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小田嶋隆の「東京23話」【12】

【小田嶋隆】足立区――優柔不断な男と強気な彼女と捨て猫

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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 美沙が猫を飼いたいと言い出した時、秋山遼太は即座にその申し出を拒絶した。

「あり得ないよ」

 自分でも意外に思えるほど断定的な口調だった。

「なにそれ」

 美沙は反発した。当然だろう。なにしろ遼太が美沙の意見にあからさまに反対するのは、はじめてのことだったからだ。

「あり得ないって、いったいどこの専制君主になったつもりでものを言ってるわけ?」

 これまで、遼太は、美沙が持ち出してくる思いつきを、ほとんどすべて容認してきた。というよりも、交際をはじめて以来、決定権は、常に美沙の側にあった。彼女が提案し、遼太が賛成してコトが進む。それが生活の基本設定だった。家具や食器の選定から、店選びや、休日の旅行先に至るまで、すべての計画とアイディアは彼女の胸中から生まれた。

 唯一、遼太が美沙の提案に難色を示したのは、3年前に彼女が、足立区の扇大橋の近くの3LDKの賃貸マンションを決めてきた時だ。

 家賃や広さに不満があったのではない。彼が良い顔をしなかったのは、中学2年から3年にかけての2年間、足立区内の扇からほど近い場所に住んでいたことがあったからだ。遼太にとって、その区立中学校に通っていた2年間は暗黒の時代だった。

「あのあたりはあんまり好きな土地じゃない」

 と、そんなわけで、遼太は引っ越しを渋ったわけなのだが、美沙の反撃は、すさまじかった。

「好きじゃないってどういう意味? 何を根拠に地域差別してるわけ?」

「……差別とかそういう話じゃないよ」

「いいえ。明らかな差別よ。ねえ、わかってる? 東京生まれの人間のいやらしさって、沿線だとか区の名前だとか市外局番だとかに異様なこだわりを持ってるところだと思う。自覚してる? 東京の人たちって、他人の住所にいつも目を光らせていて、共通の話題の中に町の名前が出るといきなり饒舌になるの。あたしはそういうのが大嫌い。みんなリベラルなふりして、偏見のカタマリじゃない」

「……いや、あのあたりには良い思い出がないってことで、それだけの話なんだけど……」

「じゃあ、2人で住んで良い思い出を作れば良いわけでしょ。何が気に入らないの? 自分がすべての望みを叶えられる王子様だとでも思ってるわけ?」

 結局、手もなく論破されて、そのマンションに住んでいる。今ではそれで良かったと思っている。

 というのも、遼太は、自分が何を食べたいのかさえはっきりしない男だからだ。昔からそうだ。彼は、自分の要望がわからない。何を望んでいて、どういう生き方をしたいのかも、自分のことながら、皆目見当がつかない。そういう彼にとって、何もかも自分で決めないと気が済まない性格の美沙のような同居人は、願ってもない相手だった。なぜなら、彼女のおかげで、遼太は、決断と選択という、どうにも気の重い作業から解放されているからだ。

 とはいえ、猫は譲れない。あの生き物と共存することはできない。猫には不愉快な記憶がある。そのいやな思い出というのは、こんな話だ。

 足立区の中学校に転校して2カ月ほどがたったとある日曜日、Nというクラスメートが訪ねてきた。ダンボール箱を抱えている。中身は6匹の子猫だ。Nの語ったところによると、荒川の河川敷に捨てられていたのを拾って帰ったのだが、母親が飼育を許可せず、元の場所に捨ててくるように強く叱責されたということだった。で、彼は、唯一の友人である遼太のところに話を持ってきたわけだ。

 が、遼太のところは母子家庭で、住まいは二間の木造アパートだ。母親に打診するまでもなく、猫の飼育など思いもよらない。

 で、2人して丸半日かけて、商店街の八百屋だとか乾物屋だとかいった多少ともなじみのある家をあたって歩いたのだが、誰も相手にしてくれなかった。それもそのはず、2人には、お互い以外に友だちらしい友だちがいなかった。というよりも、ありていにいえば、2人の関係は、クラスで孤立しているいじめられっ子のNが、転校生として4月からやってきた遼太に、救いを求めて擦り寄って来ている関わり合い以上のものではなかった。

 夕方になって、遼太とNは、河川敷に段ボールを置いて帰宅した。心ある飼い主が拾いに来るまでの間、毎日牛乳を与えに来れば良い。2人は、そんな話をして互いを納得させた。

 ところが、翌日川原に行ってみると、段ボールは無残に破られている。猫も姿を消している。おそらく野犬にやられたのだろう。

 以来、遼太は、猫が苦手になった。置き去りにして去った時の、子猫たちの恨めしげな目が、どうしても脳裏から離れないからだ。

 と、遼太が20分ほどかけて話したこのエピソードを、美沙は一笑に付した。

「だから、その子猫ちゃんたちのためにも、猫を飼えば良いわけでしょ? なによりの供養じゃない」

 彼女は譲らない。家を留守にできなくなることや、マンションの規約など、何を言っても耳を傾けない。

 遼太は本当の話をせねばならなかった。

 本当のことを言うと猫はいなくなったのではない。子猫たちは、翌日も無事で河川敷で生存していた。ただ、2人が近づいてみると、猫の入った段ボール箱は、同じ中学の不良グループに囲まれていた。

 遼太とNが事情を話して皿にあけた牛乳を与えようとすると、彼らの中のひとりがこう言った。

「お前ら、良いことでもしてるつもりか?」

 遼太はともかくとして、Nは、何をしてもいじられる彼らの玩具だ。その玩具が、人間らしいことをすることは、彼らの神経にさわったのだろう。

「子猫ちゃんに牛乳とか、天使さんごっこかよ」

「捨てたくせして何をいい子ぶってんだ?」

「一度でも拾ったんなら責任持って面倒見ろよ」

「面倒見られないんなら、きちんと自分の手で安楽死させてやるのが責任ってもんだぞ」

「そうだ。殺せ」

「おお。その通りだ。殺せよ。見ててやるから」

 4人の不良は、かわるがわるにNを嘲弄しては、指で頬を突付いたりしている。

「お前は帰っていいぞ」

 ひとりが振り返って遼太に言った。転校生で勉強のできる遼太は、彼らのターゲットではない。仲間を救うことのできない意気地なしのガリ勉ぐらいな役割をあてがっておけば十分ってなところだ。

 遼太は帰らなかった。

 彼は、激怒していた。どうしてあんなに腹が立ったのか、自分でもよくわからない。

 彼は黙って段ボール箱を手に取ると、四枚の蓋の部分を交互に差し込んで箱を密閉した。そして、蓋を閉じた段ボールを川の縁まで運ぶと、

「オレが責任を取ってやるから見てろ」

 と言って、箱をそのまま川に投げ込んだ。

 箱は、下流に向かって流れた。が、3メートルほど進む間に徐々に水の中に沈み、5秒後には完全に水面から見えなくなった。

 不良グループの少年たちは、一瞬、気を呑まれる形で黙ったが、段ボールが川底に沈むと、火がついたように笑いはじめ、大喜びで遼太を讃えた。

「おい、こいつやべえぞ」

「すげえ。こいつ英雄だぞ」

 遼太は泣いているNを促して帰ろうとしたが、Nは遼太を避けた。この時、遼太ははじめて自分のしてしまったことの意味を知った。

 どこから話が漏れたものなのか、2~3日すると、遼太は完全なシカトを決められる生徒になっていた。公式に「ヤバい奴」というレッテルが貼られた形だ。

 誰もが彼をいないものとして扱った。女子の中には、すれ違う時に、わざわざ半メートルほど道を避けて歩く生徒もいた。それほど猫殺しは致命的な逸脱と見なされたのである。

 黙って話を聞いていた美沙は、段ボールを川に投げ込むところで、

「うそでしょ」

 とつぶやき、それっきり口をきかなくなった。

「廊下でオレを避けた女子と同じ目をしている」

 と、遼太は思っている。

 急速になにもかもが面倒くさくなってきた。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。


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