サイゾーpremium  > 連載  > 友達リクエストの時代  > 【連載】小田嶋隆の「友達リクエストの時代」

SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

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『スタンド・バイ・ミー』(新潮文庫)

 学齢期前の子どもにとって、友だちは、後にそうなるほど重要な存在ではない。家から外に出た時のための、臨時の遊び相手といった程度のものだ。その意味では、お人形遊びに使う人形とそんなに遠いものではない。楽しく遊んでいるようでも、当の子どもたち同士は、3日もすればお互いの顔を忘れてしまう。逆に、この年齢段階の子どもたちは、一緒に同じ部屋で遊ばせておけば、5分もたたないうちに友だちになることができる。結局、幼児同士は、さほど明確な個体識別をしていないのかもしれない。

 一方、5歳になった子どもが、集団生活に適応できるかどうかについては、かなり大きなバラつきがある。ざっくり言って2割ぐらいの子どもは、その段階に到達していない。一生涯到達しない子どももいる。個性というのは、実に、残酷なものだ。

 幼年期にオモテに表れた性格は、それが主要な特徴として表現されることになるのかどうかはともかく、一生涯変わらない。その意味で、「三つ子の魂百まで」と言った昔の人の観察は、今もって正しい。

 自分の子どもが保育園に通っていた頃、私はアルコール依存の最終段階にあって、家にいることが多かった(つまり、仕事がなかった)。それゆえ、保育園への送り迎えにも時おり顔を出していたのだが、そういう時に園庭で遊ぶ子どもたちを眺めていて気づいたのは、保育園に通う年齢段階の子どもたちが、DNAに刻まれた個性をモロに体現した存在であるということだった。引っ込み思案な子、活発な子、乱暴者、よく歌う子ども、一人遊びに没頭している男の子、人懐っこい坊や、甘えん坊の女の子……第三者の目で観察していると、5歳児の個性は、非常にはっきりしている。だから、園の保育士さんが連絡ノートに書いてくるなにげない一言は、後になって読んでみると、おそろしいほど的確にその子どもの将来を言い当てていたりする。

「◯◯ちゃんは、きっと独立独歩の素敵なおにいさんになりますよ」

 ドンピシャリだ。素敵というところを除けばだが。

 私の場合、一言で言えば「不適応」な幼稚園児だった。園の中で与えられる課題や、おゆうぎの踊りや、イエズスさまの絵本や、積み木や折り紙といった手遊びのほとんどが、重荷だった。

 当然、友だちも重荷だった。

 というよりも、私は大勢の子どもたちが走り回っている環境自体が苦手だったのだと思う。

 それでも、入園から最初の夏休みまでの間は、休み休みながらも、なんとか幼稚園に通う生活に適応する方向で暮らしていたのだが、長い夏休みが終わって9月がやってくると、私は頑として登園を拒むようになった。母親が後に何度も語ったところによれば、私は、足を目一杯に広げて、園服を着ることを拒否したのだそうだ。

 かくして、幼稚園はとりやめになった。

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