がないから「とりあえず、無事に帰ってこいよ」とだけ言ったら、彼は「うん、うん」と返してくれました。

 山に向かう彼の背中がまたポツンとしていて、僕はその直後に事務所に電話で「今回は栗城さん厳しい気がするな」と、言ったんですよ。先日彼の事務所の人にも会いましたけど、行く前から元気がなかったと言っていましたし、同行していた10年来のカメラマンも、今回は全然しゃべってくれないから厳しかったと言っていましたね。そういう流れのときにね、パッと引けるかどうかって大切なんです。

――潔く引くことも、生きていくためには重要なことなんですね。最後に森林再生プロジェクトですが、目標はどこに定めていますか?

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(写真/尾藤能暢)

野口 プロジェクトの目的は森を復活させることではありますが、僕自身はずっとやり続ける気はないですね。かつての森を再現するためには3万本じゃ足りないし、何十年もかけてじっくりと取り組まないといけない。いずれは地元の人にバトンタッチしたいと思っています。

 また、僕はこの森林再生プロジェクト以前に、この村の子どもが読み書きできるように学校を作っているのですが、今後はこの学校教育の一環として植樹を取り入れたいと思っています。というのも、実は学校を作ったことで村が衰退したらどうしようという懸念があったんです。勉強してカトマンズに進学した子どもが帰ってこなくなったら、村の人口が減ってしまいます。

 でも、シェルパ基金で進学した子のうち、何人かは地元に戻って先生をしていたりするんですよ。やっぱり、子どもたちに帰ってきたいと思われるような、村の魅力を作らなければいけない。そういう意味でも、この森林再生プロジェクトを、特に村の子どもに協力してもらうことは大事だと思っています。

(文/園田菜々)

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野口健(のぐち・けん)
1973年、アメリカ・ボストン生まれ。高校生のときに植村直己の著書に感銘を受けて登山を始め、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立する。その後は、以前から気にかけていたエベレストのゴミ問題を解決するために清掃活動を始め、日本でも富士山清掃活動を精力的に行う。


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