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連載
『クロサカタツヤのネオ・ビジネス・マイニング』第67回

【クロサカタツヤ×yomoyomo】ネット黎明期からの書き手と語る、スマホとSNS以後のネットの未来

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――かつて、ネットは自由で開かれたものであった。だが、どんどんネットを使う人が増え、企業や公共団体がネットを基盤としたサービスを提供し、そして人や社会がネットの諸々に左右されるようになった現在、もはや「自由で開かれていればオッケー」とは言えなくなってしまった。そんなネットの中で、黎明期を知り、発展期を過ごし、そして今でもネットにあり続けてきたひとりの書き手は、いったいこの先に何を見据えているのだろうか。

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●ソーシャルメディアによる情報発信・閲覧(日本)
(出典)総務省「ICTによるインクルージョンの実現に関する調査研究」(2018)

クロサカ 今月のゲストのyomoyomoさんは、本業の傍ら1990年代からネットで技術に関するコラムやネット周辺の海外の文章を翻訳して紹介されています。それこそ、ブログの登場以前から、20年以上もネットで一個人の立場で情報発信を続けていますよね。

yomoyomo 最初にネットに触ったのは、92年に大阪の大学に入ってから。当時、メールは日常的に使えたけど、ウェブはまだ未成熟で、よくわからないものだった。モザイク【1】は触ったんですが、正直ピンとこなかった。この時にウェブやネットの可能性に気づいていて、もっと勉学に励んでいたらと思います。そのくらい大学は良い環境だったんですが、専攻分野への情熱が足らず、切磋琢磨する友達もいなくて文字通りの黒歴史でした。

クロサカ 僕も同時期に慶應大のSFCに入って、ネットに触れました。だから、年齢的にもネット歴でも、巷で「ネット老人会メンバー」と言われるような世代です(笑)。実際はインターネットが誕生してからすでに50年たっているわけで、90年代前半の時点では30年くらいたっていました。それを新登場と感じさせたのがウェブなんですが、その当時の僕は、正直ウェブはそのうち消えるものと思っていました。

yomoyomo 96年に地元に近い福岡で就職したんですが、Yahoo!JAPANのスタートなどネットブームに湧く東京から離れたところにいたので、いろいろなことをあきらめた時期でもあったんです。ところが、日常でウェブに触れるにつれて、自分にもまだ何かできるんじゃないかと思い始めたんです。

クロサカ 当時、どんな体験をしていました?

yomoyomo 黒木掲示板【2】とか稲葉振一郎【3】さんの掲示板で、非常に高度な議論がされているのを見ていました。あまりにレベルが違うので参加することはできなくて、打ちのめされた面もあるんですが、なぜか自分にも何かできるんじゃないかと思ったんです。正直、若かったんでしょうね。

クロサカ ありましたねー。やっぱりyomoyomoさんと僕はネットの原体験がかなり近い。黒木掲示板には僕もハンドルネームでチラチラ眺めていて、山形浩生【4】さんもいましたよね。大学で公共経済学をやっていたから、経済の話ならギリギリわかるけど、黒木掲示板は相当ハードルが高かったです。

yomoyomo 残念ながら、自分は一度たりとて書き込んだことはなかったんですが。そこからちょっと間が空いて、99年に自分のサイトを始めました。そのサイトがきっかけになって、2002年に『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、03年は『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)という書籍の翻訳にかかわれたし、いろんな方とつながることができた。自分にとって非常に大きなことでした。

クロサカ 03年から日本にブログブームが訪れて、誰でも気軽にウェブで情報発信することができるようになりました。僕が独立したのは07年ですが、その直前くらいに知り合いの紹介でCNETブログを始められたのは幸運だった。当時、梅田望夫【5】さんといった有名人がCNETブログで書かれていて、そこに混ざってブログを書くことで、自分をかさ上げしてもらっていたんです。ブログが名刺代わりになって、仕事を頂いたこともありました。ネットで発信することに可能性があった時代です。

yomoyomo 当時、ウェブサイトを始める人はたくさんいたけど、たいていの人は続かないですよね。自分も始める時は、ずっとやるつもりでしたが、どれだけやれるかはまったくの未知数。ブログブームがきた時も、ベンチャーの起業家だったり、著名なソフトウェアエンジニアだったり、社会学の研究者だったりが、スッとブログを始めていきなり人気を博すことがありました。一方の自分は、田舎にいて徒手空拳もいいところで、ほかに何もなかったけど、ずっと続けることでここまで来てしまった。

