サイゾーpremium  > 連載  > 小原真史の「写真時評 ~モンタージュ 過去×現在~」  > 写真時評~モンタージュ 現在×過去~【30】
連載
写真時評~モンタージュ 現在×過去~

故郷と東京のはざまで

+お気に入りに追加
1410_ph_01.jpg
つがる市木造/1958年/個人蔵/©Hiroko Kojima
1410_ph_02.jpg
西津軽郡深浦町北金ヶ沢/1957〜58年頃/個人蔵/©Hiroko Kojima

 青森に小島一郎という孤高の写真家がいた。青森市で写真材料店を営む家に生まれ、県内でアマチュア写真家として知られていた父親・平八郎の影響もあって、幼い頃からカメラに親しんできたサラブレッドだった。小島は津軽や下北の厳しい自然とそこに生きる人々の姿をフィルムに収め、若くしてカメラ雑誌などにもたびたび取り上げられた。報道写真の先駆者・名取洋之助に認められて東京で個展「津軽」(1958年)を開催するなど、将来を期待されていたが、39歳の若さで帰らぬ人となった。

1410_ph_04.jpg
五所川原市十三付近/1960年頃/個人蔵/©Hiroko Kojima

 2度目の個展「凍ばれる」(62年)を見た美術評論家の中原祐介は、小島の作品を「白と黒の過酷な闘いのドキュメント」と評している。黒は不毛の土地に記された人間の刻印であり、それを圧倒する白は人間を包囲する自然であった。小島は凍える手にカメラを持ち、人間の痕跡を真っ白に覆い隠す厳しい自然に挑みかかるようにして撮影を続けた。日がな一日働く津軽平野の農夫たち、寒風吹きすさぶ下北の荒野を走る馬車、地面にへばりつくように点々と並ぶ大間の家々……小島のモダニズム的な感性は、自然が大地に刻んだ形象を普遍的な風景にまで昇華させている。

1410_ph_03.jpg
津軽地方/1960年/個人蔵/©Hiroko Kojima

 名取の勧めもあり、プロとなるべく上京した小島を待っていたのは、大都会での厳しい生活であった。東京で2度の展覧会を開催し、作品集『津軽―詩・文・写真集』(石坂洋次郎、高木恭造との共著)を出版するものの、青森という風土と作風が分かちがたく結びついていた小島にとって、新たな展開を図ることは難しく、周囲から期待される「北の写真家」像もあって、仕事のほとんどが青森を被写体にしたものに限られた。転機を求めて北海道の撮影へ向かうものの、度重なる過酷な撮影で体調を崩した小島は、東京での後ろ盾でもあった師・名取洋之助の死も重なり、64年に失意のうちに帰郷することになる。この年、青森のアパートで心臓発作に倒れた小島は39歳の若さでこの世を去る。

 生前、東京を被写体としたもので唯一発表できたのは、カメラ雑誌に掲載された「東京の夕日」だけであった。真っ黒な都会のビル群に沈みゆく夕日は、『智恵子抄』の中の有名な詩「あどけない話」を思い出させる。「智恵子は東京に空が無いといふ ほんとの空が見たいといふ」。智恵子にとって「ほんとの空」とは、故郷・福島の「阿多多羅山」の山の上に毎日出ている青い空のことであった。

 東京には小島の写真に欠かせなかったどんよりと曇った広い空も、地面を造形的な形に覆ってくれる雪も、どこまでも続く地平線も、農作業に励む農夫たちの姿もなく、黒が白を圧倒する世界が広がるばかりであった。

1410_ph_05.jpg
「東京の夕日」1961〜63年/個人蔵/©Hiroko Kojima

小原真史
1978年、愛知県生まれ。映像作家、キュレーター。監督作品に『カメラになった男︱写真家中平卓馬』がある。著書に『富士幻景︱近代日本と富士の病』『時の宙づり︱生・写真・死』(共著)ほか。新刊として『増山たづ子 すべて写真になる日まで』(共編著)。

小島一郎(こじま・いちろう)
1924年、青森市生まれ。61年に「カメラ芸術」新人賞受賞。写真集に『津軽―詩・文・写真集』『hysteric eleven 小島一郎』『小島一郎写真集成』ほか。2009年に青森県立美術館で大規模な回顧展が開催された。IZU PHOTO MUSEUMにて15年12月25日まで「小島一郎 北へ、北から」展が開催中(14年9月28日にはトークイベントも予定)。

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

Recommended by logly
サイゾープレミアム

2022年6・7月号

目指すはK-POP? ジャニーズ進化論

目指すはK-POP? ジャニーズ進化論
    • 音楽業界からの【賛辞と批判】
    • 【芸能プロ】的戦略が抱える2つの“矛盾”
    • 令和の【ジャニーズ・シングル】20選
    • 20年代のジャニーズ【ミュージックビデオ】

移ろいゆくウクライナ避難者

移ろいゆくウクライナ避難者
    • 移ろいゆく【ウクライナ】避難者

NEWS SOURCE

インタビュー

サイゾーパブリシティ