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第1特集
「岡本太郎っぽい絵を描けばアートになる」という誤解

学校教育とテレビの影響!? 芸能人アート原色使いがち問題

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――今や全国の美術館で大規模個展を行うことも珍しくなくなった芸能人アーティストたち。そんな芸能人アートを見てみると、なんだか原色を使った抽象画の“アートっぽい”作品が多いような……。なぜ、彼・彼女たちは原色で絵を描くのか!? 美術史家やキュレーターに、その理由を聞いた!

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香取慎吾アートブック『しんごのいたずら』(著者:香取慎吾/出版社:ワニブックス/発行年:1998年)

“芸能人アーティスト”といえば、岡本太郎に見いだされたジミー大西や有名公募展「二科展」への出展で知られる八代亜紀、2018年にフランスのルーヴル美術館に併設されたショッピングセンター「カルーゼル デュ ルーヴル」で個展を開催した香取慎吾など、枚挙にいとまがない。

こうした芸能人アートの一大派閥ともいえるのが、原色を多用したビビッドな画面が特徴的な“原色”スタイルである。ジミー大西をはじめ、木梨憲武や香取慎吾、藤井フミヤほか、近年ではSNSでも話題になった平野ノラもこの系統に属するだろう。このスタイルでは、小さなモチーフの反復やアクション・ペインティングを彷彿とさせる抽象画が多く見受けられる。一般的に“芸能人アート”というと、この“原色”スタイルを思い起こす読者も多いのではないだろうか。

これらはメディアで紹介される際には“個性的な絵”として取り上げられがちだが、その実、パッと見派手だが何を描いているのかよくわからない、といった奇妙な共通点がある。それでは、なぜ芸能人アートの多くはこうした“原色”スタイルとなってしまうのか?  美術研究者らの言から「芸能人アーティストが原色を使いがちな理由」をひもといていく。

“凡庸な個性派”が量産される理由

近現代美術史を専門とする美術史家の松下哲也氏は、その理由について「端的に言うと、“下手だから”ということに尽きます。そもそも彼・彼女らの作品は趣味の模型や手芸といったホビークラフトと同種のレジャーです。絵はポピュラーな趣味ですから、趣味で絵を描く芸能人がいることに何の不思議もありません。ただ、芸能人が趣味で描く絵は必然的にメディアでも取り上げられやすく、その結果、商品価値が出て大きな展覧会なども開かれるようになっています。しかしその作品は、本人の余暇か芸能人のファングッズ以上の価値を持ちません」と喝破する。

また、インディペンデントキュレーターとして活躍する長谷川新氏はこう話す。

「八代亜紀のように、写実的な表現に自信のある人は二科展などの公募展系に出展しますが、写実的な絵画は対象を見て写し取るという修練を必要とします。

対して、抽象的な絵は一見すると初心者でも描けそうに見える。言い換えれば、絵の巧拙がわかりづらい。また、具体的に何を描くかというよりは、どのように『画面をしっかり埋めるか』ということにフォーカスしやすくもあります。たとえば細密画のようなスタイルの絵を見ると、画面を細分化して同色を隣り合わせないようにしながら塗り分けていく『タスク化』がなされていたりする。

強調したいのは、これは批判ではなくれっきとしたひとつの方法論です。制作において何よりも難しいのは『完成させること』と『続けること』です。ただ、少なくない人がいきなり絵を描くとなったときにこうした方法論を使いがちで、その結果、みんなが思うアートっぽい作品……言い換えると“凡庸な個性派”の作品になるのだと思います。

多くの芸能人アーティストは、生活の中で仕事から離れて絵を描くという趣味を楽しんでいる。そのこと自体はまったく批判されるべきではありません。例えば、大野智にとって絵を描くことは生きる上で絶対に必要なのだということは、作品を見ても推察できます。それでも、うまい・下手、値段がいくら、という世界にいきなりなってしまうのが、芸能人のアートのつらいところだと思います」

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