クロサカ 僕もまったく同じで、なんでブログを始めたのかもよくわからない。でも、CNETのブランド力のおかげで、多くの人に読んでもらえました。あれから十数年がたちましたが、今、あの時と同じようなものが何かあるかなと考えたら、ない気がする。かつての僕と同じような駆け出しの若者が、今発信するときに、何をどういうふうにすればいいだろうと、当惑してしまう。以前、フェイスブックで「『ネットでしか生きていけない人々』【6】がいることを認めないといけない」といった趣旨のことを書いたのは、そういう背景がありました。

yomoyomo そのクロサカさんの投稿を受けて、とあるコラムの連載で、最終回のネタにさせてもらいました。自分も完全に「ネットの中でしか生きていけない」という自覚がありましたし、一時期はそうでないといけないとすら思っていた。ただ、あまりにのめり込みすぎると、実生活で足元を見失うというか、あまり精神的にもよくないですよね。

クロサカ ネットの中にすら居場所を持てなかったり、辛うじてネットの中にあった居場所を失ってしまったりしたことがきっかけになったと思われる殺人事件も起きました。一方で、僕たちの同世代からは、ネットをアイデンティティとしながら、ブログやSNSを使ってメジャーになっていった人たちも出てきました。

 でも、ネットの中だけに安住の地を求めている限り、そこからどこにも出られなくなってしまうかもしれない。ブログからツイッター、フェイスブックとメインのツールが変わってきているけど、この流れも非常にやっかいです。どんどんと見える範囲、見られる範囲が狭くなっていって、タコツボ化している。

yomoyomo いろんなコミュニティが小さく、閉じたものになっていっています。Kick starterの共同創業者のYancey Stricklerが「インターネットは暗い森」【7】になりつつあるという文章を書いています。夜の森には動くものは見えないけど、だからといって森に生物がいないわけではない。暗い森にも生物はいるけど、捕食者に見つからないように静かにしている。同様に、今のネットは誰もが炎上を避けて、自分の心地のいいところに閉じこもろうとする。でも、それを責める気にはなれないし、当然のことだと思います。ただ、インターネットがオープンだったからこそ、今の自分があるのも確かです。

クロサカ そうした現状は、僕も寂しいですよ。会社を辞めて個人事業主になったとき、食っていけるかどうかわからない人間が、ブログによって引き上げられた。しかし同じような環境を若い人たちが手にできるのか。もはや多少の炎上は覚悟して、とにかく既存のSNS等のプラットフォームで暴れないと世に出ることができないかもしれない。自分が恵まれていただけに、アンフェアかもって思います。

yomoyomo クロサカさんがツイッターをやめた時、ある連載で恨み言を書きました。オープンな場から退くことに対して、クロサカさんに喧嘩を売るわけではないけれど、やはり残念な気持ちになったのは確かです。

クロサカ 正直に言えば、あの時のあの判断が正しかったのか、今でもわからない。だけど、あの時はツイッターをやめるしかなかった。ただ、あれから5年近くがたって、ツイッターが言論プラットフォームとして機能しているようには思えないし、何か問題があるとすぐに垢バン【8】される。もはや炎上以前にプラットフォーム自体によって存在が消されてしまう。

yomoyomo 楠正憲【9】さんがアカウント停止をくらったのは、ビックリしました。いざ自分がそうなったときのことを想像すると、きっといきなり手足を奪われてしまうような感覚じゃないかと思う。ツイッターは、広報手段というかネット上のプレゼンスとして、いまだに力がある。自分みたいな一線から引いた人間でも、ツイッターをやめることは考えられない。そして、プラットフォームに依存しながら、警戒するということになる。

クロサカ 自分を正当化するつもりはないけど、使えば使うほどプラットフォーム事業者よりも、それを使うユーザーの方が敏感なんだと思います。フェイクニュースにしろヘイトスピーチにしろ、実はプラットフォーム事業者の方が、組織の意思決定も含めて後手になるけど、ユーザーは本当の現場にいる。

yomoyomo 今、グーグルやフェイスブックがやり玉に挙げられて、監視資本主義と批判されている。以前、「フェイスブックが無料で利用できるのは、フェイスブック社がユーザーを売り物にしてもうけているからだ」という批判が広がり、それに対してフェイスブック社員が反論したことがありました。その時点では、社員の反論は成り立っていたと思うけど、ケンブリッジアナリティカの事件を経た今では、成り立たなくなってしまった。ただ、その事件を経てもフェイスブックの時代は終わらなかった。

