宮沢りえの母“りえママ”の死とミリオン突破「ヌード写真集発売」の真相

――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの"今昔物語"を語り尽くす!

Santa Fe 宮沢りえ(朝日出版社)

「りえママ」こと宮沢光子さんが亡くなった。まだ六十五歳の若さだった。

「宮沢りえいるところにりえママあり」と言われた芸能界の名物ステージママ。しかし最近はほとんど話題になることもなかった。体調を崩し、療養していたようだが、死因が「肝臓腫瘍」と聞いて思い出すのは、若いころの豪快な飲みっぷり。

 六本木にママ行きつけのバーがあり、よくそこで飲んでいた。自由に出入りできるバーなら、マスコミ関係者も自由に入ることができる。あくまでもバーでたまたま顔を合わせた客同士だが、相手はりえのママでありマネージャー。マスコミは規約がありながらもなにかを探り出そうとする。著者もよく行ったが、行った以上は、なにか情報を得たいのがマスコミ人の性。

 対するりえママも百選練磨の人。そう簡単においしい情報は出さない。それでも世間話をしているときは、姉御肌で楽しいお酒の飲み方をする人だった。お酒は強かった。当時、お酒の強い女性はそうそう見かけなかった。ましてや、りえママは一人でバーのカウンターに座り、ロックを飲む。その姿は誰もが一目を置くほどだった。その好きなお酒が命を縮めたのかもしれない。それでも、りえママにとってはバーが貴重な時間だったと業界関係者が懐古する。

「業界の人が集まるバーでしたから、りえママは飲みながら交流を図り仕事に結び付けていたと思う。18歳で出した写真集が宮沢りえの価値を上げましたが、プロデュースしたのはママ。“りえはハーフだから、私のように太る体質。ヌードは十代のうちに撮らないとダメ”と自らプロデュースし、まだCMで人気が出始めた子のヌードを篠山紀信に撮らせた。当時の篠山さんは、誰でも撮らなくて、女優も“篠山さんだったら撮ってほしい”と言うほど、ステータスのあるカメラマンでした。篠山さんに撮らせたのもバー外交と言われたほどでした。売れるようになってからはテレビ界からCM界の人までバーでりえ外交をしていたと言われたほどでした」

「酒は百薬の長」と言われるが、取材にも飲み方によっては大きな力を発揮するのがお酒である。昔、芸能界の接待はお酒と麻雀と言われており、両方を会得している記者が大きな戦力になった。

「まともに会って話をしても、取材相手はそう簡単に口を開かない。でも、遊びの場だとつい口は緩むし、気心が知れるとリップサービスしてしまうのが人間の付き合い。今は麻雀に変わってゴルフですが、お酒は不変です」(前出)

 難しいのがお酒を飲みながらの情報収集。あくまでも一緒に酒を飲むのが表向きのスタイル。明らかに取材となると相手は引く。雑談の中からいかに情報を引き出すかが記者の腕でもある。そのためにはある程度、酒が強くなければならない。酔い潰れたら終わりだ。

 飲みながらではメモはできない。隠しレコーダーも酒の席では難しい。情報になる話をしてきたとき、話の流れだけはしっかり頭に入れる。問題は数字など覚えにくいもの。そんなときはトイレを利用した。途中でトイレに立ち、トイレで日付や時間など覚えにくいものや間違えやすいことをメモした。

 漫才師の横山やすしさんとはよく飲んだ。芸能界屈指の酒飲みだった。晩年はアル中に近かったかもしれない。普段は取材などまともに答えないやすしさんだったが、飲むと饒舌だった。そこがこちらの狙いでもあったが、一緒に飲まないと心のうちを話してくれないからやっかいでもあった。

 朝、みんながモーニングコーヒーを飲んでいる時からやすしさんは隣でビール。その後ランチタイムの定食屋で今度は焼酎。そのあと延々とはしご酒が続く。やすしさんの知っている店ではこちらのワガママは通じない。やすしさんのボトルを飲む。お寿司屋でもブランデーを入れていた。ブランデーとマグロの組み合わせは決しておいしいものではなかった。飲み終わるのは深夜。もうやすしさんはベロベロである。店の人やお客と喧嘩になることもあった。それを止めるのも取材のうち。やすしさんを守りながら、しかも、なんらかの取材成果を期待して飲む酒は、不思議なものでほとんど酔うことはない。

 大阪で最終の新幹線までの約束で飲み、「俺が言えば新幹線は待っとるから大丈夫や」と言われ、結局、乗り遅れカプセルホテルに泊まるはめになったこともある。しかし、飲むことで心が通じ、芸能人とマスコミという垣根を越えての付き合いもできるようになるのがお酒。りえママ然り。やすしさん然り。オープンに酒を飲む芸能人が少なくなってきた。

ふただ・かずひこ
芸能ジャーナリスト。テレビなどでコメンテーターとして活躍するかたわら、安室奈美恵の母顔が娘・奈美恵の生い立ちを綴った「約束」(扶桑社刊)、赤塚不二夫氏の単行本の出版プロデュースなども手がける。青山学院大学法学部卒業後、男性週刊誌を経て、女性誌「微笑」(祥伝社/廃刊)、写真誌「Emma」(文藝春秋/廃刊)の専属スタッフを経て、フリーとして独立。週刊誌やスポーツ新聞などで幅広く活躍する。現在は『おはようコールABC』(朝日放送)、『今日感テレビ』(RKB毎日放送)などにコメンテーターとして出演。

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