サイゾーpremium  > 特集2  > 【森高歌詞】の自己主張と潔さ
第2特集
森高千里再評価の謎を追う【2】

絶妙なバランスがイズムを加速 ようやく時代が追いついた!?森高千里の“時を超越した”歌詞分析

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『ザ・シングルス』(ワーナーミュージック・ジャパン)

――「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」「二人は恋人」「雨」など、多くのヒット曲を持つ森高千里。その多くで評価されてきたのは、彼女の世界観が色濃く反映された“歌詞”。アイドルとしてデビューした森高が、男性のみならず同性のハートをわしづかみにした要因は、どんなところだったのか?

 田拓郎が「先代のミュージシャンたちが築き上げてきた詞の世界観を、一瞬で崩壊させた」という言葉を吐いたほど、森高千里が書き上げる歌詞の独自性は、音楽業界のみならず、リスナーにまで広く認知されている。本稿では森高楽曲をカテゴリ分けし、彼女と同じく自己プロデュースに長けたシンガー・ソングライターという立ち位置、また「私がオバさんになっても」をカバーした経験も持つアーティスト、MEGに歌詞を分析してもらった。


幼少期に聴く森高と成人後に聴く森高の差異

 私が小さい頃に聴いて印象的だった森高さんの曲は、ドラマ『恋も2度目なら』(日本テレビ/95年)の主題歌「二人は恋人」です。主役の明石家さんまさんが好きだったのでドラマを見ていたんですが、当時はまだ中学生ということもあり、歌詞は意識せず、メロディのみで「いい曲だな」と感じていました。それが大人になってから聴き直してみると、当時とはまったく違う印象を受けましたね。女性が男性に対し、なかなか口に出せない言葉を森高さんが歌うことで、男性はドキッとしただろうし、女性は共感すると同時に「私も強くならなくちゃ」と背中を押される気持ちになったと思うんです。

 女性が歌う恋愛の歌は、抽象的で弱さが際立つものが、ある種の文化としてあると思うんですね。例えば、昔も今も恋愛の曲には「会いたい」というフレーズが多く出てくる。そういった歌詞の楽曲の善し悪しではなくて、きっと森高さんだったら「会いに来ました」という、自己主張の強い曲を作ってくださるんじゃないかなって想像してしまいます。

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