クロサカ ほかに代わるものが見つからない、ということなのでしょう。でも個人的には、いつかスマホとSNSが終わる時代が来ると思っています。仮にその時が訪れてもyomoyomoさんは書き続けていますよね。

yomoyomo 自分と同世代でブログを始めた人たちも、だんだんと書かなくなってしまった。それでも自分が書き続けるのは「自分にはまだ書ける」ことを自分に証明するために続けているところはある。ある意味で筋トレのようなもの。

クロサカ 筋トレというのは、いわばリスクに対する保険です。そう遠くないうちにプラットフォームが壊れたとき、筋トレを続けたことで、どこにでも書くことができる。5G時代はセンサーネットワークによって自分の情報がサイバースペースにどんどん投影されるから、SNSでのアクティビティなんてもはやいらない。でも、人間はやっぱり言葉の生き物なので、何か言葉を発する場所を求めるはず。その時残っているのはブログなのかもしれない。

yomoyomo noteやMedium、COMEMOなどはブログへの回帰だという人もいるけど、まだ断言はしづらい。理由のひとつは、デジタルデータの残りづらさです。20年前は素直にデジタルなら残る、と思って世界に発信していた。ところが、実際にはどんどん消えていって、残っていない。なぜ、私たちは、デジタルはずっと残るんだ、と思ったんでしょうね。

クロサカ 僕らの世代はネット、すなわちデジタルに対して、自覚的になんらかのアイデンティティを求めた最初の世代だからかもしれませんね。書きたい、残したいと思ったときの、リーズナブルな手段がネットだけど、ネットにあったはずのコンテンツがどんどん消えていく。このアンビバレントな状況はすごく苦しいです。

yomoyomo 人間の寿命よりも、企業の寿命の方が明らかに短いし、それこそプラットフォームも人間の寿命よりも明らかに短い。

クロサカ だとすると、僕らがウェブで書き続けてきたことは、なんだったんでしょうか。

yomoyomo 自分が書いたもの、書くことに、どれだけ普遍性があるのか、というのは常に思っています。当初から長期に残る文章にしたいと思っていたが、自分の能力もあり、その時々の制約もあって、そうそうは普遍的なものにはならない。今もまだ難しく、いつならできるともわからないですね。

クロサカ ひとつ言えることは、僕らのカタルシスはまだ何も満たされていない気がするんですよ。

yomoyomo それが得られていないからこそ、書き続けているのかもしれません。

―対談を終えて―

「気がつけばもう何十年も、yomoyomoさんの読者でした」

 こう書くととても親密だったり熱狂的なファンのように思われるかもしれません。確かに、同じ作者が書いたものを長期間読み続けている以上、そうなのかもしれません。

 実際、私もそう言われたことがあります。yomoyomoさんの足下にも及びませんが、同じような時期にネットに触れ、文章を書き始め、ネットに公開するようになって、ある程度それを続けていると、挨拶したときに「よく読んでます」と言われたことは、何度かあります。
ただ、サインや握手を乞われることはありませんし、それが当たり前だとも思っていました。私自身のyomoyomoさんの読者としてのスタンスも、もう少し冷めているというか、落ち着いたものでした。

 書籍や雑誌、あるいはテレビといった商業媒体での露出が中心であれば、違ったのかもしれません。実際、この連載の読者の方から「有名人だ!」と言われたことが何度かあり、赤面する以前に誰のことかわからなかった、というようなこともあります。

 両者の違いはなんなのでしょうか。理由のひとつは、ネットならではのインタラクティブ性にあると思います。「会いに行けるアイドル」よりももっと垣根が低く、書いたものをめぐって議論ができるし、それが建設的であれば書き手の側もうれしい。yomoyomoさんも私も、あるいは今回の連載で触れた多くの方々も、少なくとも書き始めた当初は、そういった意識を共有していたと思います。

