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第1特集
求めるものはゴクミ? 上戸彩? 国民的美少女コンテストの前途【2】

オスカープロのちょっといい話「大手芸能プロの圧力が美少女軍団を生んだ!?」

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ゴクミは、不世出の最高傑作。

「国民的美少女コンテスト」を主催し、モデル、タレント4000名以上抱え"美の総合商社"として業界内に君臨しているオスカープロモーションだが、なぜか大手芸能プロがこぞって加盟する芸能プロの業界団体・日本音楽事業者協会(音事協)には入っていない。その裏には、同プロの"意地"が見え隠れするという。

「今でこそ笑って言えますが、オスカーはかつて、音事協に加盟している大手芸能プロ、特にA社には散々嫌がらせをされたんですよ」(古くからオスカーを知る芸能関係者)

 現社長の古賀誠一氏はモデルプロのマネジャーを経て、1970年にオスカーを設立。モデルプロながらも、当初から鰐淵晴子や岡崎二郎、佐野アツ子、丘みつ子といった役者にも恵まれていた。

「当時から、モデル業界という狭い視野にとどまるんじゃなく、芸能分野にも本格進出したいという野望を持っていたんです」(同)

オスカーは、音楽出版部門もいち早く設立。70年代中期~80年代にかけてのアイドル歌手の全盛時代には、北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子の3人でアイドルユニット「パンジー」を結成している(81年)。

「しかも、ユニットを組みながら、3人を別々に歌手デビューさせるという戦略を取ったんです。歌唱力はいまいちでしたが、楽曲提供者はタケカワユキヒデ、後藤次利、細野晴臣といった売れっ子ばかり。ところが、業界内の評価は高いのに、露出するメディアがなく、話題にもなりませんでした」(音楽関係者) 

 ある中堅プロオーナーは「大手芸能プロA社が、各テレビ局に圧力をかけて、潰しにかかったんです。ほかの芸能プロも足並みを揃えた。どの事務所もオスカーが芸能界に進出してくることに脅威を感じていたからです。なにしろ、当時でもタレント予備軍を1000人以上抱えてましたから」と振り返る。

 ここで、古賀社長は「圧力には屈しない、きっと見返してやる」と、大手芸能プロとは競合しないような女の子の売り出し方に特化する。歌番組やバラエティを主戦場とするのではなく、モデル事務所としての強みを生かして、ビジュアルの良さに特化し、CMや雑誌で生きるような美女、美少女を発掘していく。その最高傑作が、後藤久美子だった。

「ゴクミは、芸能界のすれた印象がなく、それまでのアイドルとは違った畑から突如出てきた感じが新鮮だった。国民的美少女コンテストは、あの感覚を再現するために行われているんじゃないでしょうか」(前出・芸能関係者)

 これと並行して、古賀社長は、ゴルフや接待などを通じて、広告代理店やテレビ局幹部とのパイプも強固にしていった。「真っすぐな九州男児の古賀社長は、誰にでも好かれるタイプ」(同)。そしていつしか、大手芸能プロからの圧力はなくなったという。

「オスカーがこれだけ大きくなったのに、音事協に加盟しないのは、かつて徒党を組んで邪魔してきた勢力がいるからというのもあるでしょう。常にどこかで彼らに対抗心を持ち続けているのが、オスカーの原動力なんです」(同)

 芸能界での大規模オーディションの影響力が年々低下していく中で、オスカーが国民的美少女コンテストを20年以上も続けているのも、他の大手芸能プロにはやれないことをやり続けるという意地がどこかにあるからなのかもしれない。
(編集部)


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