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【F.U.T.O.】不器用こそ最大の武器。約15年の空白を瞬時に埋めた漲る男気がここに

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――世の中の流行に媚びず、揺るぎないスタイルと伝えるべき言葉で紡がれた新作を引っ提げて彼が帰ってきた。これぞハードボイルドな男たちの聖書だ。

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(写真/黒瀬康之)

90年代から2000年代にかけて、横浜を拠点に活躍していた伝説的なヒップホップグループ〈風林火山〉のメンバーであるF.U.T.O.。現在52歳の彼のヒップホップ人生は、ロサンゼルスのベニスビーチで生のブレイクダンスを見たことによって始まった。

「中1の夏休みにロングビーチに住んでた祖母の家へ行ったときに、ブレイクダンスのストリートパフォーマンスを見て、『帰ったら仲間に教えてやろう!』と、地元(横浜上大岡)のイトーヨーカドーの噴水前で同級生と始めたんです」

当初は“ストリート・キッズ”と名乗っていた彼らのチームは、その後、日本のブレイクダンスシーンの黎明期を支える〈FLOOR MASTERS〉へと発展。ストリートパフォーマンス中にラップの真似事をやっていたF.U.T.O.は、ツルんでいた友人の勧めもあり、ラッパーとしての活動を本格始動する。そこで誕生したのが前述した風林火山だ(メンバーはF.U.T.O.とJANBO-MANとANY-TO)。彼らはメジャーデビューも果たし、ニューヨークの有名イベント『Lyricist Lounge』にも出演して実績を上げる。それと同時に、彼はソロMCとしての活動へと軸を移す。

「もともとひとりで勝負したい気持ちがあった。ANY-TOが抜けて、俺とジャンボでクイーンズのスタジオにこもって作った2ndアルバムを出して、それが風林火山としての最後の作品になりました」

その後、OZROSAURUSのMACCHOらとのユニット〈ROMERO SP〉としての活動を経て、06年に1stソロアルバム『Wild』を発表。しかし、翌年発表したベイスターズ応援ソング「シューティングスター」を最後に一線から退く。

「ソロを出して燃え尽きた感があったのと、子どもができた責任が生まれて。それまでめちゃくちゃな人生を送ってたけど、家族のために変えなきゃなと」

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