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大石始のマツリ・フューチャリズム【17】

五輪を目前に控える時代にこそ、必要とされる三波春夫イズム――かの三波春夫が2017年に蘇る

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実娘が語った「お客様は神様です」の誤解。今月は魂の叫びのごとく「東京五輪音頭」を歌い、バーチャルで蘇った稀代の歌手を振り返る特別編でお届けしよう。

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東京オリンピック(1964年)閉会式終了後、新宿御苑で開催された「お別れパーティ」特設ステージ上で「東京五輪音頭」を歌う三波春夫。観覧席からステージに上がって一緒に踊りだした選手も多数いた。

 去る7月24日、東京オリンピックのテーマソング「東京五輪音頭 -2020-」の制作発表会が都内で行われた。言うまでもなく「東京五輪音頭」は、1964年に開催された前東京五輪のテーマ曲。今回の復活にあたっては、加山雄三、石川さゆり、竹原ピストルという3人が歌い手に選ばれ、8月にはミュージックビデオも公開された。今月は、今再び注目を集めている「東京五輪音頭」の魅力を紐解きながら、2001年にこの世を去るまで同曲を大切に歌い続けた、ひとりの大御所歌手にフォーカスしたい。

「東京五輪音頭」のオリジナル・バージョンは、日本の各レコード会社の競作として企画され、三橋美智也(キングレコード)や坂本九(東芝EMI)、橋幸夫(ビクター)など当時の人気歌手が自慢の歌声を競った。その中でも最大の売り上げを記録したのが、今回の主役である三波春夫が吹き込んだテイチク盤だった。売上枚数は130万枚以上。先述した制作発表会の際、加山雄三は「三波春夫さんにはかないません」と発言していたが、彼ならずとも「東京五輪音頭」といえば、三波春夫を思い出す方も多いことだろう。では、なぜ人気歌手が競い合う中、三波春夫版の「東京五輪音頭」は記録的なヒットとなり得たのか? 三波春夫の実娘であり、三波クリエイツ代表取締役を務める三波美夕紀氏に話を聞いた。

「生前、父はその質問をよくされていたんですが、当の本人は『私の歌は言葉がはっきりしているからだと思います』と述べていました。父はもともと浪曲出身なので、ひとつひとつの言葉をはっきりと発音するんですね。それと私としては、東京オリンピックに対する父の思いが非常に強かったこともあり、それが歌声に宿ったことも大きく作用したのだと思います。

 父は戦前に新潟の寒村で生まれ、戦時中はシベリアで捕虜になりました。本人も苦労しましたが、それは日本にいた方々も同様であり、そこから復興して東京オリンピックが開催されたわけです。戦前世代の喜びは、現代の私たちには理解できないほどのものだったと思います。東京オリンピックは、復興した日本の姿を世界に向けてアピールする戦後最大のイベントとなったわけで、父の心には『オリンピックは絶対に成功させねばならない』という強い思いがあったと思います」

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