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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【77】

幽霊、イラストとオタク文化の30年。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった? 生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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革命的大ヒット作だが、ビキニアーマーで抜いていた守旧派と「萌え」ブーム以降の世代の双方から忌み嫌われている不遇の名作。

今回の特集は「アート」だが、近年はあちこちの美術館でマンガの原画展が行われ、アパレルブランドも若い世代のイラストレーターのコラボアイテムを売っている。筆者が出版業界へ飛び込んだ1990年代には想像もしなかったほど、マンガ絵は普遍化し、感動すら覚える。そりゃそうか。物心ついた頃から「萌え」絵に囲まれ、その古臭さを嫌っている若い世代にしてみれば、「萌え」に固執する老いぼれのミソジニーな自意識なんぞ知ったことか、だ。

幼年向け少女マンガの絵柄をソフトコアポルノへ最適化した「萌え」ブームの全盛期は2000年代前半だが、このブームには「前史」がある。DTPやCGイラストレーションが本格化した98年の話だ。老舗出版社だとデザイナーに依頼するという概念すらなく、編集者が片手間に指定紙を作っていたのだが、MacやWindowsの普及で一気に敷居が下がったのだ。CGもハードウェアの性能向上で色数制限がなくなり、若い世代の同人イラストレーターが急増した。これはアダルト美少女ゲームの本数増加にもつながり、ゲーム情報誌の体でCGイラストを集めたビジュアル誌『ピュアガール』(ジャパン・ミックス)も創刊された。

筆者は副業で同誌の企画に関わっていた。取り上げる若手イラストレーターやゲームの選定だ。本業のエロマンガ誌は守旧派のマンガ家やライターが院外団のように口を出すので、新旧交代が進まず、不満をこの副業で解消していた。逆に言えば、筆者が20歳そこそこの世間知らずでも編集者としてなんとかやれたのは、少しだけ美術学校に通っていて、流行や知識をかじっていたからだ。当時のマンガ編集者の多くはアニメ経由でしか、商業デザインからアートへ至るセンスを知らなかったから、その程度でもアドバンテージになった。

今回の特集会議でアートギャグマンガの俊英・パピヨン本田の名前を出したら誰も知らなかった、と若い担当氏がぼやいていたが、本業で装丁デザインをデジタル化しようとして、当時最も先鋭的だった古賀学のミニコミ誌『PEPPER SHOP』の名前を出したら、サブカルの権化みたいな出版社なのに誰も知らなかった。歴史は繰り返すのだ。なお、古賀氏は『ピュアガール』の後継誌『カラフルピュアガール』の装丁を担当していた。

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