 また、活動の自由さも、書き手と読み手の垣根を低くする一助になったはずです。商業媒体の場合、たとえば出版社の編集者や営業担当者のように、表現活動に介在する自分以外の誰かが存在します。そうした存在を負担に感じるというようなことは、少なくとも私の場合はありません。しかしブログやSNSとは、当たり前ですがまったく違うわけです。

 そんなブログやSNSは、おそらくネットの大衆化によって、大きく変質しました。一方私自身はその変質の時期に、徐々にブログの更新頻度が落ちたり、ツイッターを辞めたりしました。そしてそれから少しして、文中で触れた『ネットでしか生きていけない人々』の話をした時、yomoyomoさんが反応してくださった。

 その時、とてもうれしかったのを、覚えています。評価はそれぞれ異なるものの、ネット上での表現に関するなんらかの変化を、お互い感じていた喜びです。それはかつて僕らがブログを書いていた時の喜びに近いものでした。

 今回、そんなyomoyomoさんと、久しぶりにお目にかかりました。というよりゆっくり話すのは今回が初めてだったと思います。とても僭越な物言いですが、大海を隔てた異なる戦場に立つ戦友と会ったような、そんな気分でした。

yomoyomo(よもよも)
1973年、長崎県出身。会社員として働きながら、yomoyomoというハンドルネームにてネット上で活動。技術コラムや海外の記事の翻訳・紹介などのほか、書評や映画・音楽などについての文章を発表し続けている。近著はWirelessWire Newsでの連載をまとめた『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』(達人出版会)。

クロサカタツヤ
1975年生まれ。株式会社 企(くわだて)代表取締役。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティングや政策立案のプロジェクトに従事。07年に独立、情報通信分野のコンサルティングを多く手掛ける。また2016年より慶應義塾大学大学院特任准教授(ICT政策)を兼任。政府委員等を多数歴任。

【1】モザイク
正式名は「NCSA Mosaic」といい、1993年に米国立スーパーコンピュータ応用研究所で開発されたWebブラウザ。現在のようなテキストと画像が混在したWebページを表示できるようになった最初のブラウザ。

【2】黒木掲示板
数学者の黒木玄氏(現・東北大学大学院理学研究科数学専攻 助教)が運営していた「黒木のなんでも掲示板」(2007年頃に閉鎖)のこと。匿名を禁じ、本名か固定されたハンドルネームでの議論というルールを徹底していたのが特徴。

【3】稲葉振一郎
1963年生まれ。明治学院大学社会学部社会学科 教授。専門は社会学、社会倫理学、社会哲学など。社会学関連の研究や著作だけでなく、マンガなどオタク関連での評論や著作もある。

【4】山形浩生
1964年生まれ。野村総合研究所に開発コンサルタントとして勤務する傍ら、SF評論や書評、コラムなどの文筆活動のほか、経済学から社会学、小説まで幅広い分野の翻訳を手がける。

【5】梅田望夫
1960年生まれ。外資系コンサルティング会社を経て、シリコンバレーで起業し、コンサルタントやベンチャーキャピタルなどを手がける。2006年に上梓した『ウェブ進化論』(筑摩書房)にて、高度に進化し社会インフラとなりつつあったウェブやインターネットの解説者として、多くのメディアに取り上げられた。

【6】『ネットでしか生きていけない人々』
2016年9月23日にクロサカがフェイスブックにて『ITリテラシーの低さ故にネットが使えない人々だけでなく、ネットが利用できるが故にネットの中でしか生きられない、アイデンティティを確立できない人々が、新たな社会課題になる」という趣旨の投稿をした。

【7】インターネットは暗い森
Kickstarterの共同創業者のYancey Stricklerが、「One Zero」というブログメディアに寄稿した文章。人々がインターネットの閉じたコミュニティに隠れることで、オープンなインターネットが失われ、暗く静かな夜の森のようになってしまうことを危惧したもの。詳細はyomoyomoさんのブログで紹介されている。

【8】垢バン
垢=アカウント、バン=BAN=禁止で、アカウント停止を意味するネットジャーゴン。主にネットゲーム方面で多用されていた。

【9】楠正憲
1977年生まれ。マイクロソフト、ヤフーを経て、現在は三菱UFJフィナンシャル・グループのフィンテック事業が独立したJapan Digital DesignにてCTOを務める。ブロックチェーンなどの新たな技術を利用した金融システム、サービスの開発を手がける。

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