ピカドンの閃光

「ライフ」の1945年8月20日号より。日本での核兵器使用についての特集記事で、広島と長崎のキノコ雲の写真が使用された。(協力:photographers' gallery)

 1945年8月6日、アメリカ軍の爆撃機「エノラ・ゲイ号」は広島市に原子爆弾を投下した。頭上に原爆を投下された側の人々は、熱線と強烈な閃光の後に爆風がやってくる様相から、「ピカドン」や「ピカ」と呼んだ。それは擬音語と擬声語で表現するほかない、人類が初めて経験する出来事であった。8月6日にトルーマン大統領が原爆投下についての声明を出すものの、それについての写真は発表されなかったため、「新型爆弾」の重要性が広く伝わるにはしばらくの時間を要した。キノコ雲の写真が公表されたのは、8月9日に2発目の原爆が「ボックス・カー号」によって長崎に投下された3日後の11日になってからであった。この日は日本側が連合国軍側の降伏要求を受け入れた日ということもあり、キノコ雲の写真は戦勝のシンボルとして流通することになる。

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