【荻上チキ】村上春樹の小説を読む、というのは「なぜ春樹が選ばれるか」考えること

識者が語る「多崎つくる」【3】

荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年生まれ。メディアから社会問題まで幅広く調査・分析する評論家。近著に『彼女たちの売春』(扶桑社)、『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』(幻冬舎新書)など。現在、毎週月~金曜日22:00から『荻上チキ・Session-22』(TBSラジオ)でパーソナリティを務める。(写真/高橋宗正)

──政治経済に社会問題からサブカルまで、幅広く論じる批評家・荻上チキ。本誌でもおなじみの同氏は、新刊『多崎つくる』をどう読んだのか? 少々珍しく、小説について語ってもらった。

 村上春樹の小説は全部読んでいます。好きだからじゃなく、嫌いだからですね。どちらかといえば、春樹が好きだと口にする奴が嫌いなんですけど。なにせ、春樹読むと、いつもがっかりするんですよ。

「嫌いなら読むな」というかもしれないけれど、そうじゃない。自分が何をどう嫌いなのかをきちんと確認するのって、大事なことなんです。そして小説というのは、そういうことを考えるためにとても重要なメディア。「アンチを引き寄せ続ける」のは、ある意味では春樹が、機能している作家だからですよね。

 そのうえで言うと、今回は特につまらなかったです。そして、普段の春樹作品よりも異なる点が際立つ分、なぜ自分が春樹作品にがっかりするのかもよくわかった。

 村上春樹の小説には、独自の記号消費や規則性を重視する厭世的な主人公が(料理だの音楽だの女性の好みだの!)、個人的な通過儀礼のために隠遁したり放浪したりするはめになるも(井戸にこもるだのロリ少女とセックスするだの!)、それが世界の救済だのになぜか直結するというパターンがありますよね